アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

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 時々「言語汚染」とか「言葉の乱れ」という言い回しを耳にするが、もちろん正規の言葉ではない。そんなものはない、と言い切る人もいる。水質汚染のようにどんな基準を満たしたら汚染とみなすかがはっきりしていない、いわば感情論から出た観念だからだ。大雑把に言って「言語汚染」は外部の言語の要素の流入に対して、そして「言葉の乱れ(崩れ)」は当該言語内部での変化に対して向けられたものという違いはあるがどちらも規範的な考え方の人が言語の変化に対して抱くネガティブな感情である。「大雑把に言って」と言ったのはグレーゾーンがあるからだ。
 外来語、特にカタカナ語が連発されるのは言語汚染、いわゆるら抜き言葉は言葉の乱れの範疇内だろうが、例えば「会議が持たれました」的な、本来日本語にはなかった文構造が外国語の影響で使われるようになった場合は言語汚染なのか言葉の乱れなのか解釈が分かれるだろう。言語汚染などというものはないと考える人にとっては汚染か乱れかなどという議論そのものが不毛だろうが、中立な価値観に立つ言葉に置き換えてみるとこれは外来要素として扱うべきかあくまで当該言語内部の変化とみるかという問題でまあ議論の価値はあるとは思う。翻訳論(『119.ちょっと拝借』参照)にもかかわってくるからである。私個人は今の段階の日本語での「会議が持たれます」は外来要素とみなしてもいいと思っている。
 しかしこの外来要素というのが実はそれ自体曲者で、何をもって外部の言語とするかという問題自体がそもそも難しく、『111.方言か独立言語か』の項で述べた通りスッパリとは決められない。ユーゴスラビア内戦の爪痕がまだ生々しかったころ「クロアチア語によるセルビア語の汚染」とか「ボスニア語からセルビア語の借用語を排除すべきだ」などという議論を時々耳にしたが、この3言語は語彙の大部分を共有しており、この語はクロアチア語、これはセルビア語とホイホイ区分けなどできるものではない。それでも無理やり見ればボスニア語にはトルコ語からの借用語が多いといえるが、そのボスニア語はボスニア内のクロアチア人が母語なのである。こういう状況で「言語汚染」とか「言語浄化」とか「外来語」などと目くじらを立ててみても始まらないのではなかろうか。
 「外来語」を共時的に定義するのが難しいばかりではない、さらに通時的な視点からみると「外部の言語の要素」と「外来語」が完全にイコールではないことがわかる。日本も明治時代まで、いやある意味では第二次世界大戦の終わりまでそうだったが、書き言葉と話し言葉が非常に離れていてそれぞれ別言語とみなすのが適当であるような言語社会が世界にはたくさんある。いわゆるダイグロシア(『137.マルタの墓』参照)と呼ばれる状態であるが、その規範でがんじがらめになった書き言葉でも書いているうちにどうしても話し言葉の要素が食い込んでくる。これは汚染なのか言葉の乱れなのか。前者にとって後者はある意味立派な「外部の言語」なのだが、当該言語の使い手自身は書き言葉と話し言葉は一つの言語のつもりでいるから、これは乱れと見る人が多いだろう。でも見方によってはこれは汚染である。ところがなぜか逆方向、つまり話し言葉に書き言葉が紛れ込んできてしまった場合、例えば「これは私の若日の写真ですよ」などと言ってしまった場合には「話し言葉が書き言葉に汚染された」とは言わない。理不尽な話だ。

 さらに言語汚染・言葉の乱れという言葉とペアで使われるのがいわゆる「言語浄化」という言い回し。真っ先に思い浮かぶのは第二次世界大戦中に日本がやった敵性語の廃止という措置だろうが、これも理不尽なことに排除されたのは英語からの借用語だけで、英語と同様外国語でありしかも戦争をしていた国の言語、中国語からの借用語はノータッチだった。中国語をとり除いてしまったら日本語での言語生活が成り立たなくなるからだろう。理不尽というよりご都合主義である。もっともこの手の浄化運動は日本人だけでなくほとんどあらゆる民族がやっている。韓国では戦後日本語排斥運動が盛んになったそうだし、こちらではフランスの言語政策が有名で現在でも英語の侵略に対する処置なのか例えばコンピューターをordinateurと言わせるなど、言語を計画的に規制している。他の言語ではたいていcomputerという英語からの借用語を使っているところだ。日本語の「計算機」にあたる翻訳語を使うこともあるが(例えばドイツ語のRechner、クロアチア語のračunaloなど)、あくまで「コンピューター」と併用だ。フランス語ではordinateurのみで、しかもこれは翻訳ですらない。意識的な造語という色が濃い。またカタロニアもスペイン語の侵略を食い止めようといろいろやっているらしい。方言に牙が向けられることもある。日本人が沖縄でやった悪名高い方言札などはその最たるもの。共通語の中に方言を持ち込むと共通語が汚されるというわけだ。上述のフランスもやっぱりというか方言に冷たく言語の多様性を守ることには消極的だ。プロヴァンス語やブルトン語をパトワといって排除しようとした。ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章にもまだ批准していない。「言葉の乱れ」のほうも浄化対象になる。「本当は〇〇というのが正しい。最近の若者は言葉の使い方がなっとらん」、こういう発言がなされなかった言語社会は人類発生以来一つもないのではないだろうか。
 しかし言葉を純粋に保つことなどできるのだろうか?そもそも純粋言語というものがあるのだろうか?そもそも現在世界最強言語のひとつ、英語というのがフランス語とドイツ語の混合言語である。そのフランス語自身も元をただせばラテン語とケルト語の混交だ。こういうことを言い出すと全くキリがない。どこの民族だって他の民族と接触し混交しながら発展してきたのだ。純粋な言語など理屈からしてありえない。また仮にホモサピエンス発生以来全く孤立し、他と全く交流しないで来た集団があったとしよう。そこの言語は全く変化せずに何万年も前と同じ状態を保持できるか?これはRudi Kellerという人がその名もズバリなSprachwandel(「言語の変遷」)という著書でNoと言っている。私も同じ考えだ。百年もたてばどんなに孤立した言語でも変化する。言語は必ず内部変化を起こす。止めることはできない。

 ではだからと言って言語はまったくいじらず、なるがままにまかせておけばいいのか?言語の変化を人工的に規制しようとするな、しても無駄だ、言語学者にはそういうことをいう人もいるがこれは言葉通りに取れない場合もある。『34.言語学と語学の違い』でも書いたように言語学者がそういうことを言う時、矛先を向けているのは言語いじりそのものでなくそれに伴う規範意識だからだ。どの言語・どの方言が優秀とか正しいかとか言った価値判断・優劣判断を否定しているだけで、いわゆるlanguage planning、言語計画の必要性を否定しているわけではない。それどころか言語計画を専門にして食べていっている学者だって多い。この言語プランニングという作業には、標準語の制定、母語者向け・非母語者向けの教科書作り、言語教育などがあるが、少数言語の保護、またまれには死語の復活などもまたプランニングに含まれる。いずれにせよその出発点にあるのは「記述」である。いい悪い、正しい正しくないなどということは一切言わないでまず当該言語を無心に記述する。そしてその言語共同体で最も理解者が多いか、他の理由で一番便利と判断されたバリアントを標準語あるいは公式言語ということにしましょうと取り決め、言葉の使い方や正書法を整備する、これがcodificationである。あくまで「便宜上こういう言語形を使うことにしようではありませんか」という提案・取り決めであって、他の形を使うなとかこの形が一番正しいとかいっているのではない。当該共同体での言語生活が潤滑に行くようにするための方便に過ぎない。ここを勘違いして優劣判断を持ちこむ者が後を絶たないのでそれに怒って上記のようにやや発言が過激になるのだ。
 取り決められた標準形は絶対の存在でも金科玉条でもない。外来語が入ってきたために元の単語が使われなくなったり、内部変化で文法が変わったり、言語は常に変化していくからそれに合わせて標準語も定期的にメンテしていかなければならない。よく言われることだが、外国人のほうが「正しい」言葉を使うことがあるのは、外国人の習う標準語がその時点で実際に使われている言語より時間的に一歩遅れているからである。例えばドイツ語の während(~の間に、~の時に)や statt(~の代わりに)という前置詞は前は属格支配だったが、現在ではほとんど与格を取るようになっている。つまり大抵の人は「第二次世界大戦中に」を während dem zweiten Weltkrieg という。これを während des zweiten Weltkriegs と意地になって属格を使っているのは私などの外国人くらいなものだ。「私の代わりに」はstatt mir が主流で statt meiner と言ったら笑われたことがある。人称代名詞の属格など「もう誰も使わない」そうだ。さらに statt mirさえそもそも「古く」、普通の人は für mich で済ます。しかし逆に古くて褒められることもある。昔何かの試験で verwerfen(「はねつける、いうことをきかない」)の命令形単数として verwirf と書いたら、年配の教授にムチャクチャ褒められて面くらった。他のドイツ人は皆ウムラウトなしの verwerfe という形を書いたそうだ。クラスメートは「母語者が全員間違って正しい形を書いたのは外国人だけ。恥を知りなさい」とまで言われていた。要するに同じことをやっても褒められたり笑われたりするのである。
 しかし逆に日本に来れば「恥を知りなさい、日本人」の例がいくらもある。例えば上でもちょっと述べたら抜き言葉であるが、私がここ何年間かネットの書き込みなどを注意して観察しているぶんには、すでに95%くらいが「見れる」「食べれる」「寝れる」を使っている。私のようにこれも意地になって「見られる」「食べられる」「寝られる」と言っているのは完全な少数派、それもそれこそ意地になってある程度気合を入れないとつい「見れる」「来れる」と言いそうになる。これに対して外国人の日本語学習者はいともすんなりと「見られる」「来られる」が出る。外国人はそれしか習っていないのだから当然といえば当然ともいえるのだが、ここで恥を知らなければいけないのは日本人であろう。
 このら抜きに関しては、いくら私が意地になっても将来これが標準形になると思う(それとももう標準形として承認されているのだろうか)。合理的な理由があるからだ。一つの助動詞、れる・られるが受動・自発・可能(『49.あなたは癌だと思われる』参照)・尊敬などとといくつも機能を持っていると非常に不便だということ。できれば一形態一機能に越したことはない。特に受動と可能などという全く関係のない機能を同じ助動詞で表せというのは無理がありすぎだ。第一グループ、俗にいう5段活用動詞にはすでに可能を表現するのにれる・られるを使わずに活用のパターンを変化させるやり方が存在する。読む→読める、書く→書けるという形のほうを可能に使い、本来可能を表せるはずの「読まれる」「書かれる」は受動など事実上可能以外の意味専用と化している。私個人は I can read 、I can write を「私はこの本が読まれます」「私は日本語が書かれます」とは絶対言わない。「私はこの本が読めます」「日本語が書けます」オンリーであって、れる形は「この本は広く読まれている」「あいつに悪口を書かれた」といった受動だけである。「眠る」や「行く」などはかろうじて「昨日はよく眠られませんでした」とか「明日なら行かれますが」ともいうことがあるが、「眠れませんでした」「行けますが」を出してしまうことのほうがずっと多い。つまり第一グループではすでに受動と可能が形の上で分かれているのだ。だから第二グループ、いわゆる上一段・下一段動詞でもこの二つは分けれたほうが統一が取れる。そこで「食べられる」は受動、「食べれる」は可能と決めてしまい、「人によっては可能表現に受動と同じ形を使う」と注をつければいい。第3グループの「来る」も「来れる」と「来られる」で分ける。もう一つの第3グループ動詞「する」は元から「できる」と「される」に分かれているのだから問題ない。
 問題はこれをどうやって文法記述するかだが、これがなかなかやっかいだ。手の一つに第一グループの「-る」、第二・第三グループの「-れる」を異形態素としてまとめ、「-れる」及び「-られる」とは別形態素ということにしてしまうという方法がある。さらに第一グループも第二グループも可能の助動詞は仮定形に接続するとする。第一グループの語幹「読め-」は実際に仮定形と同じだからOK,第二グループは動詞語幹を母音までとしてしまえばどんな助動詞が来ても語幹はどうせ変化しないことになるからこれを仮定形だと言い張る。だがこれはあくまで「読める」「書ける」方の形の歴史的な発達過程を無視しているわけだからどこかに無理がでる。「読めない」と「読まない」の対称でわかる通り否定の助動詞の「-ない」が未然形にも仮定形にも接続することになって、統一が崩れるのが痛い。それよりさらに無理があるのが(無理があると思っているなら最初から言うな)動詞のパラダイムを現在の未然・連用・終止・連体・仮定・命令の6つからさらに増やして未然・連用・終止・連体・仮定・命令・可能の7体系にし、「読め・る」を可能形とするやり方だ。しかしこれも「-ない」の接続が未然と可能の二つに許されるという問題は解決しないばかりか、-e が仮定・命令・可能の3機能を担うことになり、無駄にややこしくなる。ロシア語の数詞問題でもそうだったが(『58.語学書は強姦魔』)、通時面を全く無視して共時的視点だけで言語を記述しようとするとどこかにほころびがでるようだ。もっとも今の学校文法はむしろ逆に意地になって通時面にしがみつきすぎているような気もする。一つの語形としてまとめられている未然形、連用形にそれぞれ2形がある一方、事実上形に区別のない終止と連体、仮定と命令が二つに分かれている。外国語として教える日本語の文法と学校文法の乖離が大きいのも当然だ。やはりここらで学校文法も全面的にメンテしたほうがいいのではないだろうかとは思う。
 第二の方法は可能を表す方法が第一と第二グループ動詞では異なり、第一グループでは語形変化でなく「派生」により、第二グループでは助動詞「れる」を仮定形につけて行うとすることだ。そこで注として派生のしかたを説明しておく。つまり語幹(第一グループの動詞というのはつまり「子音語幹」だから)に-eruを付加して辞書形とし、助動詞は必要ないと。こちらの方が言語事実には合っていると思うが、これも説明が少しややこしいし、ここでもやはり第一グループと第二グループとの亀裂がさらに深まっている。実際はどうなっているのかと思ってちょっと現行の教科書を覗いてみたら、可能表現については第一グループは「読む→読める」のタイプ、第二グループは「食べる→食べられる」という風に(事実上完全に少数派でなっている)られる形をやらせているようだ。でももう「食べる→食べれる」に市民権を与えてもいいのではないだろうか。「可能表現は第一グループと第二グループで全く作り方が違い、前者は派生で、後者は語幹に「れる」を付加して作る(まれに「られる」を付加する場合もある)。受動形その他は第一グループは「れる」、第二は「られる」付加で形成する」と説明する。確かに第一と第二の亀裂は深まるが、その代わり可能と受動その他の亀裂も深まるからかえってすっきりするかもしれない。第三グループについてはどうせ2つしかメンバーがいないから、少数差別するわけではないがまあ「例外です」で済ませる。表現する変化を汚染だろ乱れだろと排除ばかりしていないで時期を見て正式に認めてやるといいと思う。それとももう言語学の方の(つまり語学ではない方の)日本語文法ではすでにそういう方向の記述になっているのだろうか。

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 ある意味ではマカロニウエスタンの元の元の大元は黒澤映画、つまり日本の侍映画である。だがこれを模倣してジャンルを確立したセルジオ・レオーネの作品自体からはストーリー以外には特に日本映画の影響は感じ取れない。言い換えるとジャンルを作り出したのはあくまでレオーネの業績で、実際後続のマカロニウエスタンの作品から見て取れるのは顔の極度のアップとか長いカットなどレオーネのスタイルの影響である。
 しかし一方で『荒野の用心棒』の原作が黒沢の『用心棒』であることは皆わかっていたわけだし、『羅生門』がベネチアでグランプリをとるなど日本映画が当時のイタリア映画界には知られていたということで日本映画・東洋映画が完全に無視もされていなかったようだ。レオーネの第二作『夕陽のガンマン』に中国人が出てくるのは私には作品をパクリ扱いされて(まあ実際そうなのだが)裁判まで起こされたレオーネが「あっそ。じゃあ日本の侍ではなくて中国人ならいいだろ」とある種の皮肉を込めて登場させたような気がしてならないのだが(考えすぎ)、その他に東洋人が出てくるマカロニウエスタンは結構ある。セルジオ・ソリーマの『血斗のジャンゴ』(何度も言うが、Faccia a facciaというタイトルのまじめなこの映画にこんな邦題つけやがった奴は前に出ろ!)にも東洋人の女性が出てくる。1969年にもドン・テイラーとイタロ・ツィンガレッリ監督の『5人の軍隊』Un esercito di 5 uominiというマカロニウエスタンに丹波哲郎がズバリサムライ役で出演しているが、それよりトニーノ・チェルヴィの『野獣暁に死す』のほうが有名なのではないだろうか。黒沢の『用心棒』に出ていた仲代達也を準主役に起用している。もっとも起用はしているが日本人役ではなく、民族不明な設定で名前もジェームス・エルフィーゴという、アメリカ人のつもりなのかメキシコ人ということなのかそれとも先住民系なのかよくわからないが、とにかく完全に向こう風である。仲代氏は俗に言うソース顔で容貌がちょっと日本人の平均からは離れているからまあメキシコ人ということにもできたのかもしれない。稲葉義男やビートたけしでは無理だったのではなかろうか(ごめんなさい)。氏を素直に日本人という設定にしなかったのはマカロニウエスタンに日本人が出てきたりするとストーリー上無理がありすぎたからだろう。あの時代のアメリカに早々日本人がいるわけがないからだ(だからテレンス・ヤングの『レッド・サン』など私は違和感しか感じなかった)。まあその無理を丹波の『5人の軍隊』ではやってしまっているが、『野獣暁に死す』にしてもチェルヴィは「サムライ」は意識していたようでエルフィーゴがマチェットをぶん回すシーンでのマチェットの構え方が完全に日本刀だった。私はこれを見たとき「これじゃまるで日本人だ。全然「エルフィーゴ」という感じがしない。どうして監督はこんな構え方を直さなかったんだろう」と思ったのだが、実はトニーノ・チェルヴィ監督がサムライを意識して特に日本刀みたいにやらせたのだそうだ。そういわれてみるとそのストーリー、主人公が目的のために名うてのガンマンの人集めをしていくという部分に『七人の侍』との共通性が感じられないこともない。

マチェットを構えるジェームス・エルフィーゴこと仲代達也。構え方がどう見ても日本刀。

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 さて、この『野獣暁に死す』は制作年が1967年、劇場公開日が1968年3月28日で意外にも『殺しが静かにやって来る』の前である。後者は制作が1968年、公開が同年11月19日だ。「意外にも」と書いたのは、前にもちょっと書いたように(『78.「体系」とは何か』参照)主人公や脇役の容貌などに『殺しが静かにやって来る』を想起させるものが多く、私は最初前者が後者をパクったのかと思ったからだ。作品や監督の有名度から言ったら『殺しが静かにやって来る』のほうがずっと上だったせいもある。まあジャンルファンに限って言えば「セルジオ・コルブッチの名を知らない者はない」と言ってもいいだろう。「マカロニウエスタンが好きです。でもコルブッチって誰ですか?」と言っている人がいたらその人はモグリである。それに対して『野獣暁に死す』を撮ったトニーノ・チェルヴィは西部劇はこれ一本しかとっていないし、活動分野もむしろプロデュース業の方で監督は副業だったから知名度もあまり高くない。1959年にはコルブッチの映画の制作もしているし、その後1962年にフェリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティ、モニチェリで共同監督した『ボッカチオ70』(カルロ・ポンティと共同制作)、1964年にもアントニオーニの『赤い砂漠』などの大物映画を手掛けてはいるがそもそもプロデューサーの名というのははあまり外には出て来ない。「チェルヴィって誰ですか?」と聞いても別にモグリ扱いはされるまい。
 さてその『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』だが、比べてみるとまずそれぞれブレット・ハルゼイとジャン・ルイ・トランティニャン演じる主人公たちがどちらもちょっとメランコリックな顔つきで黒装束で雰囲気がそっくりだ。

左が『野獣暁に死す』のブレット・ハルゼイ、右が『殺しが静かにやって来る』のジャン・ルイ・トランティニャン
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このハルゼイという俳優は一度TVシリーズの『刑事コロンボ』でも見かけたことがある。1975年のDeath Lends a Hand『指輪の爪あと』という話で、レイ・ミランドも出ていた。ちょっと繊細な雰囲気で割と女性にウケそうなルックスだ。
 主人公ばかりではない、『殺しが静かにやって来る』でクラウス・キンスキーが演じた敵役と『野獣暁に死す』のフランシス・モランことウィリアム・ベルガーがどちらも金髪で共通だ。『87.血斗のジャンゴと殺しが静かにやって来る』で『血斗のジャンゴ』のベルガーと『殺しが静かにやって来る』のキンスキーが顔の作りそのものは全く違うのに似た雰囲気だと書いたが『野獣暁に死す』のベルガーを見ていると実はこの二人は顔も意外に似ているようだ。少なくとも双方ちょっと角ばった顎をしていて、顔の輪郭が同じである。

左が『野獣暁に死す』のウィリアム・ベルガー、右が『殺しが静かにやって来る』のクラウス・キンスキー
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ということで、最初チェルヴィが『殺しが静かにやって来る』からパクったのかと思っていたら実は前者の方が先に制作されたと知って驚いた。『血斗のジャンゴ』と『殺しが静かにやって来る』を比べたりするときもうっかりすると前者が後者から引用したようにとってしまいかねないが、これも後者の方が制作が後である。それではハルゼイの演じた人物の原型はどこから来たのかというと、やはり『続・荒野の用心棒』のジャンゴ以外にはなかろう(再び『78.「体系」とは何か』参照)。黒装束でどこかメランコリックという、以降の何十何百ものマカロニウエスタンの主人公の原型となったキャラクターである。その意味ではレオーネよりコルブッチのほうが影響力が強烈だったといえるのではないだろうか。つまり『殺しが静かにやって来る』→『野獣暁に死す』という流れではなくて『続・荒野の用心棒』→『野獣暁に死す』、『続・荒野の用心棒』→『殺しが静かにやって来る』という二つの流れがあって『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』の主人公のキャラクターが似ているのは間接的なつながりに過ぎないということか。『続・荒野の用心棒』と『殺しが静かにやって来る』はどちらもセルジオ・コルブッチが監督だから自己引用というかリサイクルというか、とにかく「パクリ」ではない。
 
上段左が『野獣暁に死す』のハルゼイ、右が『殺しが静かにやって来る』のトランティニャン、下段が元祖『続・荒野の用心棒』のフランコ・ネロ
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 上でも述べたようにチェルヴィは本来制作畑の人らしいが、この映画は危なげなく出来上がっていると思う。プログラムピクチャーの域は出ていないがこのジャンルの平均水準(レオーネやソリーマは平均的マカロニウエスタンなどではない。上の上の部類である)を明らかに超えている。脚本にダリオ・アルジェントを持ってきたせいか、ラストの森の中のシーンなどはちょっと背筋の体温が下がりそうな、ある種怪しい美しさがあるほどだ。現にいまだに新しくDVDが出たりしている。買う人がいるからだろう。
 この作品にとって不幸だったのは、バッド・スペンサーが出演していたことだ。誰が見てもちょっと陰気な復讐映画なのに、コメディ映画・ギャグ映画として紹介されてしまったからである。特にドイツでの偏向宣伝ぶりがひどい。バッド・スペンサーがテレンス・ヒルと組んでドタバタコメディを量産し始めたのはこの後のことで、『野獣暁に死す』の製作当時はスペンサーはまだ普通の役でマカロニウエスタンに出ていた。この映画でもスペンサーはあくまで頼りになるガンマン役である。ラスト近くには仲代に撃たれた挙句マチェットで切りつけられて大怪我をするしごくまじめで大変な役で、ハルゼイのメランコリックぶりといい、ベルガーの陰気さといい、とにかく笑えるシーンなど一つもない。それなのにスペンサーが出ているというだけで、劇場公開当時はきちんと「今日は俺、明日はお前」Heute ich… morgen Du!という復讐劇を想起するまともなタイトルであったのが、その後「このデブ、ブレーキが利かないぞ」Der Dicke ist nicht zu bremsenという誹謗中傷もののタイトルに変更され、スペンサーのドタバタ西部劇として売り出されたのである。カバーの絵もハルゼイや仲代は完全に無視されてスペンサーが大口を開けて笑っているものだ。ここまで不自然な歪曲も珍しい。笑うつもりでこのDVDを買って強姦シーンやアルジェント的な首つりシーンを見せられ、騙されたと感じた客から抗議でもあったのか最新のDVDには「なんとあのスペンサーがまじめな役!」という注意喚起的な謳い文句がつけてある。そんな後出しをするくらいなら始めからタイトル変更などせず、スペンサーの名も絵も前面に出さずに、ハルゼイと仲代の暗そうな顔でも使えばよかったのだ。さらに上記の『5人の軍隊』のほうもスペンサーが出ていたため、後にタイトルが歪曲されてDicker, lass die Fetzen fliegen「おいデブ、コテンパンにのしてやれ」となっている。面白いことに(面白くないが)『5人の軍隊』も脚本がアルジェントだ。この調子だと仮に『殺しが静かにやって来る』でフランク・ヴォルフがやった保安官役をスペンサーがやっていたらこれもドタバタコメディ扱いされていたに違いない。そりゃ完全に詐欺であろう。でもそういえば『殺しが静かにやってくる』には見たとたんに全身脱力症に襲われて二度と立ち上がれなくなるハッピーエンドバージョンがあるが、あれなら確かにスペンサーが保安官の方が合っていたかもしれない。

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 琥珀のことをドイツ語でBernsteinというが、このBern- は本来brenn-つまり現代標準ドイツ語のbrennen 「燃える」、言い換えるとBernstein の本来の形は Brennstein「燃える石」だ。古高ドイツ語では実際にそう呼んでいた。このbrennen という動詞は元々は二つの違った動詞であったものが新高ドイツ語期になって合体してひとつになったものだそうだ:その一つは「燃える」という強変化の自動詞で8世紀の古高ドイツ語、ゴート語でbrinnan、古ノルド語で  brinna、中高ドイツ語で brinnen、もう一つは「燃やす」という弱変化の他動詞で古高ドイツ語、中高ドイツ語で brennen、古ノルド語で brenna、ゴート語で gabrannjan といった。ところがそのうち中期低地ドイツ語、中期オランダ語にbernen(自動詞・他動詞共)、古期英語に beornan(自動詞)、 bœrnan(他動詞)(この二つは後に burn という一つの動詞に融合した)という形が現れた。それで13世紀の中期低地ドイツ語では琥珀を bernestēn。barnstēn、börnstēnなどと言っていた。現在のBernstein はこれらの低地ドイツ語形が新高ドイツ語に取り入れられて18世紀に定着したものだ。
 この二つを比べると(英語も含めた)低地ドイツ語と高地ドイツ語では母音と子音 r の順番がひっくり返っているのがわかるが、こういった現象を「音位転換」Metatheseといい、いろいろな言語で極めて頻繁に観察される現象である。日本語にもある。例えば「新しい」は本来「あらたし」であったのが、r と t の位置が転換してそのまま固定してしまった。言い間違えで音韻転換してしまうこともよくある。一度「かいつぶり」を「かいつびる」と言った子供を見たが、これも u と i のメタテーゼだ。

 「琥珀」のBrennstein→Bernsteinで見られるような母音と流音の音位転換を特にLiquidametathese(liquid metathesis)「流音音位転換」(発音しにくい言葉だなあ)というが、スラブ語がこれで有名なのでliquid metathesis という本来一般的な言葉が「スラブ語流音音位転換 」Slavic liquid metathesis の意味で使われることがある。スラブ祖語では母音+流音であったのが南スラブ諸語では流音+母音と順序が逆転し(つまり音位転換を起こし)、東スラブ諸語では「充音現象」 полногласие (『56.背水の陣』参照)として現れる音韻変化で、ロシア語学習者は以下の呪文のような図式を覚えさせられる。

スラブ祖語→  南スラブ語  東スラブ語  西スラブ語
*TorT   →       TraT                 ToroT           TroT, TraT
*TolT   →       TlaT                  ToloT           TloT, TlaT
*TerT   →       TrijeT, TreT     TereT           TrzeT, TrzoT, TřeT, TřiT
*TelT   →       TlijeT, TleT       ToloT           TleT

Tというのは「任意の子音」という意味。だから TorTは「子音 - o - r - 子音」という音韻連続の図式化である。スラブ祖語で子音 - 母音 o - 流音(r または l)という順番だったのが南スラブ語では子音 - 流音 - 母音と音位転換を起こし、しかも母音化が o から a に代わっているのがわかる(太字部)。ロシア語ではここが母音が添加された полногласиеとなっている。母音が e の場合も基本的に南スラブ語は音位転換、東スラブ語は充音というパターンだが、南スラブ語では祖語の e が ije と e の2通りある。これが『15.衝撃のタイトル』で述べたセルビア語・クロアチア語の je-方言、e-方言の違いである(太字に下線)。ブルガリア語も e だ。また東スラブ語では祖語の e が o となり、流音 l での両母音の区別が失われている。これだけでは抽象的すぎるので例をあげよう。

                   南スラブ語    東スラブ語                          西スラブ語
スラブ祖語 BSK        ロシア語  ウクライナ語  ポーランド語 チェコ語
*gordъ          grad           гóрод         горóд                 gród                 hrad          (囲い)
*golva           glava         голова        голова               głowa               hlava          頭
*bergъ          brijeg         берег          берег                brzeg                břeh           岸
                     breg
*melko          mlijeko       молоко        молоко             mleko               mleko       牛乳
                     mleko
*berza           breza        берёза        береза              brzoza               břiza         白樺

BSKというのはブルガリア語、セルビア語、クロアチア語のことだ。*gordъ の意味が括弧にいれてあるのはこの語が各言語で意味の分化を起こしているからで、クロアチア語の grad、ロシア語の гóрод は「町」、西スラブ語の両言語、それぞれ gród と hrad は「城塞」、ウクライナ語の горóд は「庭」だが元の言葉は一つで「柵で囲まれたところ」という意味だった。*bergъについては南スラブ語だけ他と意味が違っていて(下線部)「丘」となる。
 実は南スラブ語にはBSKの他にも、というよりBSKよりも大物の言語が属している。古教会スラブ語である。『56.背水の陣』にも書いたが、ロシアではこの古教会スラブ語が最初の、そして17世紀から18世紀にかけてロシア語の文章語が成立するまで事実上唯一の文章語だった。10世紀にキリスト教とともに教会スラブ語が伝わってからずっとこれで書いている間にジワジワ土着のロシア語要素が文章語の中に浸入していたのだが、タタールのくびきから解放されて当時のスラブ文化の中心地であった南とのつながりが再開し、セルビア・ブルガリアから再び人や文化が押し寄せたため南スラブ語からの第二の波をかぶった。だからロシア語には今でも南スラブ的要素が目立つ。同じ単語の語形変化や派生語のパターン内で、東スラブ語と南スラブ語系の形が交代する場合が多いほかに、スラブ祖語では一つの単語であった東スラブ語形と南スラブ語形のものがダブって2語になっていることがある。さらに両単語が微妙に意味の細分化を起こしている。上述の記事でもいくつか例を挙げておいたがその他にも次のような例がある。とにかくロシア語ではこういう例が探すとゴロゴロ出てくる。それぞれ*で表してあるのが祖語形、上が東スラブ語(充音を起こしている)、下が南スラブ語(音位転換がみられる)である。

*vold-
волость 領地 行政区
власть (国家)権力

*norvъ 
норов 習慣(古)、頑固さ(口語)
нрав 気質、習慣
(この2語については『24.ベレンコ中尉亡命事件』も参照)

*storn-
сторона 方角、わき、国・地方(口語)
страна 国、地方

*chormъ
хоромы 木造の家(方言または古語)、大きな家(口語)
храм 神殿、殿堂

『56.背水の陣』で述べた「南スラブ語系統の単語や形態素は土着の東スラブ語形にくらべて、高級で上品な語感を持っていたり意味的にも機能的にも一段抽象度が高かったりする」という基本路線が踏襲されていることがわかるだろう。これらは意味が分化したまさにそのために東南双方の語が生き残った例だが、意味の違いが十分でなかったせいで一方が消えてしまったのもある。例えば「若い」は今は東形の молодой しか使われないがちょっと前まではこれと並行した南系の младойという形があった(祖語形は*mold-)。意味的には違わなくとも後者には文語的で高級なニュアンスがあったそうだが衰退した。もっとも原級形では消えたが最上級では南スラブ語系の младший が生き残っている。文法的に高度な要素になると南スラブ語要素の割合が高くなるのが面白い。その「ニュアンスの差」さえないとやはり一方が完全消滅してしまうようだ。例えば11世紀前半ごろからノヴゴロドやキエフで書き始められた年代記には власъ(< *vols-)、 врата(< *volta)という形が見られる。今のволос(「髪」)、ворота(「門」)だが、現在ではこれらの南スラブ語形は跡形もない。また град という、今のロシア語では合成語や派生語にしか見られない(これも前項参照)形、これがネストルの『過ぎし年月の物語』のラヴレンチ―写本では「町」という単独の語として使われている。そこではград と対応する東スラブ語形 город とが併用されているが、Gerta Hüttel-Folterという学者によるとград はコンスタンチノープルなどビザンチンの都市を、 город はロシアの町を表していることが多いそうだ。他にも微妙なニュアンスの差などがあったらしい。なお、非常に余計なお世話だが Hüttel-Folter 氏の名前、Gerta は Greta(グレタ)が音位転換したものではない。Gerta は本来 Gerda で、比較的最近ノルマン語の女性名 Gerðr から借用されたものだが、Greta のほうは Margareta(英語のMargaret)の前綴りと g の後の母音が消失してできた形である。さらに前者は Gertrud ゲルトルートなどの名前に含まれる形態素 Gerd-とは関係がなく、ゲルトルートのゲルは古高ドイツ語の gēr(「槍」)が起源だそうだ。形がちょっと似ているからと言ってすぐ他とくっつけるのは危険である。

『過ぎし年月の物語』では南スラブ語系のград(点線)と東スラブ語系の  город (実線)が並行して使われている。
Hüttel-Folter, Gerta. 1983.Die trat/torot-Lexeme in den altrussischen Chroniken. Wien: p.142から

grad-gorod-Fertig

 さて話題を本来の琥珀に戻すが、ロシア語では янтарь という。古いロシア語では ентарь だがこの語の起原がいろいろと謎だ。その点について泉井久之助氏が面白い指摘をしている。まず ентарь は昔からロシア語にあった言葉ではありえない。なぜならそうだとすれば古ロシア語では ен の部分が鼻母音の ę [ɛ̃] だったはずで、それなら現在では鼻母音がさらに口母音となり(『38.トム・プライスの死』参照)、ятарь という形をしていなければいけない。現に印欧祖語の*pénkʷe (「5」)はスラブ祖語で*pętь、古教会スラブ語で пѧть (pętĭ)、現在のロシア語で пять になっている。実際 ентарь という語は古教会スラブ語のテキストには出てこないそうだ。10世紀以降の借用語という可能性が高いと氏は述べている。別の資料にはそのころは「琥珀」を表すのに古典ギリシャ語の ἤλεκτρον(「琥珀」)から持ってきた илектр または илектрон という言葉を使っていたとある。ентарь が入って илектр を駆逐したのはそのさらに後のはず。資料によると ентарьが文献に登場したのはやっと1551年になってからだ。
 問題はこの語をどこから持ってきたのかということだが、ロシア語語源事典などにはリトアニア語のgintãras(ラトビア語ではdzĩtars)からの借用とある。泉井氏によればこの gint-ãr-as は印欧祖語の *gʷet-  または *gʷn̩-(「樹脂」)という語幹から理論的に全く問題なく導き出すことができる、語根だけでなく、-ãr、-as などの形態素も印欧祖語からの派生とみなせるそうだ。しかしリトアニア語で gint-ãr-as と、アクセントが第二音節に移動しているのが引っかかる(私ではなく泉井氏に引っかかるのだ。私はいい加減だからそのくらいは妥協する)。というのはリトアニア語などバルト諸語はゲルマン諸語と同様アクセントが第一音節に落ちるのが基本だからだ。事実ラトビア語の dzĩtarsではそうなっている。アクセントが後方に移動するのはまさにロシア語の特徴だから(これも『56.背水の陣』参照)アクセントに限ってはリトアニア語がロシア語から借用したと考えたほうが都合がいいのだが、上述の通りロシア語の янтáрь は素直に印欧祖語から形を導けない。そのイレギュラーなロシア語から借用したのにリトアニア語では理論上印欧語のレギュラー形になっているわけで、これではまるで一度死んだのに墓から復活した吸血鬼である。ロシア語→リトアニア語という方向の借用は可能性が薄い。
 もっともリトアニア語 gint-ãr-as →ロシア語 ентáрь という方向についても、なぜロシア語で語頭の子音が消えているのか、もし gint-ãr-asを借用したのなら жентарь とか гентарь とか語頭に子音がついたはずではないか、気になることはなる。なるはなるが、まあ別に бентарьとか лентарь とか突拍子もない子音がくっ付いてきたわけでもなし、g や dž が j になることくらいはありそうな感じだからスルーすることにした。泉井氏はこの子音消失を随分気にされていたが。とにかくいったんロシア語に入ってしまってからは話が楽でそこからさらに他のスラブ諸語に広まった。ウクライナ語の янта́р、チェコ語の jantar、セルビア語・クロアチア語の jȁntȃr、スロベニア語の jȃntar はロシア語からの借用である。
 
 また gint-ãr-as は実は印欧語起原でなく、リトアニア語がヨソから(もちろんロシア語は除外)取り入れた言葉だという解釈もあるらしく、gint-ãr-as はフェニキア語の jainitar(「海の樹脂」)から来たという記述を見かけた。しかし正直これは都市伝説(違)としか思えない。フェニキア語はすでに紀元前一世紀には死語になっていたのだからリトアニア語が直接フェニキア語から取り入れたはずはなく、別の言語を仲介したのでなければいけない。つまりこの語は元のフェニキア語が滅んでから千年間も別の言語に居候した後やっとリトアニア語にやってきたということになる。ではその居候先はどこなのか。私にはラテン語、古代ギリシャ語、大陸ケルト語しか思いつかないのだが、ギリシャ語とラテン語は琥珀を表すのに別の単語を使っていたから(それぞれ上述の ἤλεκτρον とゲルマン語から借用した glēsum)除外すると残るは大陸ケルト語ということになる。大陸ケルト語は言語資料が非常に乏しいはずだが、「琥珀」という語の記録でもあったのか?とにかくフェニキア語説はミッシング・リンクがデカすぎるのではなかろうか。

 英語で「琥珀」は amber だが、これは中期フランス語を通して入ってきた言葉でイタリア語、スペイン語などもこれを使っている。もともとはアラビア語、そのさらに元はペルシャ語だそうだ。「琥珀」でなく「竜涎香」という意味だったそうだ。
 面白いのはハンガリー語の琥珀で borostyán といい、ドイツ語 Bernstein からの借用であるがその際ちゃっかり東スラブ語のような充音現象をおこし T-er-T が T-oro-T になっている。

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「閑話休題」ならぬ「休題閑話」では人食いアヒルの子がネットなどで見つけた面白い記事を勝手に翻訳して紹介しています。下の記事は2018年10月23日(ちょっと古いです)の南ドイツ新聞印刷版とネット版に同時にのったものですが、当ブログの記事『113.ドイツ帝国の犯罪』で名前を出したJürgen Zimmerer教授の投稿です。ネットのでなく新聞の記事のほうをもとにしましたので、レイアウトなどちょっと違っているところがあります。原文のタイトルは「やたらと煙がたっているわりには火が出ない」というものでした。

ドイツ連邦政府は本気で植民地支配の歴史を見直そうとする気があるのか疑わざるを得ない。

ユルゲン・ツィメラー

 自国の植民地政策の処理の見直し問題でドイツは今ターニングポイントに立っている。政府は何年も前から当時の南西アフリカで行ったジェノサイドの扱いについてナミビアと交渉してきた。夏には連邦政府の文化・メディア部門を担当しているモニカ・グリュッタースがドイツ博物館連盟に向けて、植民地時代に収集した物件をどうすべきかについての手引き第一稿を提出。連邦政府の連立契約にも今回初めて東ドイツや第三帝国時代の処理とともにこの植民地支配政策の見直しの件が取り込まれている。
 しかし本当に今後本気で処理していく気があるのだろうか?批判的な声はすでに前々から出ていて警告を発していたのだが声が大きい割にはあまり目に見える変化が見られない、煙はもうもうと立っているのだが火がでていないのである。例えば植民地から運んできた物件の出所の調査を促進せよという政治イニシアチブだが、これに対しても言い分がある:この調査をする機関が基本的には博物館内部に設置されていることだ。博物館自身でその所有物件の調査をしていいということで、中立な監視もないし、外部の協力もなく、あくまで内部のヒエラルキー構造の内側でやるということ。それでは外側に漏らす情報のコントロールはできるだろうが、失われた信ぴょう性は回復できない。「世界遺産」とか「共有遺産」などという観念を持ち出すと本来の問題がさらにかすんでしまう。なぜこの遺産がほぼ全部北半球にあって、南で称賛してやることができないのかという問題が。
 フンボルト・フォーラムも、ただ単に喪失している植民地支配の記憶を戻そうとするのさえ拒否して騒動が危険なレベルになったが、ここでもやはり国内外の批判者とは議論するのを避けている。議論をする相手は自分で選んだ方がよろしいというわけ。そうこうするうちに新しいディレクターのハルトムート・ドルガーローがきちんと起動するエスタレーターの設置計画の方を(ポスト)植民時代の遺産についての議論より重要視しだした。わかることはわかる。何事もマネージャーが必要だし、極めて時間に迫られてもいるわけだから。それでも言わせてもらうが、未来のことを考えるなら他のやりかたを取るべきだ。
 かてて加えて20世紀最初のジェノサイドを認定する件も結局全然進捗していない。連邦議会の承認もないし、首相や連邦大統領の謝罪もない。
 首相も外相もこの問題についてはすべて口を閉ざしており、文化政策担当の政治家に丸投げする気らしい。植民支配の見直そう、植民支配の思想から脱しようという意思が政治権力の中枢まで届いているのか否か?連邦政府が個人的に委託したアフリカ問題顧問、以前に東独で人権問題に携わっていたCDUの政治家ギュンター・ノーケが行ったインタビューを見ると強い疑問がわいてくる。
 ベルリン新聞に対し、氏は植民支配は「現在にも影響を及ぼしている」ことを認め、「北アメリカの奴隷交易は悪い事だった」と言ってはいる。一方「植民支配は大陸全体を先史時代的な構造から解放した」とのことだ。そもそも「冷戦の方が…植民支配よりよほどアフリカの害になった」と。
 氏の政治使命がどういう分野なのかを考えただけで、この発言、いやそもそもこのインタビュー全体がすでにスキャンダルである。これが首相のアフリカ担当者の発言だろうか!氏がこの調子なのに他の誰に歴史を知れというのか。ホロコーストについての基本的知識さえ持たない、いやそれどころか史実を意識的に捻じ曲げるイスラエル担当官というのが想像できるだろうか。強制連行、自由の剥奪、何百万人もの人々の死、これらに対して「悪い」などという完全に不適切な言葉を使う。それくらいはまあ目をつぶってやろうとする人がいるかもしれない。だが氏は人が連れ去られたのは北アメリカにとどまらず、それ以上の人が南アメリカで奴隷にさせられた事実は全くご存じないらしい。いやもうこのインタビューには植民支配のイメージがしっかり織り込まれている。氏にいわせれば「アフリカは違っている」。ありふれた言い回しだが、本音が透けて見える。そこにはアフリカは近代的ではない、ひょっとしたらいまだに先史時代だとの認識がしみ込んでいるからだ。そしてその実例として出生率の高さに言及し、ニジェールをその極端な例とし、しかもそこでもう使いものにならない古い数値を持ち出す。氏がこういうことをするなら、少なくとも軽率だとは言わせてもらう。
 ノーケはまたヨーロッパは文明を伝播したという例のメルヘンを蒸し返し、植民支配のプロパガンダを行う。氏にすれば植民支配をもっとポジティブなイメージにしなければということなのだろうが、それどころか自身の政治見解が植民支配の続きそのものだ。その調子でノーベル経済学賞ポール・ローマーの思想を拠り所にして、地中海で難民が死んでいくのを食い止めるためにはアフリカに治外法権の飛び地を作れと言い出す:もちろんアフリカ人の福利のためというわけである。植民支配する側の利益を植民支配をされる側の福利だと主張する、これこそまさに「文明の伝道者」の中心要素だった。今もそうだ。
 しかしノーケの考えは植民時代の記憶をなくすのがいかに危険かも示している。私たちはこの手の飛び地が政治的に極めて危険なことを知っているが、それは植民の歴史を見てきたからではないか。治外法権の飛び地を作るのは単に植民地としてそこを占領するための典型手段というばかりではない、それをすると事が自動的に進行しだすのだ。例えばそういう飛び地の一つで騒動が起こったり、外から脅威が迫ったらどうなるだろう?それぞれの飛び地を管理している機構が中の住民を守るために介入しないといけなくなる。そしてその際犠牲者が出ればそのままにしておくことはできず、面目を保持するために増援を送らなければならない。インドなどもそうだったが、そうやって植民帝国全体が植民地化されていったのだ。そしてドイツの植民地帝国自身もそうやって成立したのだ。このことをノーケは知っていなければならない。何といっても交渉しているのは連邦政府、そして氏はその代表のアフリカ担当官なのだ。
 このノーケの件で問われているのはノーケ自身だけでなく、連邦政府全体の信用問題だ。ノーケの扱いの如何によって、政府の連立契約が植民支配の見直しにどれだけの価値があるのか見えてくる。また、モラルの点でそれなりの理由があったなどという言い訳は全部置いておいて、とにかく植民地支配の歴史についてきちんと啓蒙するのが不可欠ということもはっきりしてくるだろう:植民支配を記憶から消してしまおうというのは間違った政治選択である。
 そろそろ本気で植民支配時代の見直しを始めるべきだ。博物館や収集品云々に話を限ってはいけない。オープンでないといけない、そして市民社会全体が自由に参加でき、当時の植民地出身の市民や同僚たちとも議論するようにしないといけない。最近設立された文化会議が、連邦、州、共同体からなる研究グループを作って植民地からの物件の処理を検討していくと発表した。仕事の範囲を広げて植民支配の記憶が残っている地域はすべて網羅し、植民支配について学習、研究する場所をつくるのが目標とのことだ。

元の記事のネット版はこちら
この問題についてのパネルディスカッションはこちら。司会を務めているのがツィメラー教授です。


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 中国とパキスタンを結び、途中標高4714mの高所を通る国道35線は俗にカラコルム・ハイウェイと呼ばれている。1980年代に開通した。この国道のほとりにフンザHunza渓谷という谷があるが、ここで話されているのがブルシャスキー語(アクセントは「ル」にあるそうだ)という言語である。

カラコルム・ハイウェイ。Hunza や Nager (Nagar)という地名が見える。
Karakoram_highway.svg

 谷の一方がフンザ、川を挟んだ向こう側がナゲルNager という地名で、いっしょにされてフンザ・ナゲルと呼ばれていることが多い。しかしこの二つはそれぞれ別の支配者(ブルシャスキー語でtham)に統治される独立国であった。両国間での戦争さえあったそうだ。1891年にイギリスの支配下に入り1947年に自主的にパキスタンへの併合の道を選んだ。長い間君主国としての独立性を保っていたが、ナゲルは1972年フンザは1974年に王国としての地位を失い単なるパキスタン領となった。フンザには約4万人、ナゲルにもほぼ同数のブルシャスキー語話者がいると見られる。両者間には方言差があるが相互理解には何ら支障がない。ナゲルの方が保守的だそうだ。例えばhe does it をナゲルではéću bái といってéću が動詞本体、báiはいわば助動詞だが、これがフンザでは合体してéćái または éćói という形になっている。同様にyou have done it はナゲルでétu báa、フンザでétáa または étóo となる。母音の上についている「´」はアクセント記号だが、フンザではこの短い単語にアクセントが二つある、ということは山が二つあることになるわけでいかにも元は二つの単語だったと思わせる。また本来同じ母音が二つ連続していたのがフンザでは一母音に短縮され、ナゲルで「一ヵ月」は hísa-an というのにフンザでは hísan と母音が縮まっている。語彙の点でもいろいろ相違があるらしい。
 このフンザとナゲルの他にもう一つブルシャスキー語地域がある。フンザ渓谷の北西約100kmのところにあるヤスィンYasinという辺境の谷がそれ。ここの方言はフンザ・ナゲルとはさらにはっきり差があり、フンザ/ナゲル対ヤスィンという図式になるそうだ。それでもやはり相互理解の邪魔にならない程度。このヤスィン方言の話者は昔ナゲルから移住してきた人たちの子孫、つまりヤスィン方言はナゲル方言から分かれたものらしい。いくつかの資料から分かれた時期は16世紀ごろと推定できる。南米スペイン語と本国スペイン語との違い同じようなものか。またヤスィン方言はフンザよりさらに語尾や助詞・助動詞の簡略化が進んでいるとのことだ。オランダ語とアフリカーンスを思い出してしまう。ブルシャスキー語の話者の総数はおよそ10万人だそうだから、単純計算でヤスィン方言の話者は2万人ということになる。でも「10万人」というその数字そのものがあまり正確でないようだから本当のところはわからない。
 ちょっとこの3つの方言を比べてみよう。

「目」
                   Yasin          Hunza              Nager  
単数            -l-ći             -l-ćin                -l-ćin
複数           -l-ćim-u        -l-ćum-u-c        -l-ćim-u-c

「肝臓」
                   Yasin          Hunza           Nager  
単数            -ken            -kin               -kin
複数            -ken-iŋ        -kim-iŋ          -kin-iŋ

「人間・男」
                    Yasin          Hunza        Nager  
単数             hir               hir               hir
複数             hur-í            hir-í            hir-íkanc


「目」と「肝臓」の前にハイフンがついているのは、これらの語が単独では使われず、常に所有関係を表す前綴りが入るからだ(下記参照)。全体的にみると確かにナゲル→フンザ→ヤスィンの順に形が簡略化していっているのがわかる。また、フンザの「目」の複数形などちょっとした例外はあるにしてもヤスィンとフンザ・ナゲル間にはすでに「音韻対応」が成り立つほど離れているのも見える。しかし同時にこれらのバリアントが言語的に非常に近く、差異は単に「方言差」と呼んでもいいことも見て取れる。確かにこれなら相互理解に支障はあるまい。またナゲル→フンザ→ヤスィンの順に簡略化といっても一直線ではなく、例外現象(例えば下記の代名詞の語形変化など)も少なくないのは当然だ。

ブルシャスキー語の話されている地域。上がウィキペディアからだが、雑すぎてイメージがわかないのでhttp://www.proel.org/index.php?pagina=mundo/aisladas/burushaskiという処から別の地図を持ってきた(下)。
Burshaski-lang

burushaski

 ブルシャスキー語の研究は19世紀の半ばあたりから始まった。周りと全く異質な言葉だったため、当時植民地支配していたイギリス人の目に留まっていたのである。最初のころの研究書は量的にも不十分なものだったが、1935年から1938年にかけて出版されたD. L. R. Lorimer 大佐による全3巻の研究書はいまだに歴史的価値を失っていない。氏は英国人で植民地局の役人だった。しかし残念ながらこれもこんにちの目で見るとやはり音韻面の記述始め語彙の説明などでも不正確な面がいろいろあるそうだ。1930年代といえば今の構造主義の言語学が生まれたばかりの頃であるから仕方がないだろう。
 その後も研究者は輩出したが、特筆すべきは Hermann Berger の業績である。ベルガー氏は1957年からブルシャスキー語に関心を寄せていたが、1959年、1961年、1966年、1983年、1987年の5回、現地でフィールドワークを行い、その結果をまとめて1998年に3巻からなる詳細なフンザ・ナゲル方言の研究書を出版した。一巻が文法、2巻がテキストとその翻訳、3巻が辞書だ。最後の5回目のフィールドワークの後1992年から1995年まで現地の研究者とコンタクトが取れ手紙のやり取りをして知識を深めたそうだ。その研究者はデータを集めたはいいが発表の きっかけがつかめずにいて、理論的な下地が出来ていたベルガー氏にその資料を使ってもらったとのことだ。ヤスィン方言についてはすでに1974年に研究を集大成して発表している。
 最初は氏はブルシャスキー語の親族関係、つまりどの語族に属するのかと模索していたようで、一時はバスク語との親族関係も考えていたらしいことは『72.流浪の民』でも紹介した通りであるが、その後自分からその説を破棄しブルシャスキー語は孤立語としてあくまで言語内部の共時的、また通時的構造そのものの解明に心を注ぐようになった。1966年の滞在の時にはすでにカラコルム・ハイウェイの建設が始まっていたので外国人は直接フンザ・ナガル渓谷には入れずラーワルピンディーというところまでしか行けなかったそうだが、そこでインフォーマントには会ってインタビュー調査をやっている。1983年にまた来たときはハイウェイがすでに通っていたわけだが、あたりの様子が全く様変わりしてしまっていたと氏は報告している。

 さてそのブルシャスキー語とはどんな言語なのか。大雑把にいうと膠着語的なSOVの能格言語であるが(大雑把すぎ)、特に面白いと思うのは次の点だ。

 まずさすがインド周辺の言語らしくそり舌音がある。[ʈ, ʈʰ,  ɖ,  ʂ, ʈ͡ʂ ,  ʈ͡ʂʰ,  ɖ͡ʐ , ɻ] の8つで、ベルガーはこれらをそれぞれ ṭ, ṭh, ḍ, ṣ, c̣, c̣h, j̣, ỵ と文字の下の点を打って表記している。それぞれの非そり舌バージョンは [t, tʰ, d, s, t͡s,  t͡sʰ, d͡ʑ , j]、ベルガーの表記では t, th, d, s, c, ch, j, y だ。最後の y、 ỵ の非そり舌バージョンは半母音(今は「接近音」と呼ばれることが多いが)だが、これは母音 i のアロフォンである。つまり ỵ は接近音をそり舌でやるのだ。そんな音が本当に発音できるのかと驚くが、この ỵ は半母音でなく子音の扱いである。また t, tʰ, d  の部分を見るとその音韻組織では無気・帯気が弁別性を持っていることがわかる。さらにそれが弁別的機能を持つのは無声子音のみということも見て取れ、まさに『126.Train to Busan』で論じた通りの図式になってちょっと感動する。

ベルガーによるブルシャスキーの音韻体系。y、w はそれぞれ i、u  のアロフォンということでここには出てこない。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.13 から
burushaski-phoneme-bearbeitet
 しかしそり舌の接近音くらいで驚いてはいけない。ブルシャスキー語には文法性が4つあるのだ。これはすでにLorimer が発見してそれぞれの性を hm、hf、x、y と名付け、現在の研究者もこの名称を踏襲している。各グループの名詞は語形変化の形が違い修飾する形容詞や代名詞の呼応形も異なる、つまりまさに印欧語でいう文法性なのだが、分類基準は基本的に自然性に従っている。hm はhuman masculine で、人間の男性を表す語、人間でない精霊などでも男性とみなされる場合はここに属する。hf はhuman feminine、人間の女性で、男の霊と同じく女神なども hm となる。ただし上で「基本的に」と書いたように微妙な揺れもある。例えばqhudáa(「神」)は hm だが、ことわざ・格言ではこの語が属格で hf の形をとり、語尾に -mo がつくことがある。hf の bilás(「魔女」)は時々 x になる(下記)。この x 、 y という「文法性」には人間以外の生物やモノが含まれるが両者の区別がまた微妙。動物はすべて、そして霊や神で性別の決まっていないものは x 。これらは比較的はっきりしているが生命のない物体になると話が少し注意が必要になる。まず卵とか何かの塊とか硬貨とか数えられるものは x、流動体や均等性のもの、つまり不可算名詞や集合名詞は  y になる。水とか雪とか鉄とか火などがこれである。また抽象名詞もここにはいる。ややこしいのは同じ名詞が複数のカテゴリーに 属する場合があることだ。上で挙げた「揺れ」などではなく、この場合は属するカテゴリーによってニュアンスというより意味が変わる。例えば ráac̣i は hm なら「番人」だがx だと「守護神」、ġénis は hf で「女王」、y で「金」となる。さらに ćhumár は x で「鉄のフライパン」、y で「鉄」、bayú は x だと「岩塩」、つまり塩の塊だが y では私たちが料理の時にパラパラ振りかけたりする砂状の塩だ。
 もちろん名詞ばかりでなく、代名詞にもこの4つの違いがある。ヤスィン方言の単数形の例だが、this はそれぞれの性で以下のような形をとる。hf で -mo という形態素が現れているが、これは上で述べた -mo についての記述と一致する。

hm        hf           x          y
khené   khomó   gusé     guté

フンザ・ナゲルでは hm と hf との区別がなくh として一括できる。

単数
 h           x                                       y
 khiné    gusé, khosé(ナゲル)    guté, khoté(ナゲル)
複数
 h          x                                       y
 khué    guċé, khoċé(ナゲル)    guké, khoké(ナゲル)

 さらに動詞もこれらの名詞・代名詞に呼応するのは当然だ。

 上でブルシャスキー語は膠着語な言語と書いたのは、トルコ語のような真正の膠着語と違って語の後ろばかりでなく接頭辞が付きそれが文法上重要な機能を担っているからだ。面白いことに動詞に人称接頭辞が現れる。動詞の人称変化の上にさらに人称接頭辞が加わるのだ。例えば werden (become) という自動詞では動詞本体の頭に主語を表す人称辞がついて

i-mánimi → er-wurde (he-became)
mu-mánumo → sie-wurde (she-became)

となり、動詞の語形変化と接頭辞で人称表現がダブっているのがわかる。もっともブルシャスキー語は膠着語的な言語だから、上の例でもわかるように「動詞の人称変化」というのは印欧語のような「活用」ではなく動詞本体に接尾辞がつくわけで、つまり動詞語幹が前後から挟まれるのだ。これが単語としての動詞でシンタクス上ではここにさらに主語(太字)がつく。

hir i-mánimi → der Mann wurde (the man became)

だからこの形は正確にいうと der Mann er-wurde (the man he-became) ということだ。一方他動詞の場合は、「能格言語」と聞いた時点ですでに嫌な予感がしていたように人称接頭辞が主語でなく目的語を表す。

i-phúsimi → er ihn-band (he him-bound)
mu-phúsimi → er sie-band (he her-bound)

ここにさらに主語と目的語がつくのは自動詞と同じだ。

íne hir i-phúsimi → er band den Mann (he bound the man)

直訳すると er ihn-band den Mann (he him-bound the man) である。ここまでですでにややこしいが問題をさらにややこしくしているのが、この人称接頭辞が必須ではないということだ。どういう場合に人称接頭辞を取り、どういう場合に取らないか、まだ十分に解明されていない。人称接頭辞を全く取らない語形変化(語尾変化)だけの動詞も少なからずある。また同じ動詞が人称接頭辞を取ったり取らなかったりする。そういう動詞には主語や目的語が y-クラスの名詞である場合は接頭辞が現れないものがある。また人称接頭辞を取る取らないによって意味が違ってくる動詞もある。人称接頭辞があると当該行動が意図的に行われたという意味になるものがあるそうだ。例えば人称接頭辞なしの hir ġurċími (der Mann tauchte unter/ the man dived under) ならその人は自分から進んで水に潜ったことになるが、接頭辞付きの hir i-ġúrċimi (何気にアクセントが移動している)だとうっかり足を滑らして水に落っこちたなど、とにかく外からの要因で起こった意図していない潜水だ。他動詞に人称接頭辞がつかないと座りの悪いものがあるのはおそらくこの理由による。上で述べたように他動詞だから接頭辞は目的語を示すわけだが、その目的語から見ればその作用は主語から来たもの、つまり目的語の意志ではないからだ。逆に自動詞に接頭辞を取ると座りが悪いのがあるが、それは意味そのものが「座る」とか「踊る」とか主語の主体性なしでは起こりえない事象を表す動詞だ。さらに人称接頭辞のあるなしで自動詞が他動詞に移行する場合もある。例えば接頭辞なしの qis- は「破ける」という自動詞だが接頭辞がつくと i-qhís- で、「破く」である。
 もうひとつ(もういいよ)、名詞にもこの人称接頭辞が必須のものがある。上述のハイフンをつけた名詞がそれで、「父」とか「母」などの親族名称、また身体部分など、持ち主というかとにかく誰に関する者や物なのかはっきりさせないとちゃんとした意味にならない。例えば「頭・首」は-yáṭis だが、そのままでは使えない。a-yáṭis と人称接頭辞 をつけて初めて語として機能する。上の動詞で述べた接頭辞 i- は hmで単数3人称だが、このa-  は一人称単数である。これにさらに所有代名詞がつく。jáa a-yáṭis となり直訳すると mein ich-Kopf (my I-head)、「私の頭」である。これに対し他の名詞は人称接頭辞がいらない。jáa ha で「私の家」、「家」に接頭辞がついていない。しかし持ち主がわからず単にa head または the head と言いたい場合はどうするのか。そういう時は一人称複数か3人称複数の人称接頭辞を付加するのだそうだ。

 極めつけというかダメ押しというか、上でもちょっと述べたようにこのブルシャスキーという言語は能格言語(『51.無視された大発見』参照)である。自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ格(絶対格)になり他動詞の主語(能格)と対立する。ベルガー氏がバスク語との関係を云々し、コーカサスの言語とのつながりをさぐっている研究者がいるのはこのためだろう。ブルシャスキー語は日本語などにも似て格の違いを接尾辞でマークするので印欧語のように一発できれいな図表にはできないが(要するに「膠着語的言語」なのだ)、それでも能格性ははっきりしている。絶対格はゼロ語尾、能格には -e がつく。

自動詞
hir i-ír-imi
man.Abs + hm.sg.-died-hm.sg
der Mann starb (the man died).

他動詞
hír-e gus mu-yeéċ-imi
man.Erg + woman.Abs + hf.sg-saw-hm.sg
Der Mann sah die Frau (the man saw the woman)


ブルシャスキー語の語順はSOVだから、他動詞では直接目的語の「女」gus が動詞の前に来ているが、これと自動詞の主語hir(「男」)はともにゼロ語尾で同じ形だ。これが絶対格である。一方他動詞の主語はhír-e で「男」に -e がついている。能格である。人称接頭辞は上で述べた通りの図式だが、注意すべきは動詞の「人称変化」、つまり動詞の人称接尾辞だ。自動詞では接頭、接尾辞ともに hmの単数形で、どちらも主語に従っているが、他動詞では目的語に合わせた接頭辞は hf だが接尾辞の方は主語に呼応するから hm の形をとっている(下線部)。言い換えるとある意味では能格構造と主格・対格構造がクロスオーバーしているのだ。このクロスオーバー現象はグルジア語(再び『51.無視された大発見』参照)にもみられるし、ヒンディー語も印欧語のくせに元々は受動態だったものから発達してきた能格構造を持っているそうだから、やっぱりある種のクロスオーバーである。

 ところで仮にパキスタン政府がカラコルム・ハイウェイに関所(違)を設け、これしきの言語が覚えられないような馬鹿は入国禁止とか言い出したら私は絶対通過できない。そんな想像をしていたら一句浮かんでしまった:旅人の行く手を阻むカラコルム、こんな言語ができるわけなし。


ブルシャスキー語の格一覧。Kasus absolutusが絶対格、Ergativが能格。
Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.63 から
burushaski-Kasus-bearbeitet
そしてこちらが人称接頭辞一覧表。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil I Grammatik. Wiesbaden:Harrassowitz: p.90 から
burushaski-praefixe-bearbeitet
ベルガー氏が収集したフンザ方言の口述テキストの一つ。ドイツ語翻訳付き。「アメリカ人とK2峰へ」。Berger, Hermann. 1998. Die Burushaski-Sprache von Hunza und Nager Teil II Texte mit Übersetzungen. Wiesbaden:Harrassowitz: p.96-97 から
burushaski-text-bearbeitet


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