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 ドイツ語をやると必ず覚えさせられるのがいわゆるDiminutiv(「縮小辞」)という形態素だ。普通名詞の後ろにくっついて「小さいもの」を表す縮小名詞を作る。明治時代には時々「メッチェン」などというトンでもないフリガナをふられていたMädchen(メートヒェン、「少女」)が最も知られている例だろう。これはMade +  chenで、-chenがこの縮小辞だから、本来「小さいMade」、「小さい女性」という意味である。もっともここでは語幹のMadeが単独の語としては消失してしまったため、縮小辞つきのMädchen しか今のドイツ語にはない。その他に-lein(単語や方言によっては -le、-li あるいは-el)も縮小辞である。Mädchen の代わりに Mädle あるいは Mädel と言っても意味は同じ。ただニュアンスが少し違い後者の二つは日常会話的である。Fräulein(「お嬢さん」)の-lein も本来縮小辞なのだが、最近はFräulein という言葉自体があまり使われなくなってきているし、この単語もFrau+leinと分けることは出来ず、全体で一つの単語だろう。
 しかしこの縮小辞は確立した単語だけに見られるのではなく、造語用の形態素として日常会話でも頻繁に使われる。例えば「ひよこ」をKüken(キューケン)あるいはKücken(キュッケン)というが、私などはあのモフモフ感を強調するためこれに-chenをつけてKückchen(キュックヒェン)と言わずにはいられない。「ひよこさん」である。アヒルに対しても単にEnte(エンテ)などと辞書どおりに呼ぶと無愛想すぎるのでいつもEntlein(エントライン)、Entchen(エントヒェン)である。いちどアヒルにつけるのは-chenがいいのか –leinがいいのかネイティブに聞いてみたことがあるが、「好きにしろ」とのことだった。
 縮小辞をつけた単語は辞書に載っていないこともあるので、会話でこれを使うと「私は辞書に載っていない言葉を使っているぞ!」ということで、まるで自分のドイツ語が上手くなったような錯覚を起こせて気持ちがいいが、実はこの縮小形使用には気持ちのほかに実際的な利点があるのだ。
 ドイツ語の名詞には女性・中性・男性の三つの文法性があるが、これがロシア語のように名詞の形によっては決まらない。もちろんある程度形から推すことはできるが、Bericht(ベリヒト、「報告」)が男性、それと意味も形も近いNachricht(ナーハリヒト、「報告」)が女性と来ては「何なんだこれは?!」と思う。ところが-chenであれ-leinであれ、この縮小辞がついた語は必ず中性になるのである。だから名詞の文法性が不確かな時はとにかく縮小辞をくっつけて名詞全体を中性にしてしまえばいい。日本語でも丁寧な言葉使いをしようとしてむやみやたらと「お」をつける人がいるが、それと似たようなものだ。日本語の「お」過剰がかえって下品になるように、ドイツ語でも縮小名詞を使いすぎるとちょっとベチャベチャして気持ちわるい言葉使いにはなるが、文法上の間違いだけは避けられる。
 ロシア語には-ик(-ik), -нок (-nok), -к (-k) といった縮小辞がある。たとえば

дом (ドーム、「家」)→  домик (ドーミク、「小さな家」)、
стол (ストール、「テーブル」)→  столик (ストーリク、「小さなテーブル」)
медведь (メドヴェーチ、「熊」)→  медвежонок (メドヴェジョーノク、「小熊」)、
ухо(ウーハ、「耳」) →  ушко (ウーシコ、「小さな耳」)、
заяц (ザーヤツ、「兎」) →  зайчик (ザーイチク、「小さい兎」)

 この -ik についてはちょっと面白い話を聞いたことがある。ロシア語ばかりでなくロマニ語でもこの -ik が使われているが(pos 「埃」→ pošik)、この縮小辞はアルメニア語からの借用だという説があるそうだ。クルド語にもkurrik (「少年」)、keçik(「少女」)などの例があるらしい。同じスラブ語のクロアチア語では男性名詞には-ić(komad 「塊」→komad), -čić(kamen「石」→ kamenčić), -ak (cvijet「花」→ cvijetak)、女性名詞には-ica(kuća「家」→ kućica), -čica(trava「草」→ travčica), -ka(slama「藁」→ slamka)、そして中性名詞だと-ce(brdo「山」→ brdašce)、 -če(momče 「少年」、元の言葉は消失している)を付加して縮小名詞を作るが、ロシア語とはちょっと音が違っている。この違いはどこからきたのか。考えられる可能性は3つである:1.ロシア語の-ikはアルメニア語からの借用。クロアチア語が本来のスラブ語の姿である。2.どちらの形もスラブ語祖語あるいは印欧祖語から発展してきたもの、つまり根は共通だが、ロシア語とクロアチア語ではそれぞれ異なった音変化を被った。3.ロシア語とクロアチア語の縮小辞は語源的に全くの別単語である。クロアチア語の -ak など見ると -k が現れているし、c や č は k とクロアチア語内の語変化パラダイムで規則的に交代するから、私は2が一番あり得るなとは思うのだが、きちんと文献を調べたわけではないので断言はできない。

 さて、縮小形の名詞は単に小さいものを指し示すというより、「可愛い」「愛しい」という話者の感情を表すことが多い。「○○ちゃん」である。上のひよこさんもアヒルさんも可愛いから縮小辞つきで言うのだ。そういえばいつだったか、私がベンチに坐って池のEntleinを眺めていたら(『93.バイコヌールへアヒルの飛翔』の項で話した池である)、いかにも柔和そうなおじいさんが明らかに孫と思われる女の子を連れてきて「ほら、アヒルさんがいるよ」と言うのにуточика(ウートチカ)と縮小辞を使っていた。ロシア人の家族だったのである。普通に「アヒル」ならутка(ウートカ)だ。
 逆にあまり感情的な表現をしてはいけない場合、例えば国際会議などでアヒルやひよこの話をする時はきちんとEnte、Kükenと言わないとおかしい。この縮小辞を本来強いもの、大きくなければいけないものにつけると一見軽蔑的な表現になる。「一見」といったのは実はそうでもないからだ。Mann (「男、夫」)のことをMännchenとか Männleinというと「小男」「チビ」と馬鹿にしているようだが、Männchenなどは妻が夫を「ねえあなた」を親しみを込めて呼ぶときにも使うから、ちょっと屈折してはいるが、やはり「可愛い」「愛しい」の一表現だろう。Männchenには動物の雄という中立的な意味もある。
 ロシア語のнародишко(ナロージシコ)はнарод(ナロート、「民衆・民族」)の縮小形だが、これは本当に馬鹿にするための言葉らしいが、ロシア語とドイツ語では縮小辞にちょっと機能差があるのだろうか。

 縮小辞の反対が拡大辞augumentativeである。この形態素を名詞にくっつけると「大きなもの」の意味になる。ネットを見てみたらドイツ語の例として ur-(uralt 「とても古い」)、über-(Übermensch「超人」)、 aber- (abertausend「何千もの」)が例として挙げてあったが、これは不適切だろう。これらの形態素はむしろ「語」で、つまりそれぞれ語彙的な意味を持っているからだ。しかも -chen や -lein の縮小辞とちがって全部接頭辞である。単なる強調の表現と拡大辞を混同してはいけない。
 ロシア語には本当の拡大辞がある。-ище (-išče)、–ина (-ina)、–га (-ga) だ。縮小辞と同じく接尾辞だし、それ自体には語彙としての機能がない:дом (「家」)→ домище (ドーミッシェ、「大きな家」)またはдомина (ドミナ、「大きな家」)、 ветер(ヴェーチェル、「風」)→ ветрога(ヴェトローガ、「大風」)。クロアチア語には-ina、-etina、-urina という拡大辞があり、明らかにロシア語の –ина (-ina) と同源である:trbuh (「腹」)→trbušina (「ビール腹、太鼓腹」)、ruka(「手」)→ ručetina (「ごつい手」)、knjiga (「本」)→ knjižurina(「ぶ厚い本」)。この縮小形はそれぞれ trbuščić(「小さなお腹」)、ručica (「おてて」)、knjižica(「小さな本」)で、上で述べた縮小辞がついている。
 クロアチア語は縮小形名詞ばかりでなく、拡大形のほうも大抵辞書に載っているが、ロシア語には縮小形は書いてあるのに拡大形のでていない単語が大部ある、というよりそれが普通だ。辞書の編集者の方針の違いなのかもしれないが、もしかしたらロシア語では拡大辞による造語そのものが廃れてきているのかもしれない。クロアチア語ではこれがまださかんだということか。
 また、拡大形は縮小形よりネガティブなニュアンスを持つことが多いようだ。 上の「ビール腹」も「ごつい手」も純粋に大きさそのものより「美的でない」という面がむしろ第一である感じ。さらにクロアチア語にはžena(「女」)の拡大形で ženetina という言葉があるが、物理的にデカイ女というより「おひきずり」とか「あま」という蔑称である。
 だからかもしれないが、さすがのクロアチア語辞書にも「アヒル」(patka)については縮小形の patkica しか載っていない。ロシア語も当然縮小形の「アヒルさん」(уточика)だけだ。この動物からはネガティブイメージが作りにくいのだろう。例の巨大なラバーダックも物理的に大きいことは大きいが、それでもやっぱり可愛らしい容貌をしている。


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