アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

本を出しました。詳しくは右の「カテゴリー」にある「ブログ主からのお知らせ」をご覧下さい。
メッセージをくださる際にメルアドを記していただくとこちらから返信できます!

 ラテン語の「友達」amicusの単数呼格amice、複数主格amiciをどう読んでいるだろうか?私はそれぞれアミーケ、アミーキーと発音していた。実は今でもアミーキーと言っている。ところがこちらでは皆アミーツェ、アミーツィだ。日本人が普通キケローと呼んでいるCiceroもドイツ人はツィツェローという。もちろんラテン語教育という点では日本より欧州が本場だから彼らに従おうかとも思ったが、ラテン語は所詮は死語である。ネイティブスピーカーの実際の発音は彼らだって聞いたことがないわけだし、少なくとも文字の上では c と同じ書き方をしているところを妙に読み方を変えたら混乱するだけじゃないかと思ったのと、正直に言えば直すのが面倒くさかったのであまり考えずにそのままアミーキーと言い続けた。
 ところがしばらくたってから(しばらくたつまで気づかなかったのであった)そういえば現在のロマンス諸語ではすべて c(つまり k)と g の後に前舌母音、i と e が来ると子音が変な音になることに思い当たった。
 例えば「肉」はイタリア語、スペイン語、フランス語、ルーマニア語でcarneと書いてそれぞれ[karne]、[karne]、[kaʁn]、[karne] (フランス語だけ少し違うわけだ)と発音し、c は k の音である。また「結びつける」はイタリア語、スペイン語、フランス語、ルーマニア語で combinare 、combinar、 combine、combinăで、もういちいち発音記号を出さないが、やはり c は k だから co は「コ」だ(フランス語は鼻母音)。母音が u の場合も同じで「ナイフ」をイタリア語、スペイン語、フランス語、ルーマニア語でそれぞれcoltello、 cuchillo、 cuțit、 couteauで やはり c が k で、最初のシラブルは「コ」。フランス語の正書法では u と書くと母音が純粋な u ではなく [y]  や [ɥ] になってしまい、 u は ou と綴るのだ。関係ないがスペイン語の「ナイフ」は『復讐のガンマン』(『86.3人目のセルジオ』『121.復讐のガンマンからウエスタンまで』参照)でトマス・ミリアンが演じた主役の名前である。銃は撃てずにナイフ投げがうまいからこういう名がついた。
 しかしこれが ci、ce となると「キ」、「ケ」にはならない。イタリア語、スペイン語、フランス語、ルーマニア語で「5」はcinque、cinco、cinq、cinci 。子音が各言語でバラバラでそれぞれ[t͡ʃiŋkwe]、[θĩŋko]、[sɛ̃k]、[t͡ʃint͡ʃʲ] 、チやスィとなる。フランス語はここでは母音が違うが本当にiが続いてもciterのように [s] だ。ついでにラテンアメリカのスペイン語でも θ が s になる。次にce を見ると「脳」を表すイタリア語、スペイン語、フランス語がそれぞれcervello [t͡ʃer̺ˈvɛl̺ːo]、cerebro [θeɾeβɾo] 、cerveau [sɛʁvo] で ci の時と同じように c がそれぞれ t͡ʃ 、θ、s。ルーマニア語は「脳」がcreier なので(もっともここでも c は k )別の単語をみると例えば「空」cer が[t͡ʃer]だ。
  g も後ろにa、o、u が続くとガ、ゲ、ゴで、例えば「雄猫」を表すイタリア語とスペイン語のgattoとgato 、フランス語の「少年」garçon、ルーマニア語の「子牛」gambă の ga は皆ガである( garçon はギャルソンなんかではなくガルソン)。go をみると「喉」というイタリア語、フランス語の gola、gorge、「太った」というスペイン語の gordo、「空の、裸の」というルーマニア語 gol は「ゴ」である。ルーマニア語の 「裸の」は明らかにスラブ語からの借用なのでちょっと「ロマンス諸語の比較例」としては不適切かもしれないが。さて次に gu だが、「味」はイタリア語、スペイン語、フランス語、ルーマニア語でそれぞれgusto、gusto、goût、gust といい、全部「グ」となる。フランス語が母音の u を二字で表すことは上で述べた。
 正直そろそろ疲れてきたのだがもう少しだから続けると、この g も i や e の前にくると子音が変わる。イタリア語とスペイン語で「巨大な」はどちらも gigante と書くが発音はそれぞれ [dʒiɡante] と[xiɣãn̪t̪e] で、子音が違う。イタリア語は ci のときの子音がそのまま有声になっただけでわかりやすいが、スペイン語のほうは ci で現れた子音 θ とは調音点が全くずれてしまっている上、有声でなくなぜか無声子音のままである。だから「ジプシー」というスペイン語gitano の発音も[xitano]。フランス語gitan だと[ʒitɑ̃ ]で、g の部分は有声ではあるが、純粋に ci の子音の有声バージョン、つまり [z] とはならないところが面白い。ルーマニア語の例としては、ハンガリー語からの借用語なのだがgingaș 「繊細な」という言葉の発音が[d͡ʒiŋɡaʃ] で、イタリア語と同様、非常にわかりやすいタイプである。 最後にge だがこれも「ゲ」にはならない。「生み出す、生産する」はイタリア語、スペイン語、フランス語、ルーマニア語で generare [dʒeneˈra:re] 、generar [xeneɾaɾ] 、generer [ʒeneʁe]、genera [ʤenera] 。gi で見た子音のバリエーションの違い、dʒ、x、ʒ、ʤ が保たれている。

 すると忘れていた何十年前かの記憶が突然よみがえって、そういえばラテン語の先生が「c (k)の音はラテン語の歴史の過程で音価が変わったことがわかっていますが、ここでは文字に合わせてアミーキーでいいです」というようなことを言っていたのを思い出した。
 これが「ロマンス語の口蓋化」と呼ばれる音韻変化である。すでにラテン語の時代の起こっていたもので、軟口蓋閉鎖音、つまり/k/、/g/ が i と e の前に来た場合それぞれ [ʧ] や [ʦ]、[ʣ] や [ʤ] という破擦音閉に変わった。
 紀元後一世紀ごろまで、つまり古典ラテン語の時代は後舌母音 a、o、u が続こうが前舌母音 i 、e が続こうが k と g は k と g だった、つまりcentrumはケントルム、Cicero はキケロー、legereはレゲレ、legisはレーギスだったのだ。だから上で私が押し通した発音、アミーケ、アミーキーは間違いではない。
 しかしそのうちに軟口蓋閉鎖音 に前舌母音が続くと母音の前に半母音の /j/ が入るようになった。この半母音と子音が同化現象を起こして調音点が前に移動し、/ k/ が [ʧ]、/g/ が [ʤ]になった。紀元2世紀から5世紀にかけてのことだそうだ。
 最初はこれらの音はもちろんいわゆる自由アロフォン(どっちで発音してもいいアロフォン、『63.首相、あなたのせいですよ!』参照)freie Allophoneで、人によってケやキと言ったりチェ、チと発音していたのだろうが、これがやがて拘束的アロフォン(音声環境によって使い分けなければいけないアロフォン)kombinatorische Allophoneとして固定した。このkombinatorische Allophoneというのは一つの音素が二つに分かれる直前段階である。もっとも自由アロフォンの段階からすでに音価の違いそのものは感知されていたのだ。この「話者が違う音だと気づく」のは「全く同じ音に聞こえる」段階と比べるとすでに新音素誕生に向けて相当度が進んでいる。それが拘束的アロフォンになると言語学者の間でもすでに二つの音素とみなすものが現れるくらいだ。まだアロフォンだから完全に意味の違いを誘発する力はないが、別のほうの音で発音すると「おかしい」を通り越して意味がよく伝わらくなったりしだすからだ。
 例えば日本語の「たちつてと」だが、/ta, ti,tu, te, to/と音韻解釈する人と、「ち」と「つ」の子音を別音素と解釈して/ta, ci, cu, te, to/と表す人とがいる。「放つ」「月」「知己」をそれぞれ「ハナトゥ」、「トゥキ」、「ティキ」とやったら、まあ言語環境から判断して意味は通じるかもしれないが、意味が通じるのが数秒遅れることは確実。相手によっては最後まで通じまい。意味の伝達に支障が大きすぎて「意味を変化させないから」ときっぱりアロフォン扱いするのには待ったがかかる。実は私も独立音素 /c/ を認める組である。ついでに私は「はひふへほ」は /ha, hi, ɸu, he, ho/ だと思っている。「違う音認識」されてから、アロフォン発音が半ば強制的になり、やがて別音素に分裂する過程はまるでアメーバの分裂のようだ。ただ、音素は2つが融合することもあるのに対し、アメーバは分裂だけで、合体することがないという違いはあるが。それともアメーバも時々合体するのか?
 ラテン語に話を戻すが、口蓋化が起こり、さらに音素が分裂してしまったのが文字が固定した後だったために、文字と音価の間が乖離して本来の「ケ」「キ」が宙に浮いてしまった。「ケ」「キ」という音が ce や ci では表せなくなった一方、「チェ」と「ケ」、「チ」または「ツィ」と「キ」の子音が別音素になったので、「ケ」「キ」を表す必要が生じたからである。そこで現在のロマンス諸語では新たに正書法を改良して、「ケ」、「キ」、「ゲ」、「ギ」とイタリア語では c、g のあとに h を加えて表示し、それぞれ che、chi、ghe、ghiと綴る:cheto 「静かな」[ke:to]、chinare「曲げる、傾ける、お辞儀する」[kina:re]、ghetto 「ゲットー」[getto]、ghiro 「ヤマネ」[gi:ro]。スペイン語では無声音には q を持ち出してきて「ケ」「キ」は que、qui。これらは「クエ」「クイ」ではなく、quebrantar 「割れる」、quince 「15」は「ケブランタル」、「キンセ」だ。もっとも「ブ」の部分は両唇摩擦音の[β]、「セ」は歯でやる摩擦音の [θ] だが。「クエ」「クイ」は c を使ってcue、 cuiと表すのが面白い。ところがこれが有声になるとgue、gui で「ゲ」「ギ」。guerra 「戦争」は「グエラ」でなく「ゲラ」、guiar 「導く」も同様に「グイアル」でなく「ギアル」となる。フランス語は母音も子音も音素がさらにいろいろ割れているので複雑だが、基本はスペイン語と同様 q と u を使う:question 「問題」[stjɔ̃ ] 、quinine 「キニーネ」[kinin]、 guerre 「戦争」[ɡɛʁ ]、 guide 「ガイド」[ɡid]。フランス語からは英語に借用された言葉が多いのでうっかり英語読みにして「クエスチョン」「ガイド」とか言ってしまうと大変なことになるので注意。ルーマニア語はさすが東ロマンス語だけあって(?)イタリア語同様 h を用いる:chezaș 「保証人」[kezaʃ]、 chibrit「マッチ」[kibrit]、 ghețar「氷河」[get͡sar]、 ghid「ガイド」[gi:d] など。「保証人」はハンガリー語からの、「マッチ」はトルコ語からの借用だ。
 この、文字が固定してから音が変化してしまったため元の音を表すのにいろいろワザを凝らさなければならなくなったという例は実は日本語にもある。例えば「ち」「つ」は昔は本当に破裂音の ti、tuだったのに、子音が破擦音になってしまったため本来の音がそのままでは表せなくなった。だから「ティ」「トゥ」などと表記する変なワザを使う羽目になったのである。「ファ」「フィ」「フェ」「フォ」なども昔は単に「は、ひ、へ、ほ」と書けば済んだのだ。

 ここまでならロマンス諸語だけの話ということであまり面白くないが(ロマンス諸語は面白くない言語だと言っているのではない)、実はスラブ諸語の歴史でもこの「口蓋化」という現象が見られるのでスリルが増す。スラブ語の場合は音素が割れてから正書法が確立したが、少なくとも3回口蓋化の波がスラブ諸語に押し寄せたらしく、第一次口蓋化、第二次口蓋化、第三次口蓋化と区別する。人によっては第4次口蓋化というものを認めることもある。
 第一次口蓋化は紀元5世紀初期スラブ祖語時代の終盤に生じたもので、軟口蓋音に前舌母音(スラブ語では i, ь, e, ě)が続いた場合、やはり j の付加を経由して子音そのものが変化した:k > ʧ͡ʲ (= č’)、g >  ʒʲ (= ž’)(いったんdʲzʲ という破擦音を通した)。ロシア語で「焼く」の一人称単数がпекуなのが二人称単数になると печёшьとなって子音が交代するのはこの第一次口蓋化のせいである。スラブ祖語の初期にはそれぞれ*pekǫ – *pekešiであったとみられる。。ポーランド語ではそれぞれpiekę と pieczesz。またロシア語の「目」の単数が окоで複数が о́чиなのもこれである。さらにロシア語の могу́ 「私はできる」対 можешь「君はできる」の母音交代もこの例。祖形はそれぞれ*mogǫと*mogeši。ポーランド語ではこれが mogę – możeszとなる。もう一つロシア語の Боже мой 「おお神よ」のБожеはБогの呼格だが、ここでも子音が図式通り交代している。
 第二次口蓋化はスラブ祖語の後期、6~7世紀にかけて起こった。母音の i、ěが続くと k が t͡sʲ (= c´)に、g が dzʲ を通してzʲ (= z´ )になった。*nagě (「足」単数与・処格)が古ロシア語ではnozě 、*rǫkě (「手」単数与・処格)がやはり古ロシア語で rucě といったのが一例である。ところがロシア語ではその後この第二次口蓋化が名詞の格変化パラダイムでキャンセルされ、元の軟口蓋音 g に戻ってしまったので現在のロシア語ではそれぞれноге́ 、руке。 対してポーランド語やチェコ語ではそれぞれ nodzeと ręce、nozeと ruce で、本来の口蓋化が残っている。
 南スラブ語派のクロアチア語も名詞変化のパラダイムで口蓋化を保持していて、期末試験なんかでは必ずと言っていいほど試される。まず男性名詞には単数呼格(『90.ちょっと、そこの人』参照)が e で終わるものが多いが、これらの名詞の語幹が語幹が k や g で終わる場合 k と g がそれぞれ č [ʧ͡ʲ]、  ž [ʒʲ ] になる:junak「英雄」主格 → junače 「おお英雄よ」呼格 (< junake) 、drug「仲間、同志」主格 → druže 「おお同志よ」呼格 (< druge)。これが第一次口蓋化の結果だ。次にこれらの男性名詞の複数主・呼・具・処格では子音の後に i が来るが、ここで k と g は c [t͡sʲ] と z [z] になる。第二次口蓋化である:junak「英雄」主格 → junaci 「英雄たち、おお英雄たちよ」複数主・呼格 (< junaki)、junacima 「英雄たちによって、英雄たちにおいて」複数具・処格 (< junakima)、drug「仲間、同志」主格 → druzi 「同志たち、おお同志たちよ」複数主・呼格 (< drugi)、druzima「同志たちによって、同志たちにおいて」複数具・処格 (> drugima)。女性名詞は単数の与・処格が i で終わり、やはり k や g が第二次口蓋化に従って変化する:ruka 「手」単数主格 → ruci 「手に、手で」単数与・処格 (< ruki)。 この「手」の複数主・対・呼格形は ruke で一見 e の前なのに子音が変わってないじゃないかと思うが、実はここの e は口蓋化の起こった時代は中舌の i、ロシア語の ы だったので子音が変わらずに済んだのだ。またスラブの場合は音が変化したのが文字化の前だったためラテン語と違って単数主格と呼格、複数の主格の子音の違いが文字に表れているわけである。
 この一連の口蓋化を被ったのは k と g ばかりではないのだがここでは省く。また第三次口蓋化は先行する母音が後続の子音を変化させたものなのでやはりここでは触れずにおくが、軟口蓋音が i、e の前でシステマティックに化けるというスラブ語の口蓋化がラテン語とそっくりなのでプチ感動する。さらに単に似ているというばかりでなくロマンス語とスラブ語の両口蓋化が実際にかち合った地域があるから感動がプチからグランになりそうだ。それがバルカン半島である。バルカン半島はその昔ラテン語地域であったのでラテン語由来の地名が多い。後から来たスラブ民族がラテン語名を引き継いだからである。もとになったラテン語名は記録に残っているので、Peter Skokという学者がラテンでce、ci、 ge、 giと書かれていた地名が現在のスラブ諸語でどう呼ばれているか詳細に分析して当地ラテン語の口蓋化の過程を追っている。例えばラテン語Cebro がブルガリア語でDžibra になっていたりするものが多いが、この子音は1.ラテン語の時代にすでに口蓋化していた、2.ラテン語ではまだ k や g であったのが、スラブ語に入ってから口蓋化した、の二つの可能性があるわけだ。私だったら「どっちなのかわからない」として匙を投げていただろうが、Skokはラテン語スラブ以外の言語資料や歴史の資料も徹底的に調べて次のように結論を出している:1.スラブ民族がバルカン半島に来た時(早くとも6世紀)、ラテン語の ce、ci、ge、gi はまだ k、g であった。2.ルーマニア語の口蓋化はスラブ民族の時代になってから、つまり西のロマンス諸語とは独立に起こったもの。3.(2ともつながるが)ルーマニア語の口蓋化はバルカン半島のローマの中心地が崩壊したのちに生じたものである。
 もうひとつ面白いのはラテン語 ce、ci が現在でも k になっている地域があるということだ。たとえばCircinataがクロアチア語でKrknataになっている。ダルマチア(ジャンニ・ガルコの出身地だ。『130.サルタナがやって来た』参照)にこういう地域が多いが、ローマの時代に大きな都市があって文化の中心地だったところだ。都市部の教養層が使っていたラテン語は文字なしで話されていた俗ラテン語より口蓋化(ある意味では俗にいう「言葉の崩れ」)が遅かったからではないか、ということだ。上の3はこれが根拠になっている。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング 
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 映画鑑賞の楽しみの一つにグーフの発見ということがある。グーフgoofというのは映画の専門用語(?)で、見つかってしまうと鑑賞の邪魔になったり物笑いの種になったりする小さな間違いのことだ。ドイツ語ではFilmfehlerというが、中世ヨーロッパの空を飛行機が飛んていたとか水戸黄門の歩く街道に電信柱が立っていたとかいったたぐいの軽いミスである。また、主人公がウイスキーをぐいと飲み干してコトンとカウンターに置いた直後のシーンでなぜかグラスがまた一杯になっている、あれ、飲んだんじゃなかったのか?というのもグーフである。これらはB級映画でなくても結構やらかしていて、私の覚えているものでは、スティーブ・マックイーン主演の『パピヨン』のラストシーンでマックイーンの筏の下にスタッフの潜水夫(ダイバーと言ってくれよ)がしっかり写っていた。普通の映画ならそんなもん単に小さな傷に過ぎないが、マカロニウエスタンだとその手の間違い探し・あら捜しが主たる鑑賞の楽しみにもなるのである。結構傷だらけの作品が多いからだ。
 代表的なのが『続・荒野の用心棒』でいちいち挙げるとキリがないが、世界的に有名な(なんだそりゃ)グーフが少なくとも二つある。まず、酒場の乱闘シーンで手持ちカメラを抱えたカメラマンがしっかり写っていること。それもちょっと隅のほうに写っちゃったというのではなくて一瞬ではあるが真ん中にドワンと出てくる。この人の撮った絵が乱闘シーンに使われているはずだが、出演料もあげたほうがいいのではないだろうか。

このカメラマンはちゃんと出演ギャラを貰ったのか。
KameramannDjango


次がラストシーンに出てくる伝説的な7連発コルトである。フランコ・ネロ演ずるジャンゴが悪漢ジャクソン一味を倒すシーンだが、弾の音を勘定してみると7発出る。コルトというのは6連発ではなかったのか?それともそういうチューニングができるものなのか。仮にできるとしてもこの映画の主人公のように両手をグシャグシャにつぶされた状態の者にそんな高度なワザができるのか?いろいろ考えてしまう。

6連発のはずのコルトからなぜか銃声7発


 現在はコンピューターですぐに後から修正できてしまうからこういう素晴らしいグーフが50年以上も生き残れるチャンスも少ないだろう。だから最近の映画はつまらないんだ、とまでは言わないが寂しいことは寂しい。

 もう一つ、『続・荒野の用心棒』で私が個人的に「おかしくないかこれ」と気になったのが、ジャンゴがこれもジャクソン一味に向けてガトリング砲をぶっ放す場面である(『91.Quién sabe?』参照)。これもまあ「世界的に有名な映画のシーンの一つ」と言っていいだろうが、ここでネロ氏はゴツい機関銃をひょいと手に抱えて撃ち始める。そのまましばらく撃ちまくってからやっと下に置くが、その間も射撃はやめないままだ。敵が全滅すると武器を元入れてあった棺桶の中にしまうがそこで素朴な疑問が湧く。何百発も撃った後のガトリング砲は銃身が熱くなっていて素手でなど持てないのではないだろうか。そもそも相当重いはずの古典的な大砲みたいなガトリング砲をああも軽々と抱えて正確に敵に向けるなんてことが普通の体格の人にできることなのか?カラシニコフじゃあるまいし。

機関銃というより「機関砲」(下記参照)を軽々と抱えて撃ちまくる。この芸当は薬師丸ひろ子にはできまい。
machineGun2

 私はこの、「軽々と抱えてぶっ放した」というシーンがジャンゴ氏の機関銃が時々間違って「マシンガン」と呼ばれている原因だと思っている。この二つは別物だ。基本的にはマシンガンというのは連続射撃ができる携帯可能な銃、機関銃は三脚や台座などに固定して使う連射銃だ。だから昔あった『セーラー服と機関銃』という映画のタイトルはおかしい、主役の薬師丸ひろ子が持っていたのはマシンガンだ、と指摘してくれた人がいる。
 ドイツ語では機関銃はMaschinengewehr(MGと略す)で、gewehrは元々は武器一般をさしていたが現在では鉄砲の意味となり、ライフル銃とかカービン銃とかピストル以外の「手にもって撃つ銃」をさすからこの言葉は誤解を招く。ただ、ドイツ語のDudenではまさにその誤解を避けるためかMGがきちんと次のように定義されている;

auf einer entsprechenden Vorrichtung aufliegende automatische Schnellfeuerwaffe mit langem Lauf,  bei der (nach Betätigung des Abzugs) das Laden u. Feuern automatisch erfolgt.

しかるべき設置をした上に置いて使う銃身の長い高速連射銃。(引き金を引いた後)装填、
発砲が自動的に行われる。


このMaschinengewehrを独英辞書で引くとmachine gun、そのmachine gunを英和辞書で引くと機関銃あるいは機銃となっている。さらに手持ちの和独辞書でマシンガンを引くとやっぱりMaschinengewehrとある。ついでに和英辞典も引いてみるとマシンガンも機関銃もa machine gunとなっている。これではジャンゴ氏が機関銃を持ち上げるまでもなく、そもそも言葉の上で始めから混同されていたんじゃないかと思うが、よく見てみるとそうではない。英語のmachine gunを借用して「マシンガン」という日本語を作った際に意味が正確に伝わらなかったのだ。いわゆるカタカナ言葉を外国語から取り入れる場合、原語本来の意味から乖離してしまうことはよくある。ドイツ語のArbeitが「アルバイト」などという変な意味になってしまったのもいい例だ。つまり「アルバイト」がArbeitではないのと同様「マシンガン」はmachine gunではないのである。ただアルバイトのほうは意味のズレがはっきりしているから、「元々のドイツ語ではこういう意味だが、日本語に取り入れられた際こういう意味になった」と認識されているが、マシンガンのほうはズレがあまり目立たず、気づいても「要するに自動的に弾が出る鉄砲のことだからいいや」と軽くあしらわれてしまったのかもしれない。英語のmachine gunはあくまで機関銃であってマシンガンとは別物と認識されなかった。英語の辞書だろ辞典だろを編纂するような上品な人々が皆『続・荒野の用心棒』を見たおかげで混同したなどということはありえないから、これは単に武器に対する関心が薄いということなのだろう。
 
 ドイツ語にはこれと並行してMaschinenpistole(略してMPあるいはMPi)という言葉がある。次のように定義してある。

automatischer Schnellfeuerwaffe mit kurzem Lauf für den Nahkampf

接近戦で使う銃身の短い自動高速連射銃

この定義のmit kurzem Lauf「銃身の短い」という部分はpistole「ピストル」という言葉に引っ張られてこの事典を編纂した上品なドイツ語学者がやった間違いではないかと思う。特に銃身が短くないものもあるからだ。ベレッタModello 1938A などは銃身は短くない。Maschinenpistoleと名前にピストルがついているのは拳銃みたいに銃身が短いからではなく、ピストルの弾をそのまま自動発射するからである。ただ抱えて撃てるようにしているから機関銃より小型なのでそれに呼応して銃身も確かに短いが。そういえば、「持って撃つ」という点も定義には出てこない。ピストルだから手に持つのは当たり前だということなのかもしれない。英語ではsubmachine gun。独和辞書では「自動拳銃、小型機関銃」となっているが、どちらの訳も一長一短で、「自動拳銃」と言われるとピストルみたいな形をした火器かと思うし、「小型機関銃」だと下に固定して撃つのかと一瞬誤解する。最近は「サブマシンガン」という言葉がそのまま日本語として使われているようだが、これこそ「サブ」抜きの単なる「マシンガン」という訳でいいのではないだろうか。
 いずれにせよこのサブマシンガンが登場したのは第一次世界大戦の頃だから、『続・荒野の用心棒』の時代にはまだなかったはずだ。その意味でもジャンゴが放ったのはあくまで機関銃なのである。その後もピストルの弾丸を使わず、発射方法も違うアサルトライフル(ドイツ語ではStrumgewehr「突撃銃」)や自動小銃などがいろいろ開発されたそうだが、時代が下りすぎるので省く。

 さて、もう一つドイツ語でMaschinenkanone(「機関砲」)という言葉がある。これは文字通り「砲」で口径も20mm以上あり、すでに19世紀の終わりに生産が開始されていたマキシム砲とか今のヴァルカン砲、そもそもガトリング砲も「機関銃」でなく本来「機関砲」である。だからフランコ・ネロが撃ったのも本当は機関砲と言わねばならないのだが、一方昔は機関砲と機関銃が区別されておらず「マキシム砲」もドイツ語ではMaxim-Maschinengewehrといっている。『続・荒野の用心棒』のも見かけも大きさも完全に「砲」ではあるが、「機関銃」と名付けていいと思う。
 このMaschinenkanoneは英語ではautocannon、独和辞書には項があるがDudenにはこの見出し語はない。見れば意味がすぐわかると思われたか、一つの語としてはまだ定借していないとみなされたかであろう。どうもMaschinengewehr → Maschinenpistole → Maschinenkanoneと下るに従って語としての扱われ方が冷たくなってきているようだ。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング 
人気ブログランキングへ
 

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

  何度か書いたように、言語連合という言葉はロシアの言語学者ニコライ・トゥルベツコイが提唱したものである。トゥルベツコイというと普通真っ先に思いつく、というよりそれしか思いつかないのはその著作『音韻論の原理』だろう。ちょうどド・ソシュールの「代表作」『一般言語学講義』が氏の死後出版されたように(ただしこれはド・ソシュール自身の手によるものではない。『115.比較言語学者としてのド・ソシュール』参照)、『音韻論の原理』もトゥルベツコイの死後出版されたものである。また、ド・ソシュールと聞くと大抵の人はラング・パロールなど構造主義の言語学や記号学しか思い浮かばず、それに優るとも劣らない業績、喉音理論にまで気を回す人はあまりいないように、トゥルベツコイも音韻論の有名さに比べると「言語連合」のほうは思い出す人は少ない。さらに理不尽なことに、言語連合という用語そのものは結構使われているのに、その言い出しっぺがトゥルベツコイであることを知らない人も相当いる。「喉音理論」と言えば一応名前を思い出してもらえるド・ソシュールとの違いはそこだ。
 なぜそんなことになったかというと、言語連合という言葉が最初に使われたのがロシア語の、しかも論文というよりエッセイといったほうがいい著作だったからだ。1923年にブルガリアのソフィアで発表されたВавилонская башня и смѣшніе языковъ『バベルの塔と言語の混交』というテキストである。以下が言語連合を定義してある箇所だが、タイトルからもわかるようにロシア語である上にプーシキンみたいな旧仮名遣い・旧文法だ(現代の正書法に直したテキストをネットで見られる)。

Но кромѣ такой генетической группировки, географически сосѣдящіе другъ съ другомъ языки часго группируются и независимо отъ своего происхожденія. Случается, что нѣсколько языковъ одной и той же географической и культурноисторической области обнаруживаютъ черты спеціальнаго сходства, несмотря на то, что сходство это не обусловлено общимъ происхожденіемъ, а только продолжигельнымъ сосѣдствомъ и параллельнымъ развитіемъ. Для такихъ группъ, основанныхъ не на генетическомъ принципѣ, мы предлагаемъ названіе «языковыхъ союзовъ».

しかしこういった系統によるグループ分けのほかに、地理的に互いに隣接した諸言語をその系統とは関係なくグループとしてまとめられる。そこでは地理的にも歴史文化的にも同じ一つの圏内にあるいくつかの言語が特徴的な類似点を示すことがある。その類似は共通の起源から発生したものではなく、あくまで長期間にわたる隣接関係とそれぞれ言語内部の並行した発展の結果であるにもかかわらずである。このような、親族関係という原則によらない言語群を呼ぶのに「言語連合」という名称を提案する。

この「言語連合」という部分には注がついていて、代表的な例としてバルカン半島を挙げている。またこの箇所はJindřich Tomanという人がMITで出したThe Magic of a common language(1995)という本で英語に訳しているのだが、下線の箇所が微妙に違っている。私の読解が間違っているか、向こうが間違ったかである。それとも私の参照した原本バージョンとTomanの1987年のとはこの部分が違っているのかもしれない。87年にモスクワで出版された「トゥルベツコイ選集」Избранные труды по филологииという本を見かけたらちょっと調べてみてほしい。

...besides such generic grouping, languages which are geographical neighbors also often group independently of their origin. It happens that several languages in a region defined in terms of geography and cultural history acquire features of a particular congruence, irrespective of whether this congruence is determined by common origin or only by an [sic.] prolonged proximity in time and parallel development. We propose the term language union [jazykovyj sojuz] for such groups which are not based on the generic principle.
 
 これを発表して何年か後、やっと1928年になってからトゥルベツコイはプラハで行われた第一回国際言語学者会議で自説を発表し、Sprachbund (言語連合)とSprachfamilie(語族)の観念的な違いを明確にした。そこでも何人か指摘しているが、この言語連合という考え方そのものはトゥルベツコイの創作ではない。以前にも書いたようにバルカン半島の言語状況についてはすでに1829年にスロベニアのコピタルKopitarという学者が報告しているし、当時「バルカン学」の研究はすでに相当進んでいたのである。トゥルベツコイはこの言語接触による類似性、「言語連合」を一般言語学の用語として確立したのだ。
 それを受けてプラーグ学派の面々がこのテーマで研究を開始した。例えばロマン・ヤコブソンは1931年にそのテーマで本を出し、『58.語学書は強姦魔』で名前を出したイサチェンコIsačenkoも1934年に論文を発表しているそうだ。ところが言い出しっぺのトゥルベツコイ自身はごく短い論文をチョチョッと書いただけ。この辺が後の誤解というか無知を生んだ原因だろう。
 また、やはり1920年代から文化交流による言語の混交問題に興味を持っていたHenrik Beckerという人が1948年にズバリDer Sprachbundという本を出版している。時々「言語連合という言葉はドイツ語のSprachbundの訳」と誤解しязыковый союзを完全に無視している人を見かけるのはこれが原因だろう。しかもこのBeckerはMeistersprache「支配言語」など、トゥルベツコイが嫌悪した言語の順位付け思想や西欧中心の世界観・学問観(下記参照)に基づく用語も提唱しているから氏も浮かばれまい。
 とにかくトゥルベツコイは専ら一つの祖語からの分岐としてとらえられていた「印欧語」というものにもこの「文化・地理上の隣接による言語の統合」というアスペクトを適用して、当該言語が印欧語と見なされるには6つの基準を満たさねばならないと提案した。この6つの構造条件を全部満たしていれば印欧語であり、言語の構造が変化してどれか一つの条件でも満たさなくなればいくら共通の単語を引き継いでいても印欧語ではなくなる、というのである。Мысли об Индоевропейской проблеме『印欧語問題に関する考察』という論文で論じている。
 1.母音調和の欠如。
 2.語頭と語尾の子音群に特別な関係があること(語頭に立ち得る子音群のほうが語の内部や語尾よりも制限が厳しい)。
 3.いかなる条件下でも語が語幹だけで始まることがない。
 4.母音交代(アプラウト)の存在。
 5.形態素内で子音が交代する。
 6.能格でなく主格・対格の格システム。

トゥルベツコイが後に発展させた音韻論を髣髴とさせるようだし、特に5はいかにもロシアの言語学者らしく、今日でも(少なくとも私の年代の者は)ロシア語の学習者が必ずやらされる音韻形態論Morphonologieの視点が見えて非常に興味深いが、単純に一つ疑問がわいてくる。もし、地球上のどこかで偶然この条件をすべて満たす言語が現れたら印欧語とみなされてしまうのかということだ。トゥルベツコイはこの質問になんとYesで答えている。印欧語学者の高津氏が攻撃したのもこの点で、トゥルベツコイの定義した印欧語を「空論」とまで言っている:まず第一にこのような特徴を並べても印欧祖語再建にはなんらの貢献もしない。第二に印欧語ばかりでなく、言語には根底に横たわる実体がある。印欧語の場合、諸言語の語彙や形態素の規則的な対応から帰納してもわかるように、その根源となる実体がある。借用によって、その根源を同じくするにもかかわらず言語が印欧語でなくなるなどという定義、構造的な特徴による語族の決定は、高津氏らのような形態の対応から帰納する語族の決定とは両立しえない。私は高津氏が「借用」という用語の持ち出しているところにすでに純粋要素と外来要素の区別、つまりある意味では差別を感じるのだが、当該言語間の語の音韻対応を考慮に入れない「印欧語」にも確かに「うーん」とは思う。
 なお、どうでもいい話ではあるが、ここで高津氏が参照したのは原文のロシア語ではなくドイツ語翻訳である。
 
 実はもちろんトゥルベツコイは「語族」というアプローチを否定しているわけではない。言語の変化を追うには分岐と統合という二つのアスペクトが必要なことを強調しているにすぎない。印欧語学=言語学であった時代からすでに言語の地理的連続性に注目し、波動説を唱えたSchmidtなどの学者はいたのだ。印欧祖語は本当に一つの言語だったのだろうか。印欧語発生地には最初の最初から複数の言語が話されていたのではないのか?それら地理上隣接していた言語が統合されて一つのまとまりを見せているのではないのか?そもそも一つの言語というのは何か。日本語と琉球語、本国ドイツ語とスイスのドイツ語を一つの言語とみなす客観的根拠はどこにもないのだ(『111.方言か独立言語か』参照)。
 このことは印欧祖語を再現しようとした者も心の隅では感じていたことで、「祖語再構」というのは言語を再現するのが目的ではなく、あそこら辺の諸言語を網羅する理論上の言語を創造することが目標であった。この姿勢はド・ソシュールに顕著である。つまり理論のための理論なのだ。そしてこの分岐アプローチに待ったをかけたのも、何も印欧言語学にコペルニクス展開を起こしてやろうとしたからではない、別の見方を示して議論を深めようとした、言い換えればprovocationそのもの、まさに高津氏のいう「空論」がトゥルベツコイの狙いだったのではなかろうか。

 もうひとつ、当時の権威ある印欧比較言語学にトゥルベツコイが待ったをかけた、いや明確にNoを突き付けたのが、当時の印欧語学者の中に言語や文化の優劣を言い出す人が少なからずいたということである。有名なのがアウグスト・シュライヒャーAugust Schleicherで、1850年の論文で、印欧語のような屈折語は言語の最も発達した状態であり、膠着語はその前段階、孤立語は最も未開な言語状態と主張した。それを言ったら名詞の屈折をほとんど失っている英語はロシア語より未開言語なのかとツッコミを入れたくなる。面白いことに上述の高津氏もこのシュライヒャーなどが印欧語学に価値判断・言語発展度などが持ち込んだのを遺憾としている。こういった西欧中心主義(トゥルベツコイは頻繁に「ロマンス・ゲルマンの自己中心主義」という言葉を使っている)をトゥルベツコイは嫌悪した。学問上ばかりでなく文化的にも西欧は無神経に自分たちの基準を押し付けていると見て反論した。氏のこういう思想はその経歴と固く結びついている。

 トゥルベツコイはロシアの公爵家に生まれた。名門で、私は確認していないがトルストイの『戦争と平和』にも大貴族として一家の名前が出てくるそうだ。父も祖父も親戚も大学教授を務めたりした社会的にも教養的にもエリート中のエリートである。そこに生まれたトゥルベツコイも知的に早熟で15歳のころからすでに論文を発表していたという。最初は民俗学が専攻だったが、じきに言語学に転向した。
 言語学者としての業績はフィンランド語のカレワラやコーカサスの言語の研究から始めた。上の条件6にコーカサスの言語を熟知していることが見て取れる。それらの「アジアの言語」の中にロシア語と通ずる要素をみたのである。ロシア語やロシア文化の中にはアジアと根を共にする要素がある、と感ずるようになった。後の「文化や言語に優劣はない」という見方、また言語が「発展する」とか「未発達である」という類の価値付けに対する反発の芽がすでに見て取れるではないか。
 もちろん、当時の言語学者として印欧言語学もきちんと身につけていた。サンスクリットもできたし、1913年から14年にかけてライプチヒに滞在し、カール・ブルクマンKarl Brugmannやアウグスト・レスキーンAugust Leskien(『26.その一日が死を招く』参照)らと席を並べて勉強している。
 1917年に革命が起こった時、トゥルベツコイは療養のため北コーカサスのキスロヴォーツクКисловодск という町にいたが、大貴族でレーニンに嫌われていたため危険すぎてモスクワに帰れなくなった。二年ほどロシア国内(の大学)を転々とした後国外亡命して1920年にまず当時のコンスタンチノープルに逃れ、そこからさらにブルガリアのソフィアに行き、1922年まで大学で教鞭をとった。上述の『バベルの塔と言語の混交』はその時書かれたものである。1922年にはウィーン大学に招聘されて亡くなる1938年までそこで教えていた。そのウィーンから有名なプラーグ学派の言語学サークルに通っていたのである。
 
 当時ソフィアにはロシアからの亡命者が大勢おり、いわゆる「ユーラシア主義・ユーラシア運動」の発生地となった。トゥルベツコイはその中心人物である。この運動はすでに19世紀にロシアの知識人の間に起こったスラボフィル、スラブ主義運動に根ざしているが、非西欧としてのロシアのアイデンティティを確立していこうというものである。この精神を引き継いだユーラシア主義は両大戦間のロシア(知識)人の間に広がっていた。トゥルベツコイが1920年に著したЕвропа и человечесгво『ヨーロッパと人類』はその代表作だ。面白いことにここでは「アジア」や「ロシア」という言葉が使われておらず、西欧対非西欧という対立で論じられている。私は確認していないが(ちゃんと確認しろ!)この著作はいち早く日本語に訳されたという。
 そうやって「アジアとつながったロシア」としての文化的・政治的アイデンティティが模索されていった。トゥルベツコイは皇帝は廃止すべきという立場だったが、ボリシェビキにも反対だった。共産主義は所詮「西欧」の産物だったからである。民主主義にも懐疑的だった。もっともロシアにふさわしいのは民衆から選出された代表が政治を行うのでなくて、教養的にも文化的にもエリート層がまず国としてのイデオロギーを確立して、その路線にのっとって国を作っていく、というものだったらしい。民衆側の機が熟していないのに外来から民主主義を取り入れたら行きつくところは衆愚制だと考えていたのかもしれない。
 トゥルベツコイは敬虔な正教徒だったし、ロシアのアイデンティティを上滑りな西欧からの輸入思想、例えばコスモポリタン思想に受け渡すつもりはなかったのだ。

 この思想は氏の言語観にも反映している。ユーラシア運動そのものについては、のちに何人かボリシェビキ寄りになったりロシア国粋主義に傾いたりしていったので距離をとるようになったが、「ユーラシアとしてのまとまり」という視点は保たれた。この言語観に立って、印欧語も枝分かれして発展していく樹形図としてではなく、連続する鎖(цепьまたцѣпь)のイメージで把握したのだ。コーカサスの言語、印欧諸語、地中海・中東のセム語などがこの地上で鎖のようにつながっている、それぞれの輪の間には必ず重なりあう部分がある、言語が統合している部分がある。文化も言語も上から下に流れるのではない、横につながっているのだ、として言語相対主義・文化相対主義を強調した。
 
 トゥルベツコイのこの思想は当然ナチスには目の敵にされ、ナチス・ドイツがオーストリアを併合すると早速案の手を伸ばし、ゲシュタポがウィーン大学にあった氏の研究論文を押収し自宅まで捜索した。すでに心臓に問題のあったトゥルベツコイはそのため病状が悪化して亡くなった。氏の代表作『音韻論の原理』は家族がなんとか保持していた書き散らしの原稿を言語学者の同僚や学生が校正して死後出版されたものだ。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング 
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 『107.二つのコピュラ』の項でちょっと述べたように、ロシア語には形容詞の変化パラダイムとして短形と長形との二つがある。長形は性・数・格にしたがって思い切り語形変化するもので、ロシア語学習者が泣きながら暗記させられるのもこちらである。辞書の見出しとして載っているのもこの長形の主格形だ。たとえばдобрый「よい」の長形の変化形は以下のようになる。男性名詞の対格形が二通りあるのは生物と無生物を区別するからだ(『88.生物と無生物のあいだ』参照)。
                  単数                                        複数
              男性           女性         中性
主格      добрый     добрая     доброе        добрые
生格      доброго    доброй     доброго       добрых
与格      доброму   доброй     доброму      добрым
対格      добрый     добрую     доброе       добрые
             доброго                                         добрых
造格      добрым     доброй     добрым      добрыми
前置格  добром      доброй     добром       добрых

それに比べて短形のほうは主格しかなく、文の述部、つまり「AはBである」のBの部分としてしか現れない、言い換えると付加語としての機能がないので形を覚える苦労はあまりない。アクセントが変わるのがウザいが、まあ4つだけしか形がないからいい。
                  単数                               複数
              男性        女性      中性
主格      добр       добра    добро      добры

困るのはどういう場合にこの短形を使ったらいいのかよくわからない点だ。というのは長形の主格も述部になれるからである。例えばHe is sickには長短二つの表現が可能だ。

短形    Он болен
            (he-主格 + (is=Ø) + sick-形単数主格)
長形    он больной
            (he-主格 + (is=Ø) + sick-形単数主格)

この場合は、боленなら目下風邪をひいているというニュアンス、больнойだと彼は病気がちの人物、体が弱いという理解になる。が、では短形は描写された性質が時間的に限られた今現在の偶発的な状態、長形は持続的な状態と一般化していいかというとそうでもない。レールモントフの『現代の英雄』の一話に次のような例がある。まず、ある少年の目が白く濁っているのを見て主人公は彼が盲目であると知るがその描写。

Он был слепой, совершенно слепой от рождения.
彼は盲目だった、生まれつき全くの盲目だったのだ。

太字にした слепойというのが「盲目の」という形容詞の長形単数主格系である。ここまでは上述の規則通りであるが、そのあと主人公はこの盲目の少年がまるで目が見えるかのように自由に歩き回るのでこう言っている。

В голове моей родилось подозрение, что этот слепой не так слеп, как оно кажется.
私の頭には、この盲目の者は実は見かけほど盲目ではないのではないかという疑いが起こった。

二番目の「盲目」、太字で下線を引いた слепというのは短形である。このような発言はしても主人公はこの少年が「生まれつきの」盲目であるということは重々わかっているのだ。二番目の「盲目」は決して偶発的でも時間がたてば解消する性質でもない。
 つまり形容詞の長短形の選択には話者の主観、個人的な視点が決定的な役割を果たしていることがわかる。話者がその性質をある具体的な対象のものとして描写している場合は短形、その性質なり状態なりを対象に内在した特性として表現したい場合は長形を使う。前にも出したが、

китайский язык очень труден. (短形)
китайский язык очень трудный.(長形)

は、どちらも「中国語はとても難しい」である。が、短形は「私にとって中国語はとても難しい」という話者の価値判断のニュアンスが生じるのに対し、長形は「中国語はとても難しい言語だ」、つまり中国語が難しいというのは話者個人の判断の如何にかかわらず客観的な事実であるという雰囲気が漂うのである。短形を使うと中国語というものがいわば具体性を帯びてくるのだ。
 また形容詞によっては術語としては長形しか使えないものがあったり、短形しか許されないセンテンス内の位置などもある。『58.語学書は強姦魔』でも名前を出したイサチェンコというスラブ語学者がそこら辺の長短形の意味の違いや使いどころについて詳しく説明してくれているが、それを読むと今までにこの二つのニュアンスの違いをスパッと説明してくれたネイティブがなく、「ここは長形と短形とどちらを使ったらいいですか?またそれはどうしてですか?」と質問すると大抵は「どっちでもいいよ」とか「理由はわかりませんがとにかくここでは短形を使いなさい」とかうっちゃりを食らわせられてきた理由がわかる。単にネイティブというだけではこの微妙なニュアンスが説明できるとは限らないのだ。やはり言語学者というのは頼りになるときは頼りになるものだ。

 さて、このようにパラダイムが二つ生じたのには歴史的理由がある。スラブ祖語の時期に形容詞の主格形の後ろに時々指示代名詞がくっつくようになったのだ。* jь、ja、 jeがそれぞれ男性、女性、中性代名詞で、それぞれドイツ語の定冠詞der 、die、 dasに似た機能を示した。 それらが形容詞の後ろについて一体となり*dobrъ + jь = добрый、* dobra + ja =  добрая、*dobro + je =  доброеとなって長形が生じた。代名詞が「後置されている」ところにもゾクゾクするが、形容詞そのもの(太字)は短形変化を取っているのがわかる(上記参照)。この形容詞短形変化はもともと名詞と同じパラダイムで、ラテン語などもそうである。対して長形のほうはお尻に代名詞がくっついてきたわけだから、変化のパラダイムもそれに従って代名詞型となる。
 また語尾が語源的に指示代名詞ということで長形は本来定形definiteの表現であった。つまりдобр человекと短形の付加語にすればa kind man、 добрый человекと長形ならthe kind manだったのだ。本来は。現在のロシア語ではこのニュアンスは失われてしまった。短形は付加語にはなれないからである。

 ところがクロアチア語ではこの定形・不定形という機能差がそのまま残っている。だから文法では長形短形と言わずに「定形・不定形」と呼ぶ。また長・短形とも完全なパラダイムを保持している。例えば「よい」dobarという形容詞だが、定形(長形)は次のようになる。複数形でも主格と対格に文法性が残っているのに注目。また女性単数具格がロシア語とははっきりと異なる。

            単数                                                   複数
              男性               女性        中性              男性            女性          中性
主格       dobri              dobra     dobro             dobri           dobre        dobra
生格      dobog(a)        dobre     dobrog(a)       dobrih         dobrih        dobrih
与格      dobrom(u/e)   dobroj    dobrom(u/e)   dobrim(a)    dobrim(a)  dobrim(a)
対格      dobri               dobru     dobro             dobre          dobre        dobra
             dobrog(a) 
具格      dobrim           dobrom   dobrim           dobrim(a)    dobrim(a)   dobrim(a)
処格      dobrom(e/u)   dobroj     dobrom(e/u)  dobrim(a)    dobrim(a)   dobrim(a)
呼格      dobri               dobra      dobro            dobri           dobre         dobra

続いてロシア語では主格にしか残っていない短形「不定形」だが、

            単数                                  複数
              男性      女性       中性       男性          女性           中性
主格      dobar     dobra     dobro     dobri         dobre         dobra
生格      dobra     dobre     dobra     dobrih       dobrih        dobrih
与格      dobru     dobroj    dobru     dobrim(a)  dobrim(a)  dobrim(a)
対格      dobar     dobru     dobro     dobre        dobre         dobra
             dobra 
具格      dobrim  dobrom   dobrim   dobrim(a)  dobrim(a)   dobrim(a)
処格     dobru     dobroj     dobru     dobrim(a)  dobrim(a)   dobrim(a)
呼格     dobar     dobra      dobro     dobri          dobre         dobra

使い方も普通の文法書・学習書で比較的クリアに説明されていて、まず文の述部に立てるのは短形主格のみ。

Ovaj automobil je nov.
(this + car + is + new-)

* Ovaj automobil je novi.
*(this + car + is + new-)

付加語としてはa とthe の区別に従ってもちろん両形立てるわけである。対象物がディスコースに初登場する場合は形容詞が短形となる。

On ima nov i star automobil.
(he + has + a new + and + an old + car)

この「彼」は2台車をもっているわけだが、ロシア語ではこの文脈で「自動車」が複数形になっているのを見た。上の文をさらに続けると

Novi automobil je crven, a stari je bijel.
(the new + car + is + black + and + the old (one) + is + white)

話の対象になっている2台の車はすでに舞台に上がっているから、付加語は定形となる。その定形自動車を描写する「黒い」と「白い」(下線)は文の述部だから不定形、短形でなくてはいけない。非常にクリアだ。なおクロアチア語では辞書の見出しがロシア語と反対に短形の主格だが、むしろこれが本来の姿だろう。圧倒的に学習者の多いロシア語で長形のほうが主流になっているためこちらがもとの形で短形のほうはその寸詰まりバージョンかと思ってしまうが、実は短形が本来の姿で長形はその水増しなのである。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング 
人気ブログランキングへ

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 以前にもちょっと述べたが、ドイツの土着言語はドイツ語だけではない。国レベルの公用語はたしかにドイツ語だけだが、ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(『130.サルタナがやって来た』『37.ソルブ語のV』『50.ヨーロッパ最大の少数言語』参照)に従って正式に少数民族の言語と認められ保護されている言語が4言語ある。つまりドイツでは5言語が正規言語だ。
 言語事情が特に複雑なのはドイツの最北シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州で、フリースラント語(ドイツ語でFriesisch、フリースラント語でFriisk)、低地ドイツ語(ドイツ語でNiederdeutsch、低地ドイツ語でPlattdüütsch)、デンマーク語(ドイツ語でDänisch、デンマーク語でDansk)、そしてもちろんドイツ語が正規言語であるがロマニ語話者も住んでいるから、つまりソルブ語以外の少数言語をすべて同州が網羅しているわけだ。扱いが難しいのはフリースラント語で、それ自体が小言語であるうえ内部での差が激しく、一言語として安易に一括りするには問題があるそうだ。スイスのレト・ロマン語もそんな感じらしいが、有力な「フリースランド標準語」的な方言がない。話されている地域もシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州ばかりでなく、ニーダーザクセン州にも話者がいる。そこでfriesische Sprachen、フリースラント諸語という複数名称が使われることがよくある。大きく分けて北フリースラント語、西フリースラント語、ザターラント語(または東フリースラント語)に区別されるがそのグループ内でもいろいろ差があり、例えば北フリースラント語についてはちょっと昔のことになるが1975年にNils Århammarというまさに北ゲルマン語的な苗字の学者がシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の言語状況の報告をしている。

北フリースラント(諸)語の状況。
Århammar, Nils. 1975. Historisch-soziolinguistische Aspekte der Nordfriesischen Mehrsprachigkeit: p.130から

nordfriesisch

 さて、デンマーク語はドイツの少数民族でただ一つ「本国」のある民族の言語だが、この言語の保護政策はうまくいっているようだ。まず欧州言語憲章の批准国はどういう保護政策を行ったか、その政策がどのような効果を挙げているか定期的に委員会に報告しなければいけない。批准して「はいそれまでよ」としらばっくれることができず、本当になにがしかの保護措置が求められるのだが、ドイツも結構その「なにがしか」をきちんとやっているらしい。例えば前にデンマークとの国境都市フレンスブルクから来た大学生が高校の第二外国語でデンマーク語をやったと言っていた。こちらの高校の第二外国語といえばフランス語やスペイン語などの大言語をやるのが普通だが、当地ではデンマーク語の授業が提供されているわけである。
 さらに欧州言語憲章のずっと以前、1955年にすでにいわゆる独・丁政府間で交わされた「ボン・コペンハーゲン宣言」Bonn-Kopenhagener Erklärungenというステートメントによってドイツ国内にはデンマーク人が、デンマーク国内にはドイツ人がそれぞれ少数民族として存在すること、両政府はそれらの少数民族のアイデンティティを尊重して無理やり多数民族に同化させないこと、という取り決めをしている。シュレスヴィヒのデンマーク人は国籍はドイツのまま安心してデンマーク人としての文化やアイデンティティを保っていけるのだ。
 シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州には第二次大戦後すぐ作られた南シュレスヴィヒ選挙人同盟という政党(ドイツ語でSüdschleswigscher Wählerverband、デンマーク語でSydslesvigsk Vælgerforening、北フリースラント語でSöödschlaswiksche Wäälerferbånd、略称SSW)があるが、この政党も「ボン・コペンハーゲン宣言」によって特権を与えられた。ドイツでは1953年以来政治政党は選挙時に5%以上の票を取らないと州議会にも連邦議会にも入れないという「5パーセント枠」が設けられているのだが、SSWはその制限を免除されて得票率5%以下でも州議会に参入できることになったのである。

SSWの得票率。なるほど5%に届くことはまれなようだ。ウィキペディアから
SSW_Landtagswahlergebnisse.svg

 こうやって少数言語・少数民族政策がある程度成功していることは基本的に歓迎すべき状況なので、まさにこの成功自体に重大な問題点が潜んでいるなどという発想は普通浮かばないが、Elin Fredstedという人がまさにその点をついている。
 独・丁双方から保護されているのはあくまで標準デンマーク語だ。しかしシュレスヴィヒの本当の土着言語は標準語ではなく、南ユトランド語(ドイツ語でSüdjütisch、デンマーク語でSønderjysk)なのである。このことは上述のÅrhammarもはっきり書いていて、氏はこの地(北フリースラント)で話されている言語は、フリースラント語、低地ドイツ語、デンマーク語南ユトランド方言で、その上に二つの標準語、標準ドイツ語と標準デンマークが書き言葉としてかぶさっている、と描写している。書き言葉のない南ユトランド語と標準デンマーク語とのダイグロシア状態だ、と。言い変えれば標準デンマーク語はあくまで「外から来た」言語なのである。この強力な外来言語に押されて本来の民族言語南ユトランド語が消滅の危機に瀕している、とFredstedは2003年の論文で指摘している。この人は南ユトランド語のネイティブ・スピーカーだ。

 南ユトランド語は13世紀から14世紀の中世デンマーク語から発展してきたもので、波動説の定式通り、中央では失われてしまった古い言語要素を保持している部分があるそうだ。あくまで話し言葉であるが、標準デンマーク語と比べてみるといろいろ面白い違いがある。まず、標準語でstødと呼ばれる特有の声門閉鎖音が入るところが南ユトランド語では現れない:
            標準デンマーク語     南ユトランド語
selv       [sɛlˀ]                               [siel], [sjel]       「自分、自身」
salt        [salˀd̥]                             [sɔld]                  「塩」
hånd      [hɔnˀ]                             [ha:(ʔ)n]              「手」
trug       [tʁuʔ]                              [tʁɔʋ]                  「桶」

l と n が対応している例もある。
              標準デンマーク語   南ユトランド語
nøgle      [nɔilə]                           [løçl]                  「鍵」

 もちろん形態素やシンタクスの面でも差があって、南ユトランド語は語形変化の語尾が消失してしまったおかげで、例えば単数・複数の違いが語尾で表せなくなったため、そのかわりに語幹の音調を変化させて示すようになったりしているそうだ。語彙では低地ドイツ語からの借用が多い。長い間接触していたからである。

 中世、12世紀ごろに当地に成立したシュレスヴィヒ公国の書き言葉は最初(当然)ラテン語だったが、1400年ごろから低地ドイツ語(ハンザ同盟のころだ)になり、さらに1600年ごろからは高地ドイツ語を書き言葉として使い始めた。その間も話し言葉のほうは南ユトランド語だった。これに対してデンマーク王国のほうでは標準語化されたデンマーク語が書き言葉であったため、実際に話されていた方言は吸収されて消えて行ってしまったそうだ。『114.沖縄独立シミュレーション』でも述べたように「似た言語がかぶさると吸収・消滅する危険性が高い」というパターンそのものである。シュレスヴィヒ公国ではかぶさった言語が異質であったため、南ユトランド語は話し言葉として残ったのだ。公国北部ではこれが、公国南部では低地ドイツ語が話されていたという。低地ドイツ語がジワジワと南ユトランド語を浸食していってはいたようだが、19世紀まではまあこの状況はあまり変化がなかった。
 1848年から1864年にかけていわゆるデンマーク戦争の結果、シュレスヴィヒはドイツ(プロイセン)領になった。書き言葉が高地ドイツ語に統一されたわけだが、その時点では住民の多数がバイリンガルであった。例えば上のFredsted氏の祖母は1882年生まれで高等教育は受けていない農民だったというが、母語は南ユトランド語で、家庭内ではこれを使い、学校では高地ドイツ語で授業を受けた。さらに話された低地ドイツ語もよく分かったし、標準デンマーク語でも読み書きができたそうだ。
 第一世界大戦の後、1920年に国民投票が行われ住民の意思で北シュレスヴィヒはデンマークに、南シュレスヴィヒはドイツに帰属することになった。その結果北シュレスヴィヒにはドイツ語話者が、南シュレスヴィヒにはデンマーク語話者がそれぞれ少数民族として残ることになったのである。デンマーク系ドイツ人は約5万人(別の調べでは10万人)、ドイツ系デンマーク人は1万5千人から2万人とのことである。

 南シュレスヴィヒがドイツに帰属して間もないころ、1924の時点ではそこの(デンマーク系の)住民の書いたデンマーク語の文書には南ユトランド語やドイツ語の要素が散見されるが1930年以降になるとこれが混じりけのない標準デンマーク語になっている。南ユトランド語や低地ドイツ語はまだ話されてはいたと思われるが、もう優勢言語ではなくなってしまっていたのである。
 これは本国デンマークからの支援のおかげもあるが、社会構造が変わって、もう閉ざされた言語共同体というものが存続しにくくなってしまったのも大きな原因だ。特に第二次大戦後は東欧からドイツ系の住民が本国、例えばフレンスブルクあたりにもどんどん流れ込んできて人口構成そのものが変化した。南ユトランド語も低地ドイツ語もコミュニケーション機能を失い、「話し言葉」として役に立たなくなったのである。現在はシュレスヴィヒ南東部に50人から70人くらいのわずかな南ユトランド語の話者集団がいるに過ぎない。

 デンマークに帰属した北シュレスヴィヒはもともと住民の大半がこの言語を話していたわけだからドイツ側よりは話者がいて、現在およそ10万から15万人が南ユトランド語を話すという。しかし上でもちょっと述べたように、デンマークは特に17世紀ごろからコペンハーゲンの言語を基礎にしている標準デンマーク語を強力に推進、というか強制する言語政策をとっているため南ユトランド語の未来は明るくない。Fredsted氏も学校で「妙な百姓言葉を学校で使うことは認めない。そういう方言を話しているから標準デンマーク語の読み書き能力が発達しないんだ」とまで言い渡されたそうだ。生徒のほうは外では標準デンマーク語だけ使い、南ユトランド語は家でこっそりしゃべるか、もしくはもう後者を放棄して標準語に完全に言語転換するかしか選択肢がない。南ユトランド語に対するこのネガティブな見方は、この地がデンマーク領となるのがコペンハーゲン周りより遅かったのも一因らしい。そういう地域の言語は「ドイツ語その他に汚染された不純物まじりのデンマーク語」とみなされたりするのだという。つまりナショナリストから「お前本当にデンマーク人か?」とつまはじきされるのである。そうやってここ60年か70年の間に南ユトランド語が著しく衰退してしまった。
 かてて加えてドイツ政府までもが「少数言語の保護」と称して標準デンマーク語を支援するからもうどうしようもない。

 が、その南ユトランド語を堂々としゃべっても文句を言われない集団がデンマーク内に存在する。それは皮肉なことに北シュレスヴィヒの少数民族、つまりドイツ系デンマーク人だ。彼らは民族意識は確かにドイツ人だが、第一言語は南ユトランド語である人が相当数いる。少なくともドイツ語・南ユトランド語のバイリンガルである。彼らの書き言葉はドイツ語なので、話し言葉の南ユトランドが吸収される危険性が低い上、少数民族なので南ユトランド語をしゃべっても許される。「デンマーク人ならデンマーク人らしくまともに標準語をしゃべれ」という命令が成り立たないからだ。また、ボン・コペンハーゲン宣言に加えて2000年に欧州言語憲章を批准し2001年から実施しているデンマークはここでもドイツ人を正式な少数民族として認知しているから、「ここはデンマークだ、郷に入っては郷に従ってデンマーク人のようにふるまえ」と押し付けることもできない。ネイティブ・デンマーク人のFredsted氏はこれらドイツ系デンマーク人たちも貴重なデンマーク語方言を保持していってくれるのではないかと希望を持っているらしい。
 惜しむらくはデンマークで少数言語として認められているのがドイツ語の標準語ということである。独・丁で互いに標準語(だけ)を強化しあっているようなのが残念だ。

この記事は身の程知らずにもランキングに参加しています(汗)。
 人気ブログランキング
人気ブログランキングへ
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ