アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

本を出しました。詳しくは右の「カテゴリー」にある「ブログ主からのお知らせ」をご覧下さい。
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 2018年のことである。ドイツのさるTVで「この国で最も醜い町はどこか」という視聴者アンケートを行った。そのとき大変な数の他の候補地を引き離しダントツの一位に選ばれたのが何を隠そう隣町の某LU市である。もっともこの結果には誰も驚く者はいなかった。同市の醜さはすでにそれ以前からドイツ中に知れわたっていたからである。アンケート結果の発表のシーンが Youtube ビデオでも見られるが、そのコメント欄にはLU市に住んでいる高校生とやらが「以前英語の授業で観光ビデオを製作することになって、先生にLU市で一番綺麗な場所を探して撮影しろと言われたんだけど、無理だろそんなこと」と書き込み、それに答えてやはり同市の別の高校生が「こっちでもそういう授業をやったことあるよ。そしたらクラスメートの一人が学校のトイレを撮影しやがった」と応じていた。また複数の人が「LU市で一番美しい場所は町はずれにあるライン川の橋にたって向こう側の隣町M市を望む光景」と言っている。つまりLU市から目を背けろというわけだ。上述のTV番組では間違えてまさにその反対側、M市の写真がLU市として紹介されてしまっていたが、それに対して誰かが「LU市をモロに見せるのは18禁だからだな」とコメントするなどもう皆言いたい放題である。この調子だとLU市の住民の相当数がここに投票したに違いない。郷土愛というものはないのか。とにかくこの市は醜い。

その番組のビデオの一つ。Youtubeを探すと何本もみつかる。言いたい放題のコメントがまた腹筋崩壊。https://www.youtube.com/watch?v=1CN_klSA3go


 ではそこまで言われた市が怒るなり反省するなりして、美化に務めようとしたか。逆だった。「ドイツで一番醜い町観光ツアー」をぶち上げたのである。1960年からここに住んでいるというベテランの観光ガイド(本職は彫刻家だそうだ)が名乗りをあげ、お薦めの醜いスポットを案内してくれることになった。一回200ユーロで市の醜さを満喫できるそうだから、興味のある人は市に問い合わせて見るといい。もうヤケクソである。

ツアーについての市の公式サイトはこちら

市のそのヤケクソぶりはもちろんドイツのメディアでも報道され、「悲しみよこんにちは」ならぬ「悲しみへこんにちは」などと揶揄されていた。
 またわざわざ来たくはない人のためアプリによるデジタルツアーも用意されているそうだが、これだとやはりその醜さが完全には伝わらないのではないだろうか。写真もビデオも対象物が被写体となった時点でほとんど自動的にある種の美が生まれてしまうからである。特にプロの写真家が捕ったりすると芸術になる虞がある。現にそういう人が撮った廃墟の写真など怪しいほどの映像美があるではないか。それではいけない。「絵にも描けない美しさ」と同時に「絵にも描けない醜さ」もあるのだ。この市のボロさはやはり実際に訪れて体験したほうがいい。いやそんなものは体験しないに越したことはないが。

 私はそのガイドツアーに参加したことがないので(誰が参加するか)どこを見学させられるのか知らないが、こう見えても私だって隣町の住人、いくつかお薦めスポットがある。その筆頭がLU市のメインステーションだ。『28.私のせいじゃありません』で一度出したが、この駅は鬼門というばかりでなく、外見もとにかく醜い。普通いやしくも人の住んでいる町のメインステーションといえば少しは華やいだ雰囲気が漂っているものではないのか。華やぐとまでいかなくても電車が来るたびに人が乗り降りし、売店などもあり、ある程度にぎやかなものだ。LU駅にはそういう要素が全く感じられない。どう見ても廃墟であり、下手をすると外から来た人はこれが駅であることを見逃し、素通りしかねないボロさだ。なぜそんなにボロいのかというと、この駅では乗客があまり乗り降りしないからである。乗り換えはする。また先の記事でも書いたように、突然電車がこの駅で止まって進まなくなり、乗客がホームに放り出されることはある。が、駅から外へ出たり、ここの駅から電車に乗ってくる人が少なすぎるのだ。だから普通なら力を入れて綺麗な建物になっている駅の正面玄関というものがない。人が乗り降りしないのだから売店の類もほとんどない。常に薄暗く人がいない。つまりほとんど廃墟なのだ。

これが本当に市のメインステーションの入口なのか?!上を通るのは駅の建物とは無関係なアウトバーン(下記参照)。https://de-academic.com/dic.nsf/dewiki/885316から
Ludwigshafen_Hauptbahnhof_20100828
昼なお暗い、ホームを結ぶLU駅地下道。https://www.probahn-rhein-neckar.de/position/40-jahre-hbf-ludwigshafenから
Hbf-LU07
 では少なくとも電車が通過したり止まったりするホームのある駅の構内は雰囲気が明るいかと言うとこれが入口以上に陰気だ。
 駅のホームには色々な方向から電車が入ってきていろいろな方向に出ていく。しかし少なくとも駅の構内では線路は並行に走っているのが普通だ。バラけるのは駅を出てからである。ところがLU駅では構内ですでに線路の方向がバラバラなのである。だからホームがきちんと皆同じ大きさの四角形になっていない。大きさや長さに大小があるだけでなく、幅も広かったり狭かったりしている上に形も台形というか三角形というか五角形というかよくわからない形状である。よくわからないからきれいに敷石を引くこともできず、ショボいアスファルトで表面が覆われている。安物のアスファルトだからすでに表面がザラザラのボコボコである。もちろんひび割れて間から雑草が茂っている。ついでにホームが広くなっているところには木が生えている。さすがにこの木は勝手に生えてきたのではなく(ジャングルかよ)人が植えたのだが、手入れされてないからまるで駅のそこここに藪が生い茂っているようだ。木の根元にはビンやカン、食べ物の包み紙が捨てられている。

ホームのど真ん中にやたらとショボい草や木が生えている。https://abload.de/image.php?img=img_2807joz8.jpgから
img_2807joz8
 さらにホームのど真ん中にやたらとデカイ柱が立っている。これは駅の建物とは関係ない柱で、見上げると頭の上をアウトバーンが通っている、そのアウトバーンの柱が駅の構内にドーンと鎮座しているのだ。思い出してほしい。日本でも高速道路の真下がどうなっているか。妙に埃っぽくて薄暗くて非常に陰気だろう。ガードレールなんかも薄汚れている。LU駅はまさにそういう雰囲気なのだ。中央部、つまりかろうじて人の行き来があるホームの真ん中ですでにそういう状態だから、ホームの端などはすごいことになっている。アスファルトの表面にはコケが生え、もちろん隙間と言う隙間には草が生い茂る。雨でも降れば堂々たる水たまりができる。これで石灯籠でも立てれば完全にワビ・サビの世界、日本庭園だ。足りないのはカエルの鳴き声だけだ(鳥はすでに鳴いている)。

駅のど真ん中に鎮座するのは駅とは関係ないアウトバーンの柱。https://www.probahn-rhein-neckar.de/position/40-jahre-hbf-ludwigshafenから
Hbf-Lu03
ここに石灯籠でも立てなさい。https://abload.de/image.php?img=img_28583pzc.jpgから
img_28583pzc
 ホームには屋根がある。しかしこれがまた陰気さにさらに拍車をかけている。ペンキは剥げ、そこから赤茶色の錆が覗いている。その上に無頓着にまたペンキを塗るから再び剥げて表面に凹凸ができしかも変な斑になっている。その上そんな努力も空しく立派に雨漏りがする。雨漏りがしないのはアウトバーンの真下のみ。つまりアウトバーンが屋根代わりになっているのだ。
 まだある。そのバラバラホームの3番線から10番線までは地階を走り、1番線と2番線はそれと交差する形で上を通っているのだが、その上の路線のホームがまた凄い。壁も足元も薄汚れ、ホームの端がコケ寺状態なのは下の線路と同じだが、ここは上にあるだけに頭上のアウトバーンとも近く、車が通過する音がゴーゴー聞こえてくる。

アウトバーンが屋根代わり。https://www.probahn-rhein-neckar.de/position/40-jahre-hbf-ludwigshafenから
Hbf-LU02
柵はサビと埃まみれ。上を通るのはアウトバーン。https://abload.de/image.php?から
img_2847fr75
 つまり一言でいうとLU駅は駅の態をなしていないのである。もっとも多少駅の作りが雑でも建物がボロくても人通りがあれば駅のメンツは保てる。世界にはこれ以上のボロ駅などいくらもあるが、大荷物を抱えた乗客が溢れ、家畜まで行き来し、来る電車が住民の足として頼りにされている雰囲気が伝わってきて微笑ましいくらいだ。LU駅にはその微笑ましさが全くない。頼りにされていないどころか避けられているからだ。
 また上で「どう見ても廃墟」「ほとんど廃墟」と書いて「ほとんど」をつけたのはダテではない。ここが本当に廃墟だったら退廃の美というか滅びの美学というかある種の美しさが漂うものだが、LU駅は細々とではあるが生意気にICEも止まるなど変に利用はされてしまっているため、その退廃の美を持つことができない。廃墟にさえなれていないのだ。本当に救いようがない。

廃墟にさえなれないLUメインステーション。ウィキペディアから。https://rhein-neckar-wiki.de/Ludwigshafen_am_Rhein#/media/Datei:Ludwigshafen_Hbf_02.jpg
Ludwigshafen_Hbf_02
 上記のように私が夕方遅く放り出されたのはこういう駅であるが、その程度の事故は日常茶飯事。さらにその後こんなこともあった。前の駅で電車に乗ると突然車内に「この電車はLUまでしか行きません」というアナウンスが入る。車内表示にもそうはっきり表示が出ている。こういう突然の予定変更はよくあるのでまたかと思い、他の乗客と共に魔のLU駅で下りる。せめて代理の便が用意されていないのかと皆で陰気なホーム上をウロウロ歩いていたら、乗ってきた電車の後部から運転手が顔を出して(この便は普通LU駅で切り離されて前部だけが先に進むので後部にも運転手がいる)、「お客さん方、いったい何処へ行くんです?」と不思議そうに聞く。私たちが「今日は電車全体がLUで終わりですと言われました」と答えると「んなことありませんよ。前部はいつも通り先に行きますよ」というではないか。私たちが大急ぎで今降りた車両に戻ると、相変わらず「この便はLUまでです」と表示したまま電車はちゃっかり出発した。乗客をナメとんのかおんどりゃ?それともドイツ鉄道は何か乗客に恨みでもあるのか?
 しかしこれしきの嫌がらせで怒っていたらとてもドイツ鉄道とは付き合えない。こういうこともあった。私は他の乗客とともに上の2番線で電車を待っていた。珍しくわずか3分遅れで私たちの電車がやってきたが、なぜか一本向こうの線路を走り、止まるはずのLU駅には止まらず通過してしまったのである。ホームで待っていた私たちは一瞬何が起こったのかわからなかった。やっと数秒後、止まるはずの電車に無視されたことに気付くともう阿鼻叫喚である。隣に立っていた男性はその電車で来るガールフレンドを出迎えようとして来ていたそうだが、駅が飛ばされたのですぐ車内のガールフレンドに電話した。「ちょっとなにこれ?!なんで通り過ぎるのよ!」という叫び声が私のところまで聞こえてきた。
 おまけに10分後に来るはずの次の便は突然削除され、私たちはホームを降りて全く別の路線で目的地に向かうしかなかった。その間アナウンスやお知らせの類は全くナシである。そこまでされてもそれまでベンチに悠々と座っていた別の男性が全くあわてず騒がず「多分誰かがポイントの切り替えを間違ったか、運転が本日初日だったんでしょう」と静かにコメントしていた。さすがドイツ人は悟っている。日本人はとてもここまで悟りを開くことはできない。

 これがLUメインステーションだが、駅も駅なら町も町、この町にしてこの駅ありで、LU市はどこもだいたいこんな感じである。「悲しみ」(上記参照)どころではない、「絶望よこんにちは」になりそうだが勇気のある人は一度見学してみるといい。スリル満点、下手なお化け屋敷より楽しめること請け合いだ。やたらとこぎれいな城、その周りで外国人の観光客からできるだけ金を搾り取ろうと手ぐすね引いているレストランや土産物屋の類が全くない、お薦めの観光スポットである(薦めないが)。

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前に書いた記事の図表を画像に変更しました(レイアウトが機種やブラウザによって、特にスマホではグチャグチャになるようなので)。当然と言えば当然ですが、北ドイツにはデンマーク語の地域があります。

元の記事はこちら
内容はこの記事と同じです。

 以前にもちょっと述べたが、ドイツの土着言語はドイツ語だけではない。国レベルの公用語はたしかにドイツ語だけだが、ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章(『130.サルタナがやって来た』『37.ソルブ語のV』『50.ヨーロッパ最大の少数言語』参照)に従って正式に少数民族の言語と認められ保護されている言語が4言語ある。つまりドイツでは5言語が正規言語だ。
 言語事情が特に複雑なのはドイツの最北シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州で、フリースラント語(ドイツ語でFriesisch、フリースラント語でFriisk)、低地ドイツ語(ドイツ語でNiederdeutsch、低地ドイツ語でPlattdüütsch)、デンマーク語(ドイツ語でDänisch、デンマーク語でDansk)、そしてもちろんドイツ語が正規言語であるがロマニ語話者も住んでいるから、つまりソルブ語以外の少数言語をすべて同州が網羅しているわけだ。扱いが難しいのはフリースラント語で、それ自体が小言語であるうえ内部での差が激しく、一言語として安易に一括りするには問題があるそうだ。スイスのレト・ロマン語もそんな感じらしいが、有力な「フリースランド標準語」的な方言がない。話されている地域もシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州ばかりでなく、ニーダーザクセン州にも話者がいる。そこでfriesische Sprachen、フリースラント諸語という複数名称が使われることがよくある。大きく分けて北フリースラント語、西フリースラント語、ザターラント語(または東フリースラント語)に区別されるがそのグループ内でもいろいろ差があり、例えば北フリースラント語についてはちょっと昔のことになるが1975年にNils Århammarというまさに北ゲルマン語的な苗字の学者がシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州の言語状況の報告をしている。

北フリースラント(諸)語の状況。
Århammar, Nils. 1975. Historisch-soziolinguistische Aspekte der Nordfriesischen Mehrsprachigkeit: p.130から

nordfriesisch

 さて、デンマーク語はドイツの少数民族でただ一つ「本国」のある民族の言語だが、この言語の保護政策はうまくいっているようだ。まず欧州言語憲章の批准国はどういう保護政策を行ったか、その政策がどのような効果を挙げているか定期的に委員会に報告しなければいけない。批准して「はいそれまでよ」としらばっくれることができず、本当になにがしかの保護措置が求められるのだが、ドイツも結構その「なにがしか」をきちんとやっているらしい。例えば前にデンマークとの国境都市フレンスブルクから来た大学生が高校の第二外国語でデンマーク語をやったと言っていた。こちらの高校の第二外国語といえばフランス語やスペイン語などの大言語をやるのが普通だが、当地ではデンマーク語の授業が提供されているわけである。
 さらに欧州言語憲章のずっと以前、1955年にすでにいわゆる独・丁政府間で交わされた「ボン・コペンハーゲン宣言」Bonn-Kopenhagener Erklärungenというステートメントによってドイツ国内にはデンマーク人が、デンマーク国内にはドイツ人がそれぞれ少数民族として存在すること、両政府はそれらの少数民族のアイデンティティを尊重して無理やり多数民族に同化させないこと、という取り決めをしている。シュレスヴィヒのデンマーク人は国籍はドイツのまま安心してデンマーク人としての文化やアイデンティティを保っていけるのだ。
 シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州には第二次大戦後すぐ作られた南シュレスヴィヒ選挙人同盟という政党(ドイツ語でSüdschleswigscher Wählerverband、デンマーク語でSydslesvigsk Vælgerforening、北フリースラント語でSöödschlaswiksche Wäälerferbånd、略称SSW)があるが、この政党も「ボン・コペンハーゲン宣言」によって特権を与えられた。ドイツでは1953年以来政治政党は選挙時に5%以上の票を取らないと州議会にも連邦議会にも入れないという「5パーセント枠」が設けられているのだが、SSWはその制限を免除されて得票率5%以下でも州議会に参入できることになったのである。

SSWの得票率。なるほど5%に届くことはまれなようだ。ウィキペディアから
SSW_Landtagswahlergebnisse.svg

 こうやって少数言語・少数民族政策がある程度成功していることは基本的に歓迎すべき状況なので、まさにこの成功自体に重大な問題点が潜んでいるなどという発想は普通浮かばないが、Elin Fredstedという人がまさにその点をついている。
 独・丁双方から保護されているのはあくまで標準デンマーク語だ。しかしシュレスヴィヒの本当の土着言語は標準語ではなく、南ユトランド語(ドイツ語でSüdjütisch、デンマーク語でSønderjysk)なのである。このことは上述のÅrhammarもはっきり書いていて、氏はこの地(北フリースラント)で話されている言語は、フリースラント語、低地ドイツ語、デンマーク語南ユトランド方言で、その上に二つの標準語、標準ドイツ語と標準デンマークが書き言葉としてかぶさっている、と描写している。書き言葉のない南ユトランド語と標準デンマーク語とのダイグロシア状態だ、と。言い変えれば標準デンマーク語はあくまで「外から来た」言語なのである。この強力な外来言語に押されて本来の民族言語南ユトランド語が消滅の危機に瀕している、とFredstedは2003年の論文で指摘している。この人は南ユトランド語のネイティブ・スピーカーだ。

 南ユトランド語は13世紀から14世紀の中世デンマーク語から発展してきたもので、波動説の定式通り、中央では失われてしまった古い言語要素を保持している部分があるそうだ。あくまで話し言葉であるが、標準デンマーク語と比べてみるといろいろ面白い違いがある。下の表を見てほしい。まず、標準語でstødと呼ばれる特有の声門閉鎖音が入るところが南ユトランド語では現れない(最初の4例)。また l と n が対応している例もある(最後の1例):
Tabelle-132
 もちろん形態素やシンタクスの面でも差があって、南ユトランド語は語形変化の語尾が消失してしまったおかげで、例えば単数・複数の違いが語尾で表せなくなったため、そのかわりに語幹の音調を変化させて示すようになったりしているそうだ。語彙では低地ドイツ語からの借用が多い。長い間接触していたからである。

 中世、12世紀ごろに当地に成立したシュレスヴィヒ公国の書き言葉は最初(当然)ラテン語だったが、1400年ごろから低地ドイツ語(ハンザ同盟のころだ)になり、さらに1600年ごろからは高地ドイツ語を書き言葉として使い始めた。その間も話し言葉のほうは南ユトランド語だった。これに対してデンマーク王国のほうでは標準語化されたデンマーク語が書き言葉であったため、実際に話されていた方言は吸収されて消えて行ってしまったそうだ。『114.沖縄独立シミュレーション』でも述べたように「似た言語がかぶさると吸収・消滅する危険性が高い」というパターンそのものである。シュレスヴィヒ公国ではかぶさった言語が異質であったため、南ユトランド語は話し言葉として残ったのだ。公国北部ではこれが、公国南部では低地ドイツ語が話されていたという。低地ドイツ語がジワジワと南ユトランド語を浸食していってはいたようだが、19世紀まではまあこの状況はあまり変化がなかった。
 1848年から1864年にかけていわゆるデンマーク戦争の結果、シュレスヴィヒはドイツ(プロイセン)領になった。書き言葉が高地ドイツ語に統一されたわけだが、その時点では住民の多数がバイリンガルであった。例えば上のFredsted氏の祖母は1882年生まれで高等教育は受けていない農民だったというが、母語は南ユトランド語で、家庭内ではこれを使い、学校では高地ドイツ語で授業を受けた。さらに話された低地ドイツ語もよく分かったし、標準デンマーク語でも読み書きができたそうだ。
 第一世界大戦の後、1920年に国民投票が行われ住民の意思で北シュレスヴィヒはデンマークに、南シュレスヴィヒはドイツに帰属することになった。その結果北シュレスヴィヒにはドイツ語話者が、南シュレスヴィヒにはデンマーク語話者がそれぞれ少数民族として残ることになったのである。デンマーク系ドイツ人は約5万人(別の調べでは10万人)、ドイツ系デンマーク人は1万5千人から2万人とのことである。

 南シュレスヴィヒがドイツに帰属して間もないころ、1924の時点ではそこの(デンマーク系の)住民の書いたデンマーク語の文書には南ユトランド語やドイツ語の要素が散見されるが1930年以降になるとこれが混じりけのない標準デンマーク語になっている。南ユトランド語や低地ドイツ語はまだ話されてはいたと思われるが、もう優勢言語ではなくなってしまっていたのである。
 これは本国デンマークからの支援のおかげもあるが、社会構造が変わって、もう閉ざされた言語共同体というものが存続しにくくなってしまったのも大きな原因だ。特に第二次大戦後は東欧からドイツ系の住民が本国、例えばフレンスブルクあたりにもどんどん流れ込んできて人口構成そのものが変化した。南ユトランド語も低地ドイツ語もコミュニケーション機能を失い、「話し言葉」として役に立たなくなったのである。現在はシュレスヴィヒ南東部に50人から70人くらいのわずかな南ユトランド語の話者集団がいるに過ぎない。

 デンマークに帰属した北シュレスヴィヒはもともと住民の大半がこの言語を話していたわけだからドイツ側よりは話者がいて、現在およそ10万から15万人が南ユトランド語を話すという。しかし上でもちょっと述べたように、デンマークは特に17世紀ごろからコペンハーゲンの言語を基礎にしている標準デンマーク語を強力に推進、というか強制する言語政策をとっているため南ユトランド語の未来は明るくない。Fredsted氏も学校で「妙な百姓言葉を学校で使うことは認めない。そういう方言を話しているから標準デンマーク語の読み書き能力が発達しないんだ」とまで言い渡されたそうだ。生徒のほうは外では標準デンマーク語だけ使い、南ユトランド語は家でこっそりしゃべるか、もしくはもう後者を放棄して標準語に完全に言語転換するかしか選択肢がない。南ユトランド語に対するこのネガティブな見方は、この地がデンマーク領となるのがコペンハーゲン周りより遅かったのも一因らしい。そういう地域の言語は「ドイツ語その他に汚染された不純物まじりのデンマーク語」とみなされたりするのだという。つまりナショナリストから「お前本当にデンマーク人か?」とつまはじきされるのである。そうやってここ60年か70年の間に南ユトランド語が著しく衰退してしまった。
 かてて加えてドイツ政府までもが「少数言語の保護」と称して標準デンマーク語を支援するからもうどうしようもない。

 が、その南ユトランド語を堂々としゃべっても文句を言われない集団がデンマーク内に存在する。それは皮肉なことに北シュレスヴィヒの少数民族、つまりドイツ系デンマーク人だ。彼らは民族意識は確かにドイツ人だが、第一言語は南ユトランド語である人が相当数いる。少なくともドイツ語・南ユトランド語のバイリンガルである。彼らの書き言葉はドイツ語なので、話し言葉の南ユトランドが吸収される危険性が低い上、少数民族なので南ユトランド語をしゃべっても許される。「デンマーク人ならデンマーク人らしくまともに標準語をしゃべれ」という命令が成り立たないからだ。また、ボン・コペンハーゲン宣言に加えて2000年に欧州言語憲章を批准し2001年から実施しているデンマークはここでもドイツ人を正式な少数民族として認知しているから、「ここはデンマークだ、郷に入っては郷に従ってデンマーク人のようにふるまえ」と押し付けることもできない。ネイティブ・デンマーク人のFredsted氏はこれらドイツ系デンマーク人たちも貴重なデンマーク語方言を保持していってくれるのではないかと希望を持っているらしい。
 惜しむらくはデンマークで少数言語として認められているのがドイツ語の標準語ということである。独・丁で互いに標準語(だけ)を強化しあっているようなのが残念だ。

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 言語学に中和 Neutralisationという専門用語がある。最初使いだしたのは構造主義の言語学者、ということはつまり音韻論学者だ。『47.下ネタ注意』『141.アレクサンダー大王の馬』にも書いたので繰り返しになるが、ドイツ語には語末音硬化 Auslautverhärtung という(私の嫌いな)言葉で表される現象がある。ソナント以外の有声子音が語末(あるいは形態素末)に来ると対応する無声子音に変化する。「対応する」というのは調音点と調音方法は変わらないという意味だ。前の記事で出した例の他に Land [lant] (「国」単数主格)→ Länder [ˈlɛndɐ](同複数主格)、Landes [ˈlandəs](同単数属格)なども語末音硬化の例だ。この無声化をきちんとやらないとドイツ語の発音がモロ初心者っぽくなる。
 これは「変化する」というより本来弁別性を持っていた有声という素性(そせい)がその機能を失うということだ。「素性が一定の条件下でその弁別機能を失う」という現象、これが言語学で言う中和で、手元の事典では次のように定義してある。

Neutralisation:
Aufhebung semantisch relevanter Oppositionen. Die Unmöglichkeit, in einem bestimmten lautlichen Kontext eine Opposition zu realisieren, die in anderen Kontexten zwischen solchen Phonemen besteht, die ein gemeinsames Merkmal (oder eine Reihe gemeinsamer Merkmale) besitzen; Aufhebung der phonologischen Opposition in bestimmten Positionen (…); die Realisierung des Archiphonems.

中和:
意味の区別に重要な二項対立の無効化。他の文脈でなら共通の素性(そせい)(または共通素性の束)をもつような音素間に存在する二項対立が、測定の音声・音韻環境で実現不可能になること。特定の場所での音韻対立の無効化。原音素の実現形。

専門用語の事典にありがちな石のような文章だが、それに加えて専門用語事典特有の自己矛盾に陥っている。これを理解するには「中和」の何たるかがある程度わかっていなければいけない。でないとこの文章は単なる暗号である。つまり専門用語の事典というものはその言葉を知らないから参照するものではないということになる。入門書と同じで(『43.いわゆる入門書について』参照)、すでに知っている用語の理解に誤解はないか確認するためのもので、全くその語の意味を知らない人がノホホンと引いても役に立たない。告白すると実は私も言語学事典を引くと「何を言っているのかわからない」語解説によくぶつかる。

 さてもうちょっと上の中和の定義を見てみよう。原音素という言葉(太字)については以前に述べたがこれはトゥルベツコイの掲げた用語である。トゥルベツコイは大文字を使い、例えば Dと表していたが、アンドレ・マルティネは / t/d / という風に具体的な双方の現実形音素を並べていた。この原音素という観念には批判も出され、ホケットなどもその批判者の一人だが、大元のプラーグ学派も後にこの用語を放棄している。D という上位観念を設けずに中和を t、d 二音素間の問題として扱うことにしたのだ。私も原音素という用語はあくまで「言語学史上の用語」として習った。

 この事典には中和の具体例としてドイツ語の Rad(「車輪」)と Rat(「アドバイス」) のペアが上がっている。前者では語末の d の有声性が中和されて [ʁaːt] になり、本当に t と発音する「アドバイス」[ʁaːt] と全く同じ発音になる。「車輪」が複数になると Räder となって d が語末に来なくなるから本来の有声音に戻り、 [ˈʁɛːdɐ] と発音される。ちょっとこれを図式化してみよう。
Tabelle-188
[+ alveolar + plosive]という部分(太字)が共通項である。ここでは中和されるのが有声対無声の欠如的対立(『128.敵の敵は友だちか』参照)だが、等価対立が中和されることもある。その事典にはスペイン語では語末で /m/ 対 /n/ 、/m/ 対 /ɲ/、 /n/ 対 /ɲ/ の対立が中和されるとあったが、具体例が載っていなかった。そこでこちらで勝手に考えたのだが、そういえばスペイン語には -n で終わる単語は掃いて捨てるほどあるのに、m や ñ で終わる語はない(一つくらいはあるかもしれないがとにかく極めてまれだ)。これらの対立が中和されるということはつまり例えば abejón の語末を m で発音しても ñ と言っても意味に変わりはないということだ。そういえばスペイン語では(イタリア語も)ラテン語の cum(with)が con になっているがこれは中和が文字化されて固定したということなのだろうか。
 他をちょっと見てみたら Akamatsu Tsutomu という人が /m/ 対 /n/ 対 /ɲ/ の対立が中和される英語の例を挙げていた。氏は m を labial nasal、n を apical nasal、ŋ を dorsal nasal と定義しているがそれを(こちらの個人的な趣味で)調音点による定義に統一し、それぞれ [+ labial + nasal]、[+alveolar + nasal]、[+palatal + nasal] としよう。この3つは語末と母音の前では弁別的に機能する:kin(/n/ [n])対 Kim(/m/ [m])対 king(/ŋ/ [ŋ])、あるいは Hanna(h) (/n/ [n])対 hammer(/m/ [m])対 hangar(/ŋ/ [ŋ])。この等価対立 [+ labial] 対 [+alveolar] 対 [+palatal]  が特定子音の前では中和され、p の前では mに、t の前では n に、k の前では ŋ に統一される: camp、hunt、rank。
 上のスペイン語の /n/ 対 /ɲ/ は非口蓋化と口蓋化という欠如的対立なのでまあ図式が簡単だが、正直言ってこの英語の例を「(等価対立の)中和」はどうもわかりにくい。これあの音素の上に君臨する原音素を大文字一つで表すのは難しいのではないだろうか。ここはやはりマルティネ方式をとったほうがいいかもしれない。音声学でならこれらは単なる同化(『148.同化と異化』参照)である。

 コセリウは中和の観念をさらに語彙レベルにまで広げて論じているそうだが、私は等価対立程度で唸っているくらいだからそこまで手を広げられると理解できないのでここではクラシックに音韻の範囲内に留まることにしてあたりを見回すと、もう一つ中和される欠如的対立がある。日本語の高低アクセントだ。付属語のアクセントがそれが付加された自立語のアクセントにせいで無効になる、つまり中和されるのだ。
 たとえば助動詞の「です」である。この語は本来第一モーラにアクセントがあり、「で˥す」と表す。この語が自立語の「橋」「箸」「端」につくとどうなるか。まず「橋」「箸」「端」のアクセントパターンはそれぞれ「はし˥」、「は˥し」、「はし」だ。「橋」と「端」は語だけを発音する時は「第一モーラと第二モーラの音調は異なっていないといけない」という規則に従って、最初のモーラが低、二モーラ目が高となり(この現象は「異化」と呼ぶこともある、『148.同化と異化』参照)どちらも同じになるが、「橋」は最終モーラにアクセントがあるので後続する助詞で音調が下がる。それで「橋が」は低高低、「端が」は無アクセントで音調が下がらないから低高高となる。「箸が」はもともと第一モーラと第二モーラの高さが違っているから異化する必要がなく、高低低。さてこれらの自立語に「です」がつくと「です」のアクセントが中和される。

橋です:はし˥ + で˥す = はし˥です(低高低低)
箸です: は˥し+ で˥す = は˥しです(高低低低)

「で˥す」の˥が消えてしまい、低低となっている。しかし自立語のほうが無アクセントだと突然附属語のアクセントが復活する。

端です: はし + で˥す = はしで˥す(低高高低)

 助動詞ばかりではない。辞書などではすっ飛ばされていたりするが、一モーラの格助詞も実はアクセントを持っているのではないだろうか。順を追うためにまず一モーラの名詞(自立語)を見ると、アクセントのあるものとないものがある。例えば「死」は有アクセントで「し˥」、「詩」は無アクセントで「し」である。後ろに格助詞をつけるとすぐわかる。高音を黄色、低音を水色で(ウクライナの国旗かよ)表してみよう。

死を見た → ˥ ˥
詩を見た →  ˥

さらに「歯」は有アクセント、「葉」は無アクセントである。

歯が落ちた → ˥ ˥ちた
葉が落ちた →  ˥ちた

次に格助詞のあとに助詞をつけてみると、二番目の助詞では音の高さが下がることがわかる。が、に、を、へ、全てそうなる。つまり格助詞は実は有アクセントなのだ。面倒なので当該部分だけ色をつけてみると次のようになる。

「を」で対格を表す。→ ˥…。
「が」と「は」はどう違うんですか?→ ˥ ˥
地名に「に」をつける→ …˥

「橋が」「箸が」という分節では有アクセントの自立語である「橋」と「箸」が格助詞のアクセントを中和していることになる。「端が」の「が」は確かに先行名詞の「端」によっては中和されないが、「端が」が文の直接構成要素である場合、直後に動詞などの自立語が来るからそれによってアクセントが中和されてしまう。あるいは分節の最後尾に来るから単独で発音された場合と同じく、せっかくのアクセントも実現の場を奪われ宙に浮いてしまう、と言った方がいいか。分節の区切り目を括弧で表してみるとこうなる。

葉が落ちた → [˥][˥ちた
端が浮く→ [しが˥][

「浮く」の第一モーラがなのは上記のように異化作用だが、この異化作用はアクセントとは明らかにメカニズムが違い、発動されないことが頻繁にある。「端が浮く」も[はしが˥][うく]と異化なし発音してもあまり気にならない。アクセントをハズされると非常に神経に障るのと対称的である。いずれにせよ、せっかく「が」にアクセントがあっても後続のモーラが同じ分節内ではないため音調が下がらない、上でも述べたがアクセントが無駄使いされているのだ。
 自立性の弱い格助詞がモロに自立語の先行名詞にアクセントを吸い取られること自体は「さもありなん」で驚くこともないのだが、問題は例外があることだ。付加格というか属格の助詞「の」である。他の格助詞は全て先行名詞によってアクセントが中和されるのに、「の」だけは自分のアクセントを吸い取られないどころか逆に先行名詞のアクセントを中和してしまうことがあるのだ。まず一モーラの名詞だが、ここでは「の」はアクセントを失うので他の助詞と同じだ。

死の恐怖→ [˥˥][きょ˥うふ
詩の恐怖→ [˥][きょ˥うふ
(どんな恐怖よ?)

しかし名詞が二モーラ以上になるとむしろ名詞のほうの最終モーラのアクセントが中和されてしまう。

橋のたもと→ [˥˥][もと
端のたもと→ [しの˥][もと
(どんなたもとよ?)

「橋」のアクセントが中和されて「端」と区別がつかなくなってしまう。私の感覚では「橋」のアクセントを保持して「橋のたもと」を[˥˥][もと]と発音するとむしろおかしい。「の」には二モーラ以上の先行名詞の最終モーラのアクセントを中和する力があるということだ。
 これはなぜだろう?「の」と他の助詞とは何が違うのだろう?でも『152.Noとしか言えない見本』でも述べたが、「の」のつく名詞句は文の直接構成要素にはなれず、必ず第二の名詞が後続する。つまり全体で一つの名詞となるわけで、音声・音韻のメカニズムが「合成語」のそれに近づき「自立語と附属語」のパターンから外れるのかもしれない。「˥」と「いがく」が合体すると「˥ばだいがく」 にはならず、「くばだ˥いがく」となり、単純にその合成語を構成している一つ一つの語のアクセントからは導き出せないのと似たようなことなのだろうか。
 さらに「の」は単なる格助詞としての機能ばかりでなく、名詞の機能を受け持つことができる。「この本は私のです」の「私の」は厳密にいえば「私の∅」で、本来「私のN」であった構造でNが消失し、その機能を「の」が代行している。言い換えると「の」は「附属性」が他の格助詞より弱い、裏返すと自立性が強いのかもしれない。
 しかし一方で、そういう「の」の機能の違いが何らかの影響力、中和効果を持っているとしても、それがなぜ「複数モーラの語の最終モーラ」に対してだけ発動するのか。有アクセントの一モーラ語「死の恐怖」では中和されないのは上で述べたが、先行名詞が複数モーラであってもアクセントが最終モーラに来ない場合はその名詞のアクセントは中和されない。

箸のたもと→ [˥しの˥][もと
(いよいよ意味不明)

いや全く言語と言うのは一筋縄ではいかないものだ。

 ところで、上で名前を出した音韻学者の Akamatsu Tsutomu 氏にやはり日本語アクセントの中和現象を論じた論文がある。アプローチの仕方や用語、また日本語アクセントの記述が私と全く違うのだが、氏も「の」とゼロが後に来ると(繰り返すが氏はそういう言葉を使っていない)、複数モーラ名詞の最終モーラアクセントが中和されることを指摘している。私は上で、分節の最後尾のアクセントは中和されたのではない、実現のきっかけを奪われたのであって、本当の中和とはメカニズムが違う的な意見を述べたが、そう言われてみると確かにこれらをわざわざ区別して考える必要はないかもしれない。定義を見ても「二項対立が測定の音声・音韻環境で実現不可能になること」が中和なのだから、アクセントが分節末でフン詰まりを起こして(もうちょっと上品な表現はできないのか)発動しないのもやはり中和と言えよう。


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 今回のサッカーW杯はスッタモンダの末ドイツがまたしても予選落ちしてアルゼンチンが優勝した。前回ドイツがコケたとき「大丈夫だ。次は韓国でなく日本に負けるから安心しろ」と私が言ったのは単なる冗談(のつもり)だったが、蓋を開けたら現実はそれ以上に過酷、2014年の呪い(『124.驕る平家は久しからず』参照)が全く解けていない展開となった。口は災いの元、相手に対するリスペクトを忘れて傲慢になると自分の方が没落するのは古今から様々な童話やおとぎ話で出しつくされたストーリーである。やはり口は慎んだ方がいい。
 それにしてもアルゼンチンは強かった。ここに勝てたのはサウジアラビアだけだ。本当に凄いチームだ(サウジがだ)。アルゼンチン戦でチームを勝利に導いたサレム・アル・ダウサリ Salem Al-Dawsari  の2点目のゴールは家で取っている新聞でしっかり「今大会で最も美しいゴール20」の一つに選ばれていた。

 しかしサウジアラビア以上に凄かったのはモロッコだろう。予選のグループはモロッコ、クロアチア、カナダ、ベルギーで、ほとんどの人が心の中でクロアチアとベルギーが本戦に進むだろうとふんでいたと思うが、クロアチアとは引き分けたものの、カナダ、ベルギーを粉砕してモロッコがグループ一位で予選を通過した。このあたりから普段いがみ合ったりしているアラブ系やアフリカの国々の人たちがこういう時だけ一致団結しはじめ、世界の広範囲にわたって一大サポート軍団が形成され始めた。しかし本戦第一戦目はスペインである。これもほとんどの人が心の中でスペインの勝利だろうと思っていただろうが、双方得点のないままPK戦に持ち込まれてモロッコが勝った。その得点の入らなかったレギュラータイムも決してダレていたわけではない、点を入れるチャンスもあり、ゴールの試みもあり、結構スリルがある展開ではあったのだ。その時点でアラブ世界を越えて欧州の観戦者も「おや、このチームは結構やるな」と姿勢を正し始めた。そこへ持ってきてあのPK戦である。まずスペイン側の最初の二人が外した。その前に日本・クロアチア戦でやはりPK戦になっていたが、これも日本は始めの二人が外し、ネット上では「PKくらい練習しておけ」などという無責任な発言が書き込まれたりしていたのだ。スペインよお前もかと皆思っただろう。モロッコのほうは二人まで順調に入れていたが3人目がキーパーに阻止されたので、これでスペインの次、キャプテンのブスケツはさすがに入れるだろうからまだ勝負はわからないと皆が(皆って誰よ?)思っていた矢先にブスケツまでキーパーのヤシン・ブヌに止められた。このブヌはボノとも発音され、カナダ生まれでヨーロッパでも活躍しており、結構名を知られているキーパーである。笑い顔が可愛いと評判でブスケツのゴールを止めたときも顔が笑っていたとあちこちで囁かれている。その次、待ったなしの状態で出てきたのがよりによってアシュラフ・ハキミだ。なぜよりによってなのかと言うとハキミはスペイン生まれで、スペインの国籍も持っているからである。そのハキミがパネンカ・キックを入れ試合終了

ブスケツまで止めたPKキラー、笑顔のボノ。https://www.goal.com/en-ng/news/watch-bounou-denies-busquets-as-morocco-reach-world-cup-quarter-finals/blt87c717dee835ee58から
Bounou-smiling-bearbeitet
 PK戦自体もスリルがあったがそれより面白かったのはモロッコ側の観客席の様子である。面白いというと失礼かもしれないが、いい歳のおじさんが涙ぐんだりしている(もっともサウジアラビアがアルゼンチンに勝った時も泣いていたおじさんがいた)その狂喜乱舞ぶりを見たらこちらまで便乗サポートしたくなった。便乗と言えば、モロッコ・スペイン戦の後こちらではクラクションブーブーの自動車が夜っぴて走り回り、通りでは朝まで叫び声がしていた。いくら移民国ドイツと言ってもこの町にそんなにたくさんモロッコ人が住んでいるわけがない。チュニジアやアルジェリア、さらにパレスティナやシリア、エジプト人などアラビア語圏の人たちを全部勘定に入れてもまだ声量が大きすぎる。あれは多分トルコ人までどさくさに紛れて騒いでいたに違いない。
 もうモロッコはこれで十分だ、よくやったお疲れ様と誰もが思ったがまだ先があった。ロナウドのいるポルトガルに勝ったのである。予選でなら部外者が強豪に何かの間違いでチョロっと勝ってしまうことはあるが本選で強豪2チームをやっつけたとなるとさすがに偶然の範囲を超えていないか。続く準決勝ではフランス、3位決定戦でクロアチアに負けはしたが、その時も点を取られて総崩れになどならず、最後まで見るに足る試合を展開した。特にフランス戦でジャワド・エル・ヤミクが後ろ向きの姿勢で試みたあわや同点のゴールは語り草になっている。今さら「たられば」を言っても仕方がないとはいえ、あれが入っていたら試合の流れが完全に変わっていたに違いない。おかげでモロッコの「アトラスの獅子」というニックネームが定着したが、実は私はポルトガル戦の後彼らに「アブド・アル・ラフマーン一世軍」というあだ名をつけていたのである。北アフリカからやってきてイベリア半島全体を征圧したからだ。

エル・ヤミクはこの姿勢でゴールを試みた。引用元はそれぞれ
https://www.eldesmarque.com/futbol/mundial/1608141-las-delicatessen-de-qatar-2022-los-mejores-detalles-de-calidad-del-mundial

https://news.cgtn.com/news/2022-12-15/CGTN-Sports-Talk-France-end-Morocco-s-World-Cup-miracle-1fMBtD64zm0/index.html
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 こちらはモロッコに対して好意的な報道が多かった。モロッコが予選を通過し、アラブ語圏が全部後ろについてフィーバーしている姿を見て現地のレポーターが「政治も日ごろの争いもない。これがスポーツの意義でしょう」と言っていたが、私もそう思った。そもそもうるさく言えばモロッコは「アラブ民族」ではない。住民の多数はベルベル人である。私が以前会ったモロッコ人もアラビア語とベルベル語のバイリンガルだった。だからアフリカ人はもちろん、モロッコを応援するアラブ人たちは異民族を応援していたことになる。ここがスペインに勝った時もパキスタンやインドネシアからまでお祝いの書き込みがあった。逆に当チームの選手は外国生まれ・外国育ちが圧倒的多数。ハキミやボノばかりではない。それら「事実上外国人」の選手をモロッコ中が何の自己矛盾もなく同胞扱いして応援する。国とは何か、民族とは何かを考えさせられた。
 私は個人的に将来「国」というのはそういう方向に進んでいくのがいいと思っている。例えば日本国内の日本人とほぼ同数の日本人が外国生まれ外国育ちで、日本国内の住人も半数くらいが異民族、つまり在外+在日の日本人対在日外国人の割合が2対1,在外日本人対在日住民(そのうち日本民族は半数)の割合が1対2という想定をしてみよう。それだと在日日本人が全体の3割強しかいないことになる。言語的にも在外日本人の中にはもちろん日本語より現地の言語が優勢な人もいる。逆に在日外国人には日本語が母語の人もいる。こうなればちょっと周りと意見が違ったくらいで「お前本当に日本人か」などという意味のない質問を罵声のつもりで浴びせる輩も減るだろう。 
 そもそも選手を見れば瞭然だが、強豪扱いされている欧州のチームはすでに「移民」に頼りきりである。サハラ南北のアフリカ出身の選手がメチャクチャ多い。そうやって普段頼っているくせに彼らがたまにPKを外したりすると恩知らずな人種差別的罵声を浴びせたりする人がいるのは何様だ。それでも彼らが欧州の国のために戦っているのは単に「国には活躍の場所がない。出身国でサッカーなどやっていたらWCなどには永久に出られない」からではないか?出身国でもWCに出られるということになれば、欧州各国のアフリカの選手が雪崩をうって自国に帰り、欧州はスカスカ、ジダンもンバッペもいないチームでフランスはどこまで行けるか見ものだ。今回のモロッコを見ていたらそんな想像までしてしまった。政治的にはモロッコもカタールも個人的にちょっと住みたくはないのだが(褒めたり貶したり忙しすぎるぞ)、欧米だって褒められる部分ばかりではない。とにかくサッカーでは欧米・南米の独占状態がガタつくのは正直歓迎である。

 話が逸れたのでPK戦のことに戻すが、今大会ではPKの失敗が非常に目立った。まず日本もスペインも最初の2人が連続して外した。フランスはそれを見たからか、ンバッペを最初に持ってきた。景気づけというか、「良い例」というか「これに続け」というシグナルだろう。さすがにンバッペは入れたがその後が2人連続で外し、日本、スペインとほぼ同パターンとなってしまった。大体PKというのは入るのがデフォではないのか?だからこそたまにシューターが枠にあてたり(ベッカムのようにホームランをかっ飛ばすのは論外)、キーパーが止めたりすると「おおおっ」となるのだ。3人目くらいからその「おおお」が始まり4人目5人目で緊張感が頂点に達するという展開しか記憶にないので、今度のように最初からボコボコ外すPK戦が続出する症状はカタールの風土病か何かじゃないのかと疑っている。
 その風土病をものともせず平常運転したのがオランダで、対アルゼンチン戦では15枚のイエローカードが飛んだ。これは大会記録だそうだ。アルゼンチン側の分も含めての数だが、例えばボウト・ベグホルストが控えのベンチにいる時からすでに黄を食らうというオランダならではの伝統芸で、途中プチ場内乱闘などもあり、見ている方はさあ次は16文キックが出るぞ(『124.驕る平家は久しからず』参照)とワクワクした。チーム内にデ・ヨングという名前の選手がいたからだ。しかしこのデ・ヨングは名字が同じでもクンフー家デ・ヨングとは別人である。残念ながら(?)待望のケリは披露してくれなかった。

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 前にも出したダイグロシアという言葉がファーガソンの造語と思われがちなのに実はそうではないのに対し、今流行の(?)メリトクラシーという言葉は巷で思われている通り社会学者のマイケル・ヤング Michael Young の造語である。1958年に出版された the rise of the meritocracy というエッセイで登場した。ファーガソンのエッセイ的論文 Diglossia が出たのが1959年、チョムスキーの Syntactic structures が1957年出版だから、まさかヤングがわざと言語学と連動したとは思えないが、とにかく1960年直前から前半にかけてはエポックメーキングな時期だったようだ。ついでに『荒野の用心棒』もこの時期の制作である。
 ファーガソンの Diglossia も論文と言うよりエッセイに近かったが(『162.書き言語と話し言語』参照)、ヤングの the rise of the meritocracy は本当にエッセイである。しかも2033年にそれまでの社会の歩みを追うという設定だからからエッセイと言うよりはSF小説・未来小説のようで、内容は硬いのに「面白い」という言葉がぴったりだった。しかも最後にオチというかどんでん返しまでついている。ファーガソンやトゥルベツコイのエッセイ(『134.トゥルベツコイの印欧語』参照)はここまでスリルはない。提起される問題・議論が「人類社会は何処に行くのか」と「印欧語とは何か」「バイリンガルとは何か」では重みとしてはやはり前者の圧勝だ。印欧語の何たるかなどという問題は実際の生活に全然関わってこないからだ。

 メリトクラシーというのは「業績主義」「能力主義」ということだが、ヤングはこのメリトクラシーをそれまで英国で続いてきた世襲に変わる新しい階級社会として描き出している。「階級社会である」という軸はぶれていないのだ。だからいわゆる社会主義者が唱える「人は皆平等」という考えかたは、「センチメンタル」「ポピュリスト的」として洟もひっかけない。人類皆平等などというのは幻想というわけだ。念のため言っておくと、ヤングはそう主張しているのではなくわざとそういうことを言って問題提起しているだけだからあまりここで落ち込まないことだ。この先さらに描写が過酷になるから心の準備が必要だ。

 以前の英国では世襲的階級社会で、貴族、上流階級、労働者階級という風に枠ができていて、どの枠の中に生まれるかで大方職業や人生が決まってしまっていた。その際各々の階級内にはそれぞれ様々な知能の人がいた。頭のいい貴族もいたが、今の義務教育さえクリアできそうもないバカもいた(「バカ」などという差別用語を使ってしまって申し訳ないがヤングは本当に stupid、moron などの言葉を使っているので失礼)。しかし貴族に生まれればどんなバカでも国の要職につくことができたし金にも困らなかった。逆に下層階級にも天才的な頭脳の人がいたが、生まれが生まれなために社会の階段を這い上がれず、一生単純労働者として自分よりずっと頭の悪い周りの人に混じってトンカチをふるうしかなかった。
 国際間の競争が激しくなってきた昨今、こんなことをやっていたのでは生産性が上がらず国が衰退する。優秀な人を下層階級からドンドン這い上がらせてエリート教育し要職につかせるべきだというので様々な対策が立てられることになる。

 まず教育だ。選抜教育に力を入れるべきで、小学校中学校まで皆同じなんてやり方はアホ。小さい頃から頭の出来に応じて学校は分けるべき。グラマースクールその他の学校格差を廃止して機会均等とやらのために一律の総合学校なんかを設置するのは害にしかならない。頭が悪い生徒といっしょになんかさせておいたら、馬鹿が感染してしまい(とまで露骨な言い方をヤングはしていないが)子供の発達が障害される。できるだけ早い時期に頭のいい子だけでまとめ、エリート教育を開始すべきだ。エリート、つまり国や企業を引っ張っていく力のある人間というのは単に頭の回転が早いだけではだめ、それ相応の教養・立ち居振る舞いを身に着ける必要があるが、そういうのは付け焼刃で身につくものではない。特に下層階級の子供は才能があると分かった時点で上流階級の子供以上にできるだけ早く周りの馬鹿から引き離し自分と同等のIQの子供たちと(だけ)接触させるべき。でないと長年染みついてきた下賤さが振り落とせない。下層階級からIQの高い子供を引っ張り上げてエリートにするのは国益である。
 ヤングはアメリカの教育制度についてもちょっと触れ、馬鹿も利口も一律にエレメンタリ→ジュニア・ハイ→シニア・ハイと進む「平等」な教育をコキ下ろしている。もっとも幸いアメリカには大学間にレベルの差があって、そこで生徒が競争でき、頭の出来によって、いい大学・馬鹿大学というランク分けできるからまだいいが、実は17歳18歳になってからやっとIQによる選抜が始まるのでは遅いのだ。本来小学校に入る以前からしっかり知能検査して振り分けるべき。そして能力のない子供は下手に高等教育に進学させたりしないで中学程度で教育を終わらせ、さっさと働かせなさい。進学させたってどうせついていけないのだから。

 能力のある子供が下層階級だった場合逆の問題が出てくることがある。階級にふさわしく両親の人生観も下賤なことが多く、「知」の価値がわかっていない。せっかく自分の子供が知能的に高等教育の資格を持っていても「大学なんかに行く金が無駄。それよりさっさと就職しろ」と教育を中断させたりする。そういう下賤な親を黙らせるためにグラマースクールに行けた生徒には給料を出したらどうだろう。下手な労働者より多く出してやれば利口な子供の邪魔をする馬鹿な親も黙るだろう。
 もっとも能力のある下層階級の子供を「吸い上げる」のはそれでもまあ比較的簡単だ。やっかいなのは上流階級の子供が馬鹿だった場合である。親は自分たちは上流だと思っているし金もあるから子供にどうしても高等教育を受けさせたがる。さらに自分の所有している会社の幹部にしたがったりする。しかし能力・知能もない奴に大学に来られたりしたら周りの利口な学生の足を引っ張るから社会の迷惑だ。また頭の悪い奴が経営している企業が増えたら国益が損なわれる。同族経営、コネ進学などを不可能にするような制度が必要だ。例えば国民全員のIQリストを国が管理するというのはどうだろう。まあ日本のマイナンバーに「IQ」という項目があるようなものだ。

 もちろん能力検査のやりかたは心理学者や脳神経学者が研究を重ねて、能力のある人を捕りこぼさないようにしていかなければいけない。またIQ検査も受験者が当日たまたま風邪を引いていたり心の悩みを抱えていたりして低く出る可能性もあるし、そもそもスロースターターで知能の高さがある程度の年齢になってからジワジワ現れてくる人もいるからIQ検査は定期的に何度でも受け直せてアップデートできるようにする必要がある。

 つまり目ざすべき社会では学歴と能力・実力が完全に一致していて、学歴を見れば実力がすぐわかる社会、能力がある者だけがのし上がれ、貴族だろうが親が金持ちだろうが馬鹿だったら下に甘んじてもらうという、ある意味非常に厳しい階級社会なのである。いわゆる社内教育にもヤングは否定的。企業がグラマースクールや大学の真似事をして偉ぶりたい気持ちはわかるが、そんなものは「正規の学歴」の代わりにはならないというわけである。
 学者が粋を集めた能力検査は非常に精密なので無能な人がいいスコアを出してしまったり、能力のある人を捕りこぼしたりはしないようになっている上、上で述べたように繰り返しがきく。グラマースクールの生徒には給料が出る。そこまでしてやっても這い上がれない労働者階級と言うのは要するに能力がないということ。運が悪いの金がないからだのという慰めは通用しない(「彼らは劣等感を持っているのではない、実際に劣等なのだ」という表現が出てくる)。「勉強だけデキテモー」とか「頭デッカチ」と能力上流階級を罵ることもできない。IQの高い者にはその「社会の実力」も身につけさせるからである。救いようがない厳しさだ。その厳しい階級制度を維持するにはいろいろ解決すべき課題が生じる。
 まず、能力的に下層階級の人をどうするか。彼らが嫉妬や絶望のあまり外で暴れたり人生に希望を失って自暴自棄になったりしないよう懐柔しないといけない。その1は彼らにスポーツをさせることだ。頭で誇れない代わりに筋肉自慢をさせて得意になっていて貰えばいい。その2は、自分は下層でもいつか頭の良い子供や孫が生まれるかもしれないと、次の世代に希望を持たせ、自分は一生下層階級という人生に甘んじてもらうことだ。その3は「何もしない」ことだ。能力が下層の人にはそもそも組織的な抗議運動を起こしたり、政治の場に代表を送り込んだりできる頭はないから譬え多少暴れてもそれは単発に終わり、社会不安にまではならないだろう。
 さらにこれもある意味懐柔策だが、職業名称などをマイルドにしてあまり下層感を持たせないように変更する。だから例えば rat-catcher の代わりに rodent officer、lavatory cleaner の代わりに amenities attendant、 worker でなく technician と呼ぶ。Labour PartyはTechnicians Partyという名前に変更だ。こういうリップサービスをしておけば彼らもまあ自分が高級になったような気になってくれるだろう。

 ここまでですでに背筋が寒くなるが、まだ先がある。もう鬱病になりそうだ。

 さて、馬鹿が劣等感に駆られて暴れないように懐柔策を練ることに成功はしたとする。しかしそこでさらに大きな問題が起こる。IQ上流階級の人がドンドン社会を合理化し生産性が上がるにつれてIQの低い人たちにできる仕事が減っていくのである。単純作業などは皆機械がやるからだ。彼らに居場所を提供してやらないと社会が不安定になる。解決策としてIQの低い人たちには高い人たちの召使になってもらうというのはどうだろう。生産性の高い人がその能力を全て社会のために発揮できるよう、部屋の掃除やスーパーでの買い物などという下賤な仕事から解放してやり、そういう些末な作業はそれにふさわしいIQの人たちにやってもらえばいい。そうすれば能力的下層階級の人も失業しないで済む。
 
 ここでお花畑の社会主義者からクレームがつく。人間の価値とは何か?学歴・能力・IQだけが人間の価値なのか?それに対する答えはこうだ。人間の価値、美徳の基準などというものは世につれて変わる。昔槍をもって戦争していたころは力が強く人殺しの上手いのが美徳だった。封建制の頃は忍従の美徳、自分を捨ててご主君様に追従するのが美徳とされた。今の社会では生産性が美徳なのである。今の時代は学歴IQの高いものは低学歴よりも人間としての価値があるのだ。時代や社会に全く影響されないユニバーサルな「人間の価値」などというものは社会主義者のお花畑脳の産物だ。
 そもそも馬鹿も利口も選挙で同じ一票が入れられるというのは不合理だ。IQ値の高い人の一票は馬鹿の何倍かの重みを与えたほうがいい。

 しかしメリトクラシー社会を内部から不安定にしそうな要素は馬鹿の暴走ばかりではない。実は議会制・民主主義が危なくなる危険性があるのだ。今述べた「学歴によって一票の重みに差をつける」というのも相当危ないが、例えば労働者を代表する党を考えてみて欲しい。党員になるのはつまり労働者、知的下層階級である。そういう知能平均の党とそれよりずっと知能の高い大学教授や企業主を代表とする党はそもそも議会で話合う事さえできない。言語能力、教育程度が違いすぎるからだ。議会の権限を弱めて立法機能の一部を行政側に移行する手もあるがそれでは議会が単なる飾りになってしまう危険がある。それだと民主主義そのものがヤバくなるので(上述のように馬鹿の一票を軽くしたりすればすでに十分ヤバくなると思うが)、「下層階級の声を代表する」党が幹部や党員を当該階級でなく、ヨソのもっとIQの高い職業層から引っ張って来るしかない。どちらにしてもIQが下と見なされる職業層は政治に自分たちの声を送り込めなくなるのだ。これをどうするかが課題となる。

 もう一つの課題は女性問題である。基本的にはIQの高い女性にはドシドシ上昇してもらって馬鹿な男がのさばったりしないようにするのが国益だ。制度を整備してそういうことにならないようにすべきだが、現在の社会時点では実際問題として結婚すると女性の負担が増え、能力を上手く生かせないことが頻繁だ。そこで女性は結婚生活と仕事と力を半々に分散させるか、あるいは家事なんかはIQの低い召使に全部任せるか、さらにあるいは自分のIQを犠牲にして家庭生活を選ぶかということになるが、子供が生まれると頭だけでなく体にも負担が出るのでたとえ召使を使っても女性のIQの損失を賄いきれない。またIQの高い女性は当然子供も少なくとも自分と同等のIQを持ち自分より下の階級に落ちないように望むから、その確率を上げるため(頭のいい両親に馬鹿が生まれることだってある)できるだけIQ値の高い配偶者を探すようになる。
 だが考えてみて欲しい。結婚すると自分のIQが無駄になるのは確実、譬え高知能の配偶者を選んでも自分の子供が下に転落する危険性があるとなれば、馬鹿でもない限り(これらの女性は文字通り馬鹿ではない)結婚なんてヤーメタとなるだろう。子供も下手に自分で産んで転落のリスクを犯すより出来合い、つまり労働者階級の親から生まれた高IQ値の子供を養子として持ってきた方が確実だ。それで「養子仲介業」が盛んになる。下層階級の人はすぐ金のことを考えるので養子受け入れ側の女性が親にたんまり金を出せばすべて丸く収まる。この人身売買があまりにも横行したため、ついに政府は養子制限令を出すに至る。でないと一旦能力の上流階級に属してしまうとそれが世襲する危険が生じるからだ。
 そうこうするうち能力検査のやりかたも脳神経学者たちの努力の結果非常に確実さを増し、子供が生まれた時点、いや生まれる前にすでに将来のIQがわかるようになる。これも養子獲得競争が熾烈化した原因だ。

  以上がヤングの2034年以前の英国社会のシミュレーションである。昔は生まれた家柄で人生や職業が決まってしまっていたが、それが生まれたときのIQでその後の人生がすべて決まるようになるのだ。もっともヤング自身も描き出しているように実際は様々な問題が噴出してきてそうすんなりとは行かない。それからどうなるのか、人類社会はどこに行くのかという問題提起がエッセイの趣旨だ。

 ヤングのこのシミュレーションは舞台が英国社会に限られている。英国が台頭してきたアメリカ、ソ連、アジア諸国と生産性競争で勝ち抜くにはどういう社会を目ざすべきかというシミュレーションである。このエッセイが書かれたのは1958年だからまだ現在のようにはグローバル化が進んでいなかった頃なので、その点では視点が狭い。ちょっとこれを世界規模にまで敷衍して思考ゲームをして見よう。

 今までは生まれた国で一生を過ごすのが基本であった。国にはもちろん馬鹿から天才まで幅広い知能、幅広い能力の人がいた。イギリスの閉ざされた階級社会のようなものだ。このカースト、国籍だの民族の壁が取り払われて頭のいい人はジャンジャン自分の生まれた国を出てもっといい国に移動するべき、出身階級・出身国になんてこだわっていないで「上流国」に渡ってそこで自分の能力を十分発揮するのが人類全体の発展のためという国際社会の社会意識や価値観、コンセンサスが確立されたとする。というよりすでにそれがある程度コンセンサスだが。すると文明文化・技術の進んだ国にはガンガン世界から頭のいい高学歴の人が集まってくる。頭のいい人は語学だって得意だから言葉の壁なんて屁のようなものだ。そうやって住民の50%がIQ150以上である国が出てくる一方、国民の1%くらいしかIQ150がいない(むしろそっちのほうが普通だろよ)国も生じる。IQ100以下などめったにいない国とIQが80くらいの人が10%以上もいる(これもそっちが普通)国ができる。150と80ではお互い意思の相通が困難になるほどだから、国連総会なんて存在意義がなくなる。そもそも国民総低IQになったら政治ができないから国が成り立たない。ヤングのシミュレーションした英国の労働党ではないが、自党のメンバーでは組織を維持できないから頭のいい人を外国から引っ張ってきて行政をやってもらうしかない。
 では高IQ国が万々歳かというとそうはいかない。その国にふさわしくないような頭の悪い自国民をどうすべきかという問題が生ずる。馬鹿に国内に居残られたら自国民・移民を問わず頭のいい人たちの足を引っ張るからである。それに国内にはそういう人たちが就ける仕事も能力の高い人の召使くらいしかない。やはり定期的に国民にIQ検査をして一定のスコアを取れなかった人は等級の低い国に移住してもらおう。国民引き取り代として向こうの国に金を払えば喜んで馬鹿を受け入れてくれるに違いない。こちらも別の意味で言葉の壁の心配などいらない。引受先にはどうせサバイバル程度の語学で足りる仕事しかないからだ。
 現在の調子だとそういうことを本当にやる国が出てきそうで怖い。

 こういうのが人類の幸福か。「冗談じゃない」というのが私の気持ちであるが、ではこういう暴走をふせぐために逆にガッチガチに民族・国籍で国を囲ってしまい、ちょっと外国人が来たくらいでパニックを起こし、自国民が出ていくと裏切者だのもう帰って来るななどの罵声を浴びせる国ならいいのかというと、それも「勘弁してくれ」だ。「外人来るな」はむしろ実行が簡単だろうが、能力のある自国民の流出を食い止めるのは難しい。頭のいい人は国を出る能力もあるからだ。その力のある自国民を引き留めるのがどんなにむずかしいかは、旧ソ連や東ドイツを見ればわかる。壁を作り情報を統制し国民を監視するには膨大な費用がかかる。この国際競争時代にそんなムダ金を使っていたら国は衰退するばかりだ。物質・経済面ばかりではない、壁を作ってしまったら中の国民は精神的にもガラパゴス化し、知識をアップデートできないから周りの発展についていけない、搾りカスのような国民国家になること請け合いである。

 つまりメリトクラシー全開の国とガラパゴス単一民族国家間の選択は「冗談じゃない」か「勘弁してくれ」かの選択ということになる。ドイツ語ではこういう状態を表わすのに「ペストかコレラかのどちらかを選べ」という言葉がある。まさに救いようのない選択肢だ。

the rise of the meritocracy の表紙。表紙のイラストはちょっと可愛いが中身は過酷。
rise-of-meritocracy

本の内容はこちら。表紙が上とちょっと違いますが…

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