アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

本を出しました。詳しくは右の「カテゴリー」にある「ブログ主からのお知らせ」をご覧下さい。
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 今はあまり見かけなくなってしまったが1990年代の終わりごろは町の本屋にロシア語の本がよく並んでいた。読む読まない、読める読めないは二の次で「とりあえずロシア語」感覚でバコバコ買ったはいいが、結局いまだに本棚の肥やし状態で鎮座している本が何冊もある。最近その中の一冊、190ページほどの小説を何気なく手に取って読んで見た。そしてロシア文学の傑作に触れたことを知った。私のロシア語だから辞書を引きまくり、時には文法書まで動員して何か月もかかってチンタラチンタラしか進めなかったのも関わらず、その作品は最後まで私を惹きつけ、読ませ続けたのだ。私の持っているのは1995年にフランスで発行されたペーパーバック版。М. Агеев(M.アゲーエフ)という作家によるРоман с кокаином(「コカインの小説」)という作品である。本にはこの小説ともう一作、Паршивый народ(「ろくでなし民族」)という10ページほどの短編が収められている。

Printed in Franceのペーパーバック版の表紙と目次。ロシア語の本は目次が最後に来るのが普通だ。
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 「傑作」と上で言ったのは決して私が勝手に主張しているのではなくてロシア文学研究者などがそう呼んでいるのだ。Роман с кокаиномはアゲーエフのデビュー作で、1934年代にパリで発行されていたロシア語の文芸誌のいくつかで発表された。当時のパリにはソ連からの亡命者や移住者が大勢おり、ロシア語による文化活動も盛んだったのだ。確かソルジェニーツインも第一作をパリで発行しているはずだ。文芸評論家たちはРоман с кокаиномのレベルの高さに呆然としたが、アゲーエフ某などという名前は誰も知らなかった。そこで原稿の送り元の住所が(当時の)コンスタンチノープルになっていたので、ご苦労にも人を派遣して調べさせた結果、この作家の本名はМ.Леви(M.レーヴィ)であることが判明した。判明はしたがアゲーエフにしろレーヴィにしろ全く無名であることは変わらないので「こんな傑作を全く無名の素人作家がいきなりデビュー作で書けるわけがない。このアゲーエフは誰か有名作家の匿名に違いない、レーヴィなどという人物は存在しない」という噂がささやかれることになった。
 1980年代になってフランス語訳が出た。訳者は Lydia Chweitzerリディア・シュヴァイツァーというロシア系のフランス人で(しかも名前から判断するとユダヤ系である)、ある日偶然古本屋でどうも見覚えのあるロシア語の本を見かけ、その本を30年代に既に読んで強烈な印象を受けていたのを思い出した。それで仏語に訳すことにしたそうだ。訳が出ると「アゲーエフの正体」に対する騒ぎがパワーアップして再燃した。特に「このアゲーエフは実はウラジーミル・ナボコフである」と執拗な囁きが消えないので、しまいにはナボコフの未亡人が口をだし「夫はアゲーエフなどというペンネームを使ったことはない。またコカインの経験もない。さらにモスクワに行ったこともなく、そのアゲーエフやらと違ってサンクト・ペテルブルクのロシア語で書いていた」とキッパリNoを突き付けた。確かにРоман с кокаиномの舞台はモスクワで、そこに描かれているのはコカインで身を亡ぼす若い男性の姿だ(下記参照)。それでようやく文芸評論家たちも別の可能性に気が付いた。アゲーエフというのは本当にレーヴィとかいう人物、つまりM.レーヴィは実在の人物なのではないかということだ。そこでロシア文学研究家たちが血眼になって調査した結果、現在はこれがМарк Лазаревич Леви(マルク・ラザレヴィッチ・レーヴィ)というユダヤ系のロシア人であったことがわかっている。
 レーヴィは1898年7月27日(今の暦では8月8日)にモスクワで生まれた。家は毛皮商会に務める裕福な家庭だったが、1904年に父が死ぬと破産状態になった。それでも1912年から1916年までギムナジウムに通い、卒業後モスクワ大学の法学部に入学したが1919年に学業は放棄した。ギムナジウム卒業と同時にプロテスタントとして洗礼を受けている。
 Роман с кокаиномの舞台はまさにこれで、主人公はギムナジウムの学生、1916年の少し前から物語が始まり、ギムナジウムを卒業して大学で法律を学び始めたはいいが、コカインを知って身を亡ぼすのが1919年となっている。また、下でも述べるがクラスメートは皆裕福で何不自由ない生活を謳歌しているのに自分の家だけ経済的に苦しい、けれどそれを表に出すわけにはいかない、畢竟その苦しさは低賃金の仕事をして必死に家計を支えている母親への嫌悪となって吹き出してくる。主人公の母親に対する冷酷さ、憎しみの描写は日本人がロシア語で読んでも心に重くのしかかってくるほどだ。さらにギムナジウム卒業寸前に学校所属の司祭が役割を担ってくるのも作者の洗礼と無関係ではあるまい。
 1923年からAll Russian Cooperative Society Limited という会社で翻訳者として働いた。何語の翻訳かちょっと出ていなかったのだが、ドイツ語ではなかったか。小説にもギムナジウムでドイツ語を学ぶ様子が描かれているし、レーヴィはその後1924年にドイツ(ドイツ帝国)に移住して、働きながらライプツィヒ大学を卒業しているからである(1928年)。また後に見つかったソ連外務省の資料によるとレーヴィはそこで、もうソ連に帰る気はなく国籍もパラグアイ国籍に変えたという。どうしてドイツにいて唐突にパラグアイが出てくるのか全く分からないのだが、とにかくその後語学学校のベルリッツで外国語(ロシア語か?)を教え、1933年にはパリに行ってそこで教鞭を取った。ということはフランス語もできたわけだ。私の個人的なステレオタイプ把握「ユダヤ人=語学の天才」という図式が完全に当てはまってしまっている。
 1930年代の半ばにフランスからトルコに移住した。そこでもやはり外国語(何語だ?)を教えたりフランスの会社で翻訳の仕事をしていたが、1942年、トルコのドイツ大使フォン・パーペンに対する暗殺未遂事件に関与したとしてトルコ政府から「好ましからざる外国人」とみなされ国外退去となる。ソ連国籍者としてソ連に退去させられたのだが、パラグアイ国籍の(はずの)レーヴィがいつどうやってソ連市民に戻ったのかはわかっていない。
 ソ連に戻ったと言っても生まれ育ったモスクワには戻してもらえないでソ連内のアルメニア共和国の首都エレバンしか居住許可が出ず、1973年8月5日に亡くなるまでそこにいた。そこで結婚もし、大学でドイツ語を教えたりして家族以外の外部とはあまり接触のない生活を送ったが、そういう静かな、普通に働き趣味で映画を見たり音楽を聴いたりする生活にも自分のそれまでの人生にも満足していたようで、「人生何でもやってみるもんだよ」と常日頃言っていたという。
 毎年少なくとも一回はエレバンからモスクワを訪問していたそうだが、誰に会いに行っていたのかはわからない。親戚・家族の者はレーヴィがかつて文学作品を発表したことがあるのを知らなかったそうだ。確かにアゲーエフはこの2篇しか作品を発表していない。世の中には知れば知るほどわからなくなる人物がいるものだがこの人はその典型だろう。

本の裏表紙には文学研究者が必死に見つけ出した作者の写真が掲げてある。
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 その謎の人物レーヴィが書いた謎の小説Роман с кокаиномは、一言で言えば、将来に夢が持てずコカインにおぼれて自分の周辺も自分自身も破壊させる学生の話である。4章からなる、一人称語りの小説だ。

第一章:ギムナジウムГимназия
 タイトル通り主人公ヴァジム・マスレニコフの学校生活が語られるが、まず母親に対する冷酷さが凄い。女手一つで息子を金持ち学校に行かせている母親なのに、主人公はその「年寄りでいつもボロを来ている」母親に対して嫌悪しか感じない。「人に知られると恥ずかしいから外で会っても自分に話しかけるな」とまで言う。また早熟で性病にかかったりする。そのうえ自分の性病をわざと人にうつしてやろうと、モスクワの町で罪もない女の子を「ひっかける」。
 次にギムナジウムの生活がエゴロフ、シュテイン、ブルケヴィッツという3人のクラスメートを中心に描かれる。裕福なユダヤ系の子弟が多い。最初エゴロフ、シュテイン、主人公で「成績優秀生徒グループ」を形成していたが、あるときドイツ語の授業でちょっとした出来事が起こる。ブルケヴィッツが皆の前でついクシャミをしたがハンカチを出すのが間に合わず、洟を飛ばしてしまうのだ。ドイツ語教師もクラスメートもそれをからかう。ブルケヴィッツは以来クラスの誰とも全く口をきかなくなり、完全に自分の世界に閉じこもる。そして黙々と一人で努力し、学年の最後にはそれまで学校一優秀な生徒とみなされていたエゴロフを抜いて、最優秀の評判を勝ち取る。それでもブルケヴィッツはクラスメートと話をしない。
 卒業も間近になったある時、その最優秀成績のブルケヴィッツが校内医ならぬ校内司祭にたてつくという大事件を起こす。時は第一次世界大戦。司祭が生徒の間に国への奉仕義務を説教したところ、ブルケヴィッツは堂々と「人を殺せというのがキリスト教徒の義務なのか。そうやって銃後で人に死にに行け、人を殺して来いという自分はいったい国家のために何をしたんだ」と食って掛かる。さあ大変だ。聖職者に異を唱えたりしたら素行点はゼロになる。大学への入学資格も失う。人生そのものがフイになるのだ。主人公は、言うだけ言って外へ飛び出したブルケヴィッツの後を追う。探してみるとブルケヴィッツは隅に座り込み、頭を抱えていた。主人公は慰めるように肩に手を置くのだが、その行為が「純粋な同情だけから出たものではなく、奥底には自分の血の出るような努力を一瞬のうちにフイにしてしまった人間に対する興味の心があった」。
 さらに主人公はすでに階段を上っていた司祭を追って走る。これも「ブルケヴィッツをとりなそうという気はなかった。とにかく条件反射で走ってしまったのだ」。しかし、司祭は血相変えて自分を追ってきた主人公の意図を前者に解釈し、「大丈夫だ。学長に言いつけたりはしない」と保証する。そして自分は息子を戦死させていることを告げる。

第二章:ソーニャСоня
 ギムナジウム卒業から大学入学までの休み期間、金持ちのエゴロフのお相伴をして遊んでいたとき、ひょんなことからソーニャ・ミンツという年上の女性と知り合い、恋に落ちて舞い上がる。ソーニャに会うのが嬉しくて、道行く人々、世界中の人々を抱きしめたいような幸せな気持ちを味わう。しかしそれと同時に母親への冷酷さは度合いを増し、母にはそれ以上のお金は出せないと分かっているのに、「とにかく金が要るんだ、出せ!」と怒鳴りつける。出せないのならそのブローチを売れという。父の形見のブローチで、母が何よりも大切にしているのを知りながら言うのである。ソーニャとのデート代のためだ。見かねた家のお手伝いさんというか乳母がそんなにお母さんを苦しめちゃいけない、ほらこれを持って行きなさいといってお金をくれる。それは乳母が老後のためにと必死で貯めたお金であることを知りながら、乳母の手からむしり取る。
 主人公のソーニャへの愛は激しいものであるがゆえに中々最後の一線を越えることができない。ソーニャと付き合いながら売春婦を買ったりする。それでもソーニャに対して何の罪の呵責も感じない。世界の女性の中で愛するソーニャだけが「人間」で、他は所詮女に過ぎないからだ。しかし女性であるソーニャにとっては世界の男性は皆自分にとって人間であるにすぎず、愛する男性のみが「男」なのだ。主人公にもそれがわかっている。ついにある日、友人エゴロフに部屋を提供してもらってそこにソーニャを誘い、最後の一線を越えようとするが、なぜか体の方は拒否反応を起こし、吐いてしまう。
 ソーニャは耐えがたい侮辱を感じる。それはまるで「キリスト教者がライ病患者に口づけをするときの気持ちにも似て、内心は嫌なのに無理に自分の気持ちを押し殺してやる偽善行為」だからだ。この言葉は章の最後で紹介されるソーニャから主人公へあてた別れの手紙に書いてあることだが、その手紙で、ソーニャが既婚者であったことがわかる。ソーニャの夫はある意味では無神経で鈍感なタイプで、主人公と知り合いになると全く疑いもせずに招待して自分たちの家を案内して回る。そこで自分たちの寝室を見せるのだが、そこで主人公には嫉妬の心が芽生え、それと同時にソーニャに対する官能的な愛というか「劣情」も呼び起こされた。性交渉もするようになったが、同時に愛情も薄くなってしまった。薄れていく愛情を再燃させようと、官能愛にのめりこめばのめりこむほど、愛は薄れていった。最終的にソーニャは「これは愛じゃない、恥辱だ」といって夫のところに帰っていく。この夫もソーニャは愛しておらず、一時は主人公のために捨てようかと考えていたほどなのである。

第三章:コカインКокаин
 相変わらず裕福な友人のお相伴で生活を謳歌していた主人公は大学の仲間からコカインを吸うことを教わる。好奇心で一回だけ吸ったのが依存症になってしまうのだが、その最初の一歩の描写があまりにも見事で微に入り細に入り、作者のレーヴィは少なくとも一回は本当にコカインをやったことがあるのではないかと思わざるを得ない。それともごく身近に常習者がいたのか。例えばコカインの粉は非常に軽いため、主人公は最初息を止めていたはずなのにうっかり鼻息で飛ばしてしまう。コカインに慣れた知り合いがそこで助言していうには、「コカインは軽い粉だから息を止めただけじゃだめだ。あらかじめ肺から息を出し切って吐きたくても息が出ないくらいにしておけ」。
 薬による幸福感。主人公はそれがもっと欲しくなって、夜中に母の寝室に忍び込み、ブローチを盗み出して売人に渡し、さらに薬を求める。大切なブローチをなくして母が浮上に悲しむだろうと考えると、主人公はかえって母に愛情さえ感じる。夜中さんざん吸って朝になってから家に帰ると母親が青い顔をして声を震わせながら「泥棒」と主人公を罵る。主人公は母の顔をぶん殴って家を飛び出し、行くところがなくて友人のエゴロフのところに転がり込む。エゴロフはちょうどこれから恋人といっしょに南ロシアに何か月か旅行に行こうとしていた矢先で、主人公にいくばくか金さえ渡し、自分の家で好きなだけくらしていいと主人公を導きいれる。以後主人公はこの友人の家で、ほとんど外に出ることもなく昼となく夜となくコカインを吸って過ごすのである。

第四章:所感 Мысли
 すでに完全に薬物中毒となった主人公が頭に浮かぶ様々な想いを綴る。
 人が富や名声を求めるのは何のためだろう。幸福になるため、いや正確にいうと「幸福感を味わうため」である。言い換えると幸福は外部で実際に起こる事象によって引き起こされるのではない、それを受け取る人間の人間の心の中にあるのだ。だからもし外部の事象の助けを借りずに幸福(感)を引き起こすことができれば、富や名声など全く不必要ではないか。例外はその名声を得ようと努力する過程そのものが幸福をもたらす場合だが、自分にはそんなものはない。コカインがすでに心に幸福感をもたらしてくれるのだから、自分はもう富だろ社会地位などは必要ない。それで主人公は法律家になるという人生の目的を放棄する。
 人間の魂について。自己犠牲、正義感、同情、隣人愛、そういう崇高な人間性が呼び起こされると必ずそれと同じだけの強さで、真逆の邪悪な感情、残酷さ、冷酷さ、暴力性などがついてくる。この二つはコインの裏表のようなもので分けることができない。崇高な人間性が喚起されるとそれと同時に必ず獣性も浮かび上がる。犯罪の被害者への崇高な正義感・同情が発動されなければ、犯人への暴力性、殺せ殺せの大絶叫も発生しない。民衆の幸福を求めて発生した革命の裏では裏切者扱いされた人々の血が大量に流れる。獣性なしには人間は崇高になれない、獣性に出てこられたくなかったら、人間性を全く放棄しすべてのことに全く無関心でそれこそ動物のように自分のエサだけを考えて暮らしていくしかない。この考えが「ちょうどコカインが体の毒であるように、心の毒として」主人公をむしばんでいく。このモチーフは第二章でも描かれた、一方ではソーニャへの(崇高な)愛と喜び、他方では母親に対する獣性(冷酷さ)、第三章の相手に苦しみを与えるのが愛情であるという部分にもはっきり見て取れる。
 主人公はまた幻想にも襲われ、夢を見る。自分が命じて「家来」に母親を刺し殺させる夢だ。目が覚めると主人公はもう何か月も帰っていない自分(と母)の家に行く。帰ってみると誰もいない。母の寝室も真っ暗である。周りを見回してみるとそこで母が首をつって死んでいた。絶叫しながらも主人公は同時にまた今回も「目が覚める」のではないかという感じを捨てきれない(また読者の方もこれが事実だという明確な答えを与えられない)。またコカインの売人をそこに呼び寄せて吸い続ける。

 主人公の自筆による物語はここで終わり、この後主人公を収容した病院の医者の報告が4ページほど続く。それによると主人公は完全にコカインに犯されていてもう病院では手の施しようがなかったので、どこかのサナトリウムか療養所に行くしかない。しかしそこに入るにはなにがしか社会(=革命)に貢献している人物でないといけない。親戚はいないのか?と医者に聞かれて主人公は答える:母は死んだ。何くれとなく面倒を見てくれた乳母は今はもう自分が人の施しで生きている状態だ。友人のエゴロフは外国に行ってしまった。もう一人の友人ブルケヴィッツは今どこにいるのかわからない。
 すると医者は驚いて「ブルケヴィッツ同志なら現在医者として療養所に務めている。その推薦があれば療養所に入れる」。それを聞くと主人公は医者の「今日はもう遅いし寒いから明日行きなさい」という忠告を無視して外に飛び出していき、翌日の朝12時ごろ死体で発見されブルケヴィッツの病院に運び込まれる。
 所持品には(読者が今まで読んできた)手記があり、そこの最初のページに凍えたような字で「ブルケヴィッツ拒否す」と書かれていた。

 実は第一章のГимназияにはサブタイトルとしてБуркевиц отказал(「ブルケヴィッツ拒否す」)とあるのだが、読者には最後の瞬間までこの意味が分からない。私も「なんだこれは」と読んでいる間中気になっていた。最後の最後に一気に謎が解ける、といいたいところだが、これも母の縊死と同様ブルケヴィッツは本当に拒否したのか、それとも主人公の妄想であったのかわからないのである。

小説の最初のページ。Буркевиц отказалというサブタイトルに読者は最後まで引っかかる。
burkevits

 以上がストーリーだが、この小説はその他にもモスクワの凍てつくような冬の描写、登場人物の細かい観察など文体も優れている。その中でも特に心をえぐる文章は縊死した母親を主人公が暗闇で見つけるシーンだろう。

Постель была не раскрыта, пуста. Сразу исчез теплый запах спящего вблизи тела. Но я все-таки присел, повернул голову к шкафу, и вот тут-то, наконец, я увидел мать. Ее голова была высоко, у самой верхушки шкафа, там, где кончалась последняя виньетка. Но зачем же она туда взобралась и на чем она стоит. Но в то же мгновение как это возникло в моей голове, я уже ощутил отвратительную слабость испуга в ногах и в мочевом пузыре. Мать не стояла. Она висела — и прямо на меня глядела своей серой мордой удавленницы.

ベッドは覆いがかかったままだった。誰も寝ていない。そばでしていた眠っている者の体の暖かい臭いはすぐ消えてしまった。それでも僕はベッドに腰をおろして顔を戸棚の方に向けた。するとそこで初めて母が目に入った。顔はとても高いところにあった。戸棚の一番上のほうだった。彫ってある唐草模様の端のところだ。けれどどうしてそんなところによじ登ったのだろう。何の上に立っているのだろう。だがそういう考えが頭をかすめたその瞬間、僕はもう足と膀胱に驚愕が引き起こすむかむかするような脱力感を感じていた。そうだ、母は立っていたのではなかった。下がっていたのだった。そして縊死した者の灰色い面つきをしてまっすぐに僕を見つめていたのだ。
(翻訳:人食いアヒルの子)

 作者の身元詮索の騒ぎのほうが小説そのものをめぐる議論より大きくなってしまったのはある意味不幸なことであった。作者不詳ということで読者の興味を煽った出版社の売らんかな主義作戦というネガティブ評価もないではない。とにかく自分で読んで判断するしかなかろう。

縊死した母親の描写が出てくるのは小説の最後のほうである。
mat

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 『84.後ろか前か』で同格についてちょっと触れ、同格名詞(NP1+NP2)はあくまで全体として一つの名詞であってNP1とNP2間にはシンタクスやテクストレベルと違い「NP2が意味的にNP1より包括的でないとうまく機能しないというレヴィンソンの規則は適用されない」と安直に述べてしまったが、その後よく考えてみると「適用されない、はいオシマイ」では終わらせられないことに気がついた。
 まず助詞の「の」を使う同格表現であるが、

太郎の馬鹿野郎
馬鹿野郎の太郎

を比べてみると私の感覚では最初のほうが遥かに座りがいい。まさに同格という感じがする。それに比べて後者の方はNP1がNP2の修飾語であるという感じがぬぐい切れない。この修飾語感覚はNP1が「な形容詞」にもなりうる語だと益々はっきりする。

1.太郎の馬鹿  NP1 + NP2
2.馬鹿の太郎  NP2 + NP1  
3.馬鹿な太郎  Adj. + NP1

1が一番同格性が強く、3は完全にNPが一つ、つまり単なる普通のNPで、2がその中間、NPが他のNPの修飾語になっている、まあ特殊な構造である。「特殊」と言ったのはNPというのはシンタクス上で普通修飾語としては働かず、基本的にはされる側だからである。2ではNP1の方が意味が狭くなっている。「意味」というよりreferential status指示性のステータスが高いといったほうがいいかもしれないが。言い換えると指示対象物を同定できる度合いが強いということだ。とにかく太郎という一個人のほうが馬鹿という人間のカテゴリーより意味が狭くて指示対象がはっきりしている。これは前に述べたレヴィンソンの規則では、NP1とNP2の指示対象が同じものだとは考えにくくなるパターンだ。逆にそれだからこそ、先に来たNP2のほうをNP1の修飾語と考えないとNP1とNP2がバラバラになってしまう。1ではレヴィンソンの言う通り、後続のNP2の方が意味が広いからすんなりとNP1=NP2と解釈することができる。要するにここではしっかりレヴィンソンの図式が当てはまっているようだ。次に

4.ハイデルベルクの町 NP1 + NP2
5.町のハイデルベルク NP2 + NP1

を比べてみよう。ここでも同格と見なしうる4では「太郎の馬鹿」と同じくNP2の方が意味範囲が広い。5はNP2は明らかにNP1「ハイデルベルク」の修飾語・限定語でNP1の意味を狭めている。例えば会話の場(でなくてもいいが)にハイデルベルクさんという人がいて、ハイデルベルク市の話をしているのかハイデルベルク氏について話しているのかはっきりさせたい場合は「町の(ほうの)ハイデルベルク」というだろう。氏は「人のハイデルベルク」である。ここでもレヴィンソンの図式が当てはまる。
 しかしその「NP1とNP2の意味範囲の法則」が名詞句内で当てはまるのはそこまでで、NP2が職業名だとなぜかこの図式が適用できない。

6.佐藤さんのパン屋 NP1 + NP2
7.パン屋の佐藤さん NP2 + NP1

では、同格とみなせるのは7、意味的に狭いほう、指示対象を特定できる度合いが強いほうが後に来ている。図式と逆である。またこの場合の「パン屋の佐藤さん」は「町のハイデルベルク」と違ってそばに会社員の佐藤さんがいなくても、つまり佐藤さんの意味を特に狭める必要がなくても使える。言い換えると普通に同格なのである。6はNP1(佐藤さん)がNP2(パン屋)の所有者という解釈しか成り立たない。さらに

8.おじさんの医者 NP2 + NP1
9.医者のおじさん NP1 + NP2

を比べてみよう。同格とみなせるのは9の方である。その際9では「おじさん」の意味が「両親の兄弟」つまり話者の親戚かよく知っている近所の(でなくてもいいが)中年男性となる。これに反して8では「おじさん」が単なる「中年男性」の解釈となる。話者の知り合いでもなんでもない、カテゴリーとしての中年男性という意味になるから、NP2(「おじさん」)はNP1(「医者」)の修飾語である。つまりここでもNP2の方が指示対象を特定できる度合いが強い構造のほうが同格なのだ。

 まだある。NP1、つまり意味の広い方が漢語だと助詞の「の」で同格が作れない。同じ意味の和語では可能なことが漢語相手だとできないのである。だから

10.ドイツの国

はいいが

11.ドイツの連邦共和国

は同格にならない。この場合は「ドイツ連邦共和国」と「の」抜きの完全な合成語にしないといけない。これは大学の場合も同じで、

12、筑波の大学

とは言えず、

13.筑波大学

と言わなければいけない。「筑波の大学」だと「つくば市の大学」ということになり、あのデカイ国立大学だけとは限らず、私立のつくば国際大学も指示対象になりうる。ローカルな話になって恐縮である。
 さらに「ハイデルベルクの町」(上述)という同格構造は成り立つが、「ハイデルベルクの市」とは言えない。合成語にして「ハイデルベルク市」とするしかない。
 面白いことに英語だと「共和国」とか「合衆国」とか「大学」いう固い言葉とでも「の」にあたる前置詞を使って同格構造が形成できる。

14.Federal Republic of Germany
15.University of Tsukuba

日本語ではこれらはそれぞれ「ドイツ連邦共和国」、「筑波大学」という合成名詞でしか表現できない。しかし一方で合成名詞を構成していると名詞の関係は「の」のつく構造と必ずしも並行しないから一旦観察しだすと止まらなくなる。例えば

16.裁判官おばさん
17.おばさん裁判官

だが、17は「おばさんの裁判官」「おじさんの医者」などの「の」がつく構造と同じで中年女性の裁判官という意味になるが、16は「裁判官のおばさん」という意味にはならない。私の言語感覚では、すぐに「サイバンカーン」と絶叫するのを芸にしている中年女性のピン芸人(こういう絶叫が芸と呼べるかどうかはこの際不問にすることにして)などが「裁判官おばさん」である。
 このタイプの合成名詞はロシア語では各名詞をハイフンでつなぐが(『84.後ろか前か』参照)、ドイツ語では日本語と同じように名詞を裸でくっつける。そしてここでも名詞の順番によって同格になったりならなかったりする。

18.Muttertier
            mother + animal
19.Tiermutter
            animalmother

18は同格で「おかあさん動物」、例えば後ろにヒヨコを従えて横断歩道を渡る「おかあさんアヒル」である。そのまま合成名詞として日本語にできる構造だ。ところが19は同格にならないし、そもそもそのまま日本語に「動物おかあさん」「アヒルおかあさん」とは合成名詞変換できない。では「の」をつけて「動物のおかあさん」「アヒルのおかあさん」と翻訳できるかというとこれがそうではない。「アヒルのおかあさん」は「おかあさんアヒル」と同様自分自身もアヒルであるが、 Tiermutterではmother は人間で「怪我をした動物を家に連れてきて献身的に世話をする女性」というニュアンスで、とにかく動物の世話をしている(優しい)女性という解釈になる。これはネイティブ確認を取った。日本語の「アヒルのおかあさん」もそういう女性を表せないこともないが、同格になりうる度合いが遥かにドイツ語より強い。

 名詞と名詞が合体すると、シンタクス上の構造ばかりでなくその名詞自身の意味や、直接の意味内容には入っていないいわゆるニュアンスなどもかかわってくるから騒ぎが大きくなるようだ。さらに大騒ぎになるのが当該名詞が上述のように単なるNでなくそれ自身すでにNPである場合である。

20.山田さんの知り合いの任天堂の社員
21.任天堂の社員の山田さんの知り合い

20は事実上「山田さんの知り合い=任天堂の社員」という同格解釈しか成り立たないが、21では山田さんが任天堂の社員であるという解釈もなりたってしまう。

 だんだん収集がつかなくなってきたのでこの辺で止めさせてもらうが、昔生成文法でもごく最初の頃に名詞と名詞の結びつき、属格構造を導き出す変形をシンタクス上で説明しよう、つまり属格構造がD構造ではセンテンスであったと説明しようとしていて、直に放棄したようなおぼろげな記憶がある。あくまでおぼろげな記憶である。

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 日本で比較的よく知られている少数言語のひとつにネズ・パース語というのがある。米国アイダホ州で主に話されている先住民の言語で、同州北部のKamiah、 Lapwaiにある保留地と西ワシントン州の Colville 保留地にもその上流方言を話す人がおり、オレゴン州の Umatilla 保留地に下流方言の話者がいる。話者がいるといっても1980年代の調査時点で500人と言っていたからその時点では『108.マッチポンプの悲劇』で述べたアンダマン語といい勝負だったが、先日ユネスコの発表した危機に瀕した言語のリストを見たらすでに話者20人とあった。米国政府も危機に瀕した先住民の言語を復活させようとプログラムを組んだりしているらしいが予断を許さない状態だ。アンダマン語の方は2007年の時点で話者5人だった。今はもう消滅しているかもしれない。

ネズ・パース語が話されている地域。ウィキペディアから
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 このネズ・パースという名前はフランス語のnez percé (ネ・ペルセ)から来ていて「ピアスした鼻」という意味である。フランス系のカナダ人が名前をつけたからだ。そのもとになったのは19世紀初頭にこの地にやってきてこの部族を発見(ちなみにこちらの人の感覚では日本人もポルトガル人によって「発見」されたのである)したヨーロッパ人の観察で、この人たちは鼻中隔に穴をあけて貝のピアスをしていたという。しかしすでにほぼ同時期に「この人たちは別に鼻にピアスなどしていない」という報告もあり、ネズ・パースにはそんな習慣などそもそもなく、鼻ピアスについては近隣の部族と混同されたのではないかという疑いが濃厚だそうだ。また最初は素直に英語の Pierced Noses という名称も使われていたそうで、これがフランス語になりさらにそのフランス語を英語読みにして命名したところに、英語話者が大陸の文化語フランス語に対して抱いている微妙な劣等感を感じ取ってしまうのは私だけだろうか。とにかく命名のプロセスからしてすでに面白い話題を提供している。いずれにせよこの名は後から来たヨーロッパ人が勝手につけた名前で、本人たちは自分のことを nimi:pu: と呼んでいる。 pu: が人々または人間という意味で、nimi: という形態素のほうは常に pu: とコンビでしか使われないそうだ。いくつかバリエーションがあって numipu、nimapuなどの形も報告されている。もともと"the walking people" あるいは "we, the people" という意味とのことだ。そういわれてみるとイヌイットやアイヌもそうだが、民族の自称に「人々」「人間」という意味が入っているケースが目立つ。

 さて、冒頭にこの言語が日本で比較的よく知られていると書いたのは、この言語の研究の第一人者が日本人だからである。青木晴夫教授と言い、昔私が学生のころよく日本の言語学者の話題になっていた(このブログは最近完全に「昔話ブログ」と化していて面目ない)。教授は1972年にネズ・パース語研究の過程を報告した『滅びゆくことばを追って』という本を三省堂から出しているが、言語学者たちがこぞって褒めていたにも関わらず当時絶版になっていて非常に手に入りにくかった。私がたびたびここでもボヤいているように(『138.悲しきパンダ』『51.無視された大発見』参照)、言語学というのは非常にマイナーな分野でどんな名著でも一歩外の世間に出ると無視される運命にあるらしい。私もこの本を持っていないし読んでいない。最近検索してみたら1990年代に岩波書店から復刊されているし、初版も買おうと思えばアマゾンで買える。が、こちらからわざわざ注文するのがおっくうだったのと、英語版の自伝が(タダで)見られるのでそちらをみることにした。セコい。
 青木氏は1930年に当時日本領だった韓国のクンサン(群山)生まれということで自伝には日本占領当時の韓国・朝鮮の様子や戦争直後の日本の状態など描写してあって興味深い。雑誌のインタビューなどでもそのころの話をしているが、教授が子供時代を過ごした群山の住民構成は半分が朝鮮・韓国人(もちろん当時は朝鮮と韓国の区別がなかったが)が半分、残りの半分は大部分を中国人と日本人で占めていたが、ロシア人もいたそうだ。皆混じってゴチャゴチャと住んでおり、自分がいったい何語で遊んでいたのか覚えていないというから面白い。また各民族国の祝日には各々門の前に国旗を掲げるので、その日に国旗の上がっている家に遊びに行けば御馳走にありつけたそうだ。
 朝鮮内で何回か引っ越したそうだが中学3年の時予科練に入って日本に送られたところで戦争が終わり、朝鮮の両親のところには戻れなくなってしまった。もうそこは日本ではなくなったからである。それで一回しか行ったことがなく、場所の記憶さえ怪しい父方の故郷の早見(長崎のあたり)にたった一人で出かけて行った。場所をよく覚えていないからとにかく諫早まで行って降り、一週間ほど早見という地名はないか探して回ったという。結局無事に実家がみつかったそうだが、この行動力には驚く。何もかもお膳立てしてもらわないと怖くて旅行ができない私には奇跡にしか見えない。しばらくそこにいるとやがて大陸から家族が引き上げてきて一緒になれた。とは言ってもお父様は仕事の関係で山口の方に住み実家には時々帰ってくるだけだったそうだ。
 広島高等師範学校に受かってそこに通っているとき、1949年に新学制が敷かれて広島大学が創設された。青木氏ら旧制師範学校生は試験を受けて広島大学に編入するか、試験を受けずにあくまで師範学校生として卒業するかの選択があり、氏は試験を受けて(落ちても師範学校卒で何の不都合もないから)合格し、広島大学に移った。広島大学としての卒業一期生だそうだ。そこで英語を専攻したが学部卒業時にまた選択肢があった。大学院に残るかフルブライトの奨学金を貰ってアメリカに行くかだ。フルブライトの試験に堕ちたら大学院に進んで、学生時代が伸びている間に教職の話でもあればそちらに着こうと思っていたが試験に受かってしまったのでアメリカに行き、4週間ほどワシントンでオリエンテーションを受けてからUCLAに回された。そこで1953に修士号を取得し、そのころは同大学にはまだ(一般)言語学学部がなかったので、言語学のあるバークレー校に移って研究員をしているときにネズ・パース語研究の機会が与えられたのである。そこで書いたネズ・パース語文法が博士論文である。一時日本に帰っていた時期もあったそうだが、結局以来基本的にはずっとアメリカで暮らしを続けている。最終職はカリフォルニア大学バークレー校の教授である。
 ネズ・パース語との出会いだが、1960年にアイダホ州の歴史学会が州立100年の記念事業としてネズ・パース語の記述を思い立ち、最初イェール大学に当たった、適当な記述言語学者がおらず、バークレーにお鉢が回ってきた。ある夏の日青木氏の研究室のデスクに先住民言語の専門家であるマリー・ハースMary Haas教授がやってきて突然ネズ・パース語をやってみる気はないかと聞かれたそうだ。その言語はどこで話されているのか聞いたらアイダホの居留地ということで、フィールドワークの開始は一か月後だという。それを聞いて青木氏がまずやった「準備」は運転免許をとることだった。同僚の一人が親切にも自分の由緒あるシトロエンを練習台として提供してくれた。その同僚の名前がJames Allen Koichi Moriwaki Sayといって父が韓国人、母が日系アメリカ人だった。さて運転免許の試験であるが、一回目のチャレンジの時は白人の試験官だったが、まず何より先にシトロエンの古色蒼然ぶりにイチャモンをつけられて試験は落ちた。二回目の試験官は黒人であった。この人は青木氏がすでに30歳であることを知っている(はず)なのに、氏をティーンエイジャー呼ばわりし、「まったくティーンはヒドイ運転をしやがる」とかなんとかこきおろされて動揺しやっぱり落第。これじゃ出発までに間に合わんと青木氏がやや焦りだしたところで3人目の試験官は中国系の人だった。その人は青木氏の書類を見て気さくに「あなたは2週間のうちに3回も試験受けてますが、どうしてそんなに急いでいるんですか」と聞いてきたそうだ。車をボロ車扱いもせず、青木氏を非行少年呼ばわりすることもなく、まともに普通の大人として扱ってくれたため、リラックスできて合格した。若く見えるので欧米人から子ども扱いされて苦々しい思いをする、というのは私も含めた東アジア人は大半が経験しているのではないだろうか。

 さてそうやって始まったアイダホでのフィールドワークの過程は自伝に詳しく記されている。まず適当な母語者を見つけ、コンタクトを取り、やがてその部族全体とかかわるようになる。その人間同士の付き合いぶりの話がすでに面白いが、やはり圧巻なのは言語記述の過程の描写だろう。記述言語学、いやそもそも言語学というものはどんなものなのかよくわかる。「単なる基礎でいいから音韻論・音声学の知識を持っていない言語学者なんて言語学者じゃない」と言っていた人を私は何人も見ているが、それは音韻論・音声学なしには言語の記述ができないからである。

 言語調査のしょっぱな第一日目に数詞を調査した。『81.泣くしかない数詞』で述べた話題とも重なって面白いのでここで紹介してみよう。まず1から10までがネズ・パース語では次のようになる。

1  ná:qc
2  lepít
3  mitá:t
4  pí:lept
5  pá:xat
'oylá:qc
'uyné:pt
'oymátat
9   k'úyc
10  pú:timt

IPAを使っていないのはこれが「音声記述」でなくて「音韻記述」だからである。またアメリカには当然先住民の言語記述の長い伝統があるわけで、他のネイティブ言語の記述の蓄積からある程度アルファベットの使い方が決まっているのだろう。例えば子音についているコンマ「'」は、その子音が放出音ejective であるという印である。放出音というのは、閉鎖音についていえばだいたい次のようにして出す音だ。1.まず当該子音の調音点と声門とを同時に閉鎖する。2.続いて喉頭を持ち上げて口腔内の気圧を高める。3.そうしておいて当該調音点の閉鎖を解く、4.最後に声門閉鎖を解く。つまり肺からの息を用いないで出す音で、閉鎖音、破擦音ならまだなんとかギリギリ発音できるかもしれないが、摩擦音、流音の放出音となるととても自分には無理だと思う。
 「1」で出てくる子音qは「9」の k より明らかに調音点が後ろにあり、別の音素である。アラビア語を知っているものならすぐ納得できるだろう。さらに「9」では k の放出音が現れるので、ここの例では見られないがネズ・パース語は音韻体系にq の放出音と、逆に k の非放出音も持っているのではないかという類推が働く。また「2」と「4」では母音 i の長さが明確に違い、長母音が弁別的に機能していることが見て取れた。
 続いて「1」と「6」、「2」と「7」、「3」と「8」を比べると後者はそれぞれ前者の前に同じ前綴り(下線部参照)がついたかのような形になっている(太字の部分参照)。おやこの言語の数体系は5進法なのかなと思うが、その考察に進む前に「6」、「7」、「8」の前綴りが'oy- と 'uy- の2種あることに注目。これは別の形態素なのか同一形態素の異形なのか?そこで「7」を 'uyné:pt でなく 'oyné:pt と言えるかどうか聞くとネイティブからNoをもらった。ではこの二つは別形態素なのかというと形があまりにも酷似している。最も説明力の強い仮説は「この言語には母音調和がある」ということだろう。実際「6」と「8」では広母音、「7」では狭母音が後続している。
 さらに「1」と「6」を比べると「1」の ná:qcが「6」では lá:qc と変形し、n 対 l の音韻交代が見られる。同パターンが「2」と「7」でも見られるところを見ると(それぞれ lepít と -né:pt)、この交代劇は今後どこか別のパラダイムでも出てくるのではないかという推理が働く。事実上流方言に鷹の一種を指すpí:tamyalonという言葉があるが、これが下流方言ではpí:tamyanonになるそうだ。もう一つ「3」mitá:tと「8」の後半部-mátatで母音 i と a が交代しているのにも注目すべきである。
 青木氏は博士論文では放出音ejectiveという言葉を使わず、声門化音glottalized という分類を使ってこのネズ・パース語の音韻体系を記述しているが、のちのバージョンでは閉鎖音には放出音という言葉を使い、摩擦音、破擦音では声門化音と名付け、さらにソナントのカテゴリーを特に分けて、そこでも声門化音としている。つまり鼻音は閉鎖音でも放出音とせず、声門化音となっている。音素をどういうカテゴリーで分けるかは本当に神経を使う作業で日本語でさえ見解は一致していないからここら辺の不一致ぶりは非常によくわかる。

青木氏の博士論文から。放出音という言葉が使われていないし、母音の長短は超音節の問題だとしている。
Aoki, Haruo.1965. Nez Perce Grammar, Berkeley. p.1から

phoneme5

後のバージョン。放出音という言い回しが登場。また母音の長短は母音音素そのものに帰する要素となっている。ウィキペディアから
phoneme3
phoneme4
 話を戻してネズ・パース語は何進法なのかということだが、周りの言語、たとえば中央アメリカ、マヤ語やナワトル語などは20進法なのだそうだ。そこでインフォーマントに他の数をいろいろ聞いてみると次のようになった。フィールドワーク第二日目の調査である。

11     pú:timt wax ná:qc
12     pú:timt wax lepít
13     pú:timt wax mitá:t
20     le'éptit
21     le'éptit wax ná:qc
30     mita'áptit
31     mita'áptit wax ná:qc
40     pile'éptit
99     k'uyce'éptit wax k'uyc
100   pu:te'éptit
400   pilepú:sus
1000 pu:tmú:sus

きれいな10進法である。すでに上で「9」を'uypí:lept とかなんとか言わなかった時点で5進法にはやや疑問が出ていたろうが(私が勝手に感じただけだが)、これで決まりだ。もっとも時々数詞に変な名称が紛れ込んでくるのはロシア語の「40」が четыредцать とも четырдесять とも言わないで突然сорокとなることなど例が少なくないのではあるが、「5」と「10」も関係ない形をしているし、5進法とは言えまい。また「20」と「30」の後半の形態素、それぞれ-éptit、 -áptit を見ればこの言語に母音交代があることが確実となる。

数詞を教えてくれたインフォーマントのHary とIda Wheelerさん。
Aoki, Haruo. 2014. Srories from my life. Berkeley. p.181から
informant1

 このようにして音素抽出から始まって、形態素の抽出、語と形態素の区別を通ってシンタクスの規則発見に至るまで一歩一歩緻密な作業を積み上げて文法書が完成したわけだが、中でもこの言語の動詞の恐ろしさは格別だ。さすが北アメリカの先住民の言語らしく、イヌイットやある意味ではアイヌ語などに見られるような抱合語的polysyntheticな構造で、動詞がいわばセンテンスになっているからだ。
 動詞の語根に接辞が前後からバーバーくっ付くが、その接辞には内接辞と外接辞の区別があって、内接辞は動詞の意味に新たに意味要素を添加していわば動詞の新たな語幹となるもの、外接辞は数、人称、時制など文法機能を受け持つ。数と人称を表す外接辞は動詞の前、時制の外接辞は動詞の後ろに付加されるそうだ。例えばʔiná:tapalayksaqa という動詞形は

ʔiná:      + ta       + palay  + k         + saqa
外接辞     + 内接辞  + 語根         +  内接辞   + 外接辞
私自身を  + 口で     +   迷う       + 使役       +   近過去

という構造で「私はしゃべっているうちに自分の話していることが正しいのかどうかわからなくなってしまった」という意味である。繰り返すがこれはあくまで一つの動詞である。
 
もう一人の重要なインフォーマント、リズおばさんことElizabeth Wilsonさんと青木氏
Aoki, Haruo. 2014. Srories from my life. Berkeley. p.243から

informant2

ヨーロッパから来た人たちがネズ・パースと接触したのは1804年のことだからもちろん青木氏以前からその言語は記述されてはいた。1890年にラテン語で書かれた文法書もでているそうだ。しかし言語学的に使い物になる正確な記述文法は青木氏の本が最初だろう。例えば青木氏以前の記述では放出音あるいは声門化音について述べているものがなかったそうだ。事実様々な言語事典のネズ・パース語の項には必ず氏の著作が重要参考文献として挙げてある。氏の著作をパイオニア、ベースとしてネズ・パース語研究はその後も発展していくが、一つ面白いのは主語と目的語についてである。
 ネズ・パース語では名詞の格は日本語の格助詞にも似て後ろに接尾辞をつけて表し、青木氏は10個の格接辞によって表される11の格を区別しているが、主語と目的語のマーカーについては次のように説明している:拡張のない主語はオプションとして接辞 -nim がつき、拡張のない目的語はオプションとして -ne がつく。主語に -nim がつくのは動詞のほうに主語が3人称であることを示す接辞の hi- あるいは主語と目的語が非特定の人や物であることを表すpe- が添加される場合で、その他はゼロ接辞。同様に目的語に -ne をつけるのは動詞が、目的語が話者と関係の薄い全くの第三者か話者の所有物でもなんでもない全くの第三物(?)であることを示す接辞 'e- または上のpe- をとる場合で、その他は -ne はつかない。
 この現象は後の研究、たとえばAmy Rose Deal 氏は能格性で説明されている。つまりゼロ接辞の主語は自動詞の主語であり、-nim 付き主語は他動詞の主語だというのだ。例として:

自動詞
sík’em Ø+ hi-wleke’yx-tee’nix + háamti’c.
horse + 3SUBJ-run-HAB.PL + fast
‘Horses run fast.’

他動詞
sik’ém-nim + kúnk’u + pée-wewluq-se + timaaníi-ne.
horse-ERG + always + 3/3-want-IMPERF + apple-OBJ
‘The horse always wants an apple.’

HABという略語がどうも見慣れないが habitual aspect という意味だそうだ。自動詞の例は hi-という接辞がついているのに、主語はノーマークなわけで(他動詞の例では青木氏の言う通りpée-がついている)青木氏の主張と異なる。Deal氏は最終的に、ネズ・パース語は単純に能格-絶対核の2対立ではなく、自動詞の主語、他動詞の主語、他動詞の目的語の格が全部違う3分割言語、tripartite language であるとしている。単なる能格言語なら自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ形になるはずだからだ。

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 何の気なしに同化と異化という言葉をネットで検索してみたら唐突にアデノシン三リン酸とかクエン酸回路が出てきたので驚いた。自然科学でもこの言葉を使うとは知らなかった。今までこの二つは完全に人文科学・言語学オンリーの用語だと思っていたからである。生物学では同化はanabolism、異化はcatabolism の訳語だそうだが、言語学の同化・異化はそれぞれassimilation、dissimilationの訳語である。ところがこの原語のassimilation、 dissimilation のほうも自然科学で使われているらしい。世界は意外なところで意外な交差をしているものだ。そういえば上のanabolism、catabolism という言葉を見るとanaphora、 cataphoraという用語を連想する(これは本当に純粋に言語学系の用語である)。ギリシャ語起源の単語だ。英文法でやらされた前方照応、後方照応というアレであるが、次のような例を見つけた。下線部が照応される対象、太字が照応する側である。

前方照応:
1. Several people approached. They seemed angry.
2. When Mary saw John, she waved.
3. Roman Jakobson was one of the founders of Prague School of linguistics. In 1941 he moved to America.

後方照応
1. Listen to this: John’s getting married.
2. When she was young, Mary’s father would always travel in a straight line through a forest if they became lost.
3. When he arrived home, John went to sleep.

 同化と異化の話に戻るが、同化とは当該言語音が周りの音声環境の影響を受けてそれと似た音になること、異化は逆に当該言語音が周りの音声環境に反抗して同じ音がわざわざ違う音になることである。同化はメカニズム的にわかりやすく例も非常に多い。ロシア語などはこの同化現象が規範文法にまでなっていて、学習者は練習させられる。「右に倣え」という言葉で表現されるように、無声子音が有声子音の前に来ると対応する有声子音になり、逆に有声子音が無声子音の前にくるとやはり後発(つまり右)の子音に引っ張られて無声化するのだ。例えば、вокзал(「駅」)では k が z の前で g になって [vɐɡˈzal]、футбол(「サッカー」)では t が b の前で d になって [fʊdˈbol]、逆に водка(「ウォートカ」)だと д (d)  k の前に来るから t となり [ˈvotkə]、немножко(「少し」)では ж ([ʐ])  が k の前で [ʂ] になるから [nʲɪmnoʂkə] と発音する。
 こういう、先行する音が後から来る音に影響される同化を「逆行同化」regressive Assimilationという。方向としては後戻りだからだ。マリア・シュービガーMaria Schubigerはその著書『音声学入門』Einführung in die Phonetik(1977年のちょっと古い本だが)で英語のnewspaperの例を挙げている。newspaperの発音は頻繁に[ˈnjuːspeɪpə] 、つまり s が無声になることがあるが、「ニュース」を単独で発音すると[nuːz] あるは [njuːz] で、最後の s は必ず有声子音だ。newspaperの s が「ニューペーパー」と無声音になるのは後続の無声子音 p に引っ張られるからである。もう一つシュービガーの挙げているのは one more。これらの単語を別々に発音するとそれぞれ [wən]、[moə] あるいは [moɚ] だが、「もう一つ」と一気に言うと[wəmmoə] と、n が m になる。これも後ろの [moɚ] に影響された逆行同化だ。
 これらを逆行同化と呼ぶのは先行する音が後続音に影響するというのが本来の順序だという意識があるからだろう。まあそれもそうだ。その「本来の」方向の同化をで順行同化 progressive Assimilationと呼んでいる。またまたシュービガーの例だが、ドイツ語の haben 「持つ」は大真面目に発音すると[haːbən] だが、普通の会話ではあいまい母音が抜けて [haːbn] となる。が大抵はそこで止まらないでさらに[haːbm̩] にまで進む。n が m になるのは、歯茎閉鎖音鼻音 nの調音点が先行する両唇音 b に影響されて調音方法と鼻音という点はそのままに、調音点だけ両唇となったからだ、つまり m である。また英語のobserve で s が有声になって[əbˈzɝv] のようになるのは s が前の有声子音 b に影響されたためだ。順行同化である。さらに相互同化 reziproke Assimilation というのまである。二つの音が互いに影響しあって別の第三の男(唐突に寒いギャグを飛ばすな)、いや第三の音になる現象だ。例えば「魚」は古高ドイツ語では fisk といったが、現在のドイツ語では Fisch [fɪʃ] である。これは s と k が互いに影響しあったためで、k は s の影響を受けて口室の開きかたが狭くなると同時に s も k に引っ張られて調音点が後ろの方に移動した。そして出来上がったのが [fɪʃ] というわけである。
 これらの同化作用には同化が規範として決まっている、つまり必ずやらなければいけないものと(verbindliche Assimilation)、やらなくてもいいもの(unverbindliche Assimilation)とがある。上のロシア語の例などは前者、newspaper の例は後者であろう。
 また同化は隣接の音にばかり誘発されるとは限らない。少し離れた子音に影響されることもある。これを離隔同化(Fernassimilation)と言って、英語の文 I must dashが[aɪ  məs(t) dæʃ] でなく[aɪ  məʃ(t) dæʃ] になったりするのがその例。mustの s がシラブルを一つ挟んだ dash の sh に影響されて音価が変わったのだ。さらに私は「スクリーンショット」の略称「スクショ」をシュクショと発音している人を見たことがあるが、これも離隔同化である。離隔逆行同化だ。ドイツ語のウムラウトもこの離隔逆行同化で、「客」Gast の複数形では母音が「エ」になってGäste だが、これは古高ドイツ語時代にはgasti だったのが、最後の狭母音につられて語幹の「ア」の開口度が狭まったためである。離隔順行同化の例はトルコ語などのいわゆる母音調和に見ることができる。


 いずれにせよ、同化という現象は物理的に発音しやすいようにするわけだからまあ素直なメカニズムである。素直でないのが異化だ。これは近接の似た音や同じ音をわざわざ違わせる現象だ。いわば音を割るのである。なぜわざわざそんなことをするのか不思議な気もするが、その「そんなこと」はいろいろな言語で頻繁にみられるから、裏には何か人間の共通した心理があるのだろう。
 例えば英語の標準語で「名前」nameは [neɪm] と発音するが、俗語というかあまり上品とは見られていない発音では [naɪm] になることがある。e の口の開き方が増して a となり後続の狭母音 ɪ との差が大きくなったのだ。さらに「パイプ」、「家」は昔 pipe [pi:p]、hus [hu:s]  で長母音だったが、それが今ではそれぞれ二重母音でpipe [paɪp]、house [haʊs ]  と発音するのも異化の結果である。houseは綴りから推すと前は[hɔʊs] とか [hoʊs] とかいう発音だったのではないだろうか。異化の度が次第に進んでいっているのだ。またオーストラリアの英語を聞いていると day が die に、 me が my に聞こえることがあるがこれも異化であろう。
 日本語のアクセントの記述説明にも異化の観念が使われているのを見たことがある。「箸」や「今」など、第一モーラにアクセントが来て第二モーラで音調が下がる単語では、第一モーラの音の高さが語中のモーラにアクセントがくる語、例えば「赤坂見附」の「(あ)かさかみ(つけ)」よりさらに高くなることがあるそうだ。つまり次で落ちるための助走をつけるといおうか、第一モーラと第二モーラの音の高さの差がわざわざ拡大されるのである。また東京方言でアクセントが第一モーラに来ない場合、本来「高高」となるはずの第一モーラ・第二モーラの音調パターンが強制的に「低高」とさせられること自体が verbindlich な異化現象だと言っていたのをどこかで読んだことがある。ちょっとその資料が今見つからないのでうろ覚えで申し訳ない。
 この異化にも離隔異化というのがある。シュービガーの例では、イタリア語の「木」、lbero がある。これはラテン語の arbor から来ているもので、 l は本来 r だったのが同じ音が一つの単語内に連続するのが嫌がられて r が l になったのだ。同種の例にドイツ語、英語のそれぞれ Pilger、pilgrim(「巡礼」)の l が挙げられる。これはラテン語では peregrinus で r だった。r と l を区別しない日本語でこれをやっても無駄な努力ではあったろうが、異化によって音が割れた例である。

 この同化・異化に関して以前から気になっていたのだが、ドイツ語で「1と2」eins und zwei [aɪ̯ns ʊnt tsvaɪ̯]というとき「1」が時々  [aɪ̯nts] になる。これは「2」の最初の破擦音に引っ張られた離隔逆行同化だと思っていた。上の I must dash と同じ理屈である。ところが一度ネイティブにそう言ったら反論された。そうじゃない、eins は単独で発音してもつい [aɪ̯nts] になってしまう。Gans (「ガチョウ」)の s も ts になったりするから ganz (「全体の」)と時々区別がつかなくなる。これはむしろ前の n に引っ張られたのだと思う。n は閉鎖音だからすぐ次の摩擦音 s を発音する段になってもまだ舌の閉鎖が取れずにいて摩擦音の閉鎖性が加わる、つまり破擦音の ts になるんだ、と。なるほどそうかもしれない。私も向こうも別に他の音声環境といろいろ比べてみて s が ts になりやすい度合いの統計をとったりしたわけではないから本当はどっちなのかわからない。興味のある人がいたら(いなさそうだが)ちょっと実験してみて結果を知らせてほしい。自分でやらなくて申し訳ない。

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今まで書いた記事が自分でも把握できなくなってきたので収集をつけるため勝手に目次を作りました。お騒がせしてすみません。

翻訳一覧
エンニオ・モリコーネ85歳に
それは頭の中で始まった
ノーム・チョムスキーとの対話
フェイスブックの闇
アインシュタインを知る最後の証人たち
記事一覧
1.悲惨な戦い
2.印欧語の逆襲   
3.噂の真相
4.荒野の大学通り
7.「本」はどこから来たか
8.ツグミヶ原
9.サッカーとデルス・ウザーラ
10.お金がないほうが眠りは深い
11.早く人間になりたい
12.『ミスター・ノーボディ』
13.二種の殺人罪   
14.ローカルな話
15.衝撃のタイトル   
16.一寸の虫にも五分の魂
17.言語の股裂き
18.バルカン言語連合
19.アダルト映画の話
20.カッコいいぞ、バンデラス!
21.シビれる例文
22.消された一人
23.日本文学のロシア語訳
24.ベレンコ中尉亡命事件
25.なりそこなったチョムスキー
26.その一日が死を招く
27.ベンゾール環の原子構造
28.私のせいじゃありません
29.あともう少しのドルのために その1
30.あともう少しのドルのために その2
31.言葉の壁
32.同音衝突の回避か
33.サインはV
34.言語学と語学の違い
35.イエスかノーか
36.『007・ロシアより愛をこめて』
37.ソルブ語のV
38.トム・プライスの死
39.専門家に脱帽
40.バルカン言語連合再び
41.もっとまじめにやれEU市民
42.「いる」か「持つ」か
43.いわゆる入門書について
44.母語の重み
45.白と黒
46.都立日比谷高校の思ひ出
47.下ネタ注意
48.『傷だらけの用心棒』と『殺しが静かにやって来る』
49.あなたは癌だと思われる
50.ヨーロッパ最大の少数言語
51.無視された大発見
52.ジャンゴという名前
53.アラビア語の宝石
54.言語学者とヒューマニズム
55.赤いロータス
56.背水の陣
57.「君が代」斉唱裏ワザ編
58.語学書は強姦魔
59.フランス訪問記
60.家庭内の言語
61.『惑星ソラリス』   
62.クラウディア・カルディナーレの母語
63.首相、あなたのせいですよ!
64.ジャマイカの黒信号
65.主格と対格は特別扱い
66.Иди и смотри
67.暴力装置と赤方偏移
68.エンリケ航海王の遺産
69.ピエール・ブリース追悼
70.セルジオ・レオーネ、ノーム・チョムスキーと黒澤明
71.トーマス・マンとポラーブ語
72.流浪の民
73.ヒホンの恥
74.『主人と下男』
75.ゴールキーパーの仕事
76.アイスランドの火山
77.マカロニウエスタンとメキシコ革命
78.「体系」とは何か
79.カルロ・ペデルソーリのこと
80.ウィンドウズ10と苦行僧
81.泣くしかない数詞
82.ドーピングと傭兵   
83.『ゴッドファーザー・PARTⅠ』
84.後ろか前か
85.怖い先生
86.3人目のセルジオ
87.『血斗のジャンゴ』と『殺しが静かにやって来る』
88.生物と無生物のあいだ
89.白いアフリカ人
90.ちょっと、そこの人!
91.Quién sabe?
92.君子エスペラントに近寄らず
93.バイコヌールへアヒルの飛翔
94.千代の富士とヴェスパシアヌス
95.シェーン、カムバック!
96.日本は学歴社会か
97.拡大と縮小
98.この人を見よ
99.憲法9条を考える
100.アドリア海の向こう側
101.我が心のモリコーネ
102.縁起でもない話
103.新しい家
104.ガリバルディとコルト36
105.茶飲み話
106.字幕の刑
107.二つのコピュラ
108.マッチポンプの悲劇
109.『失われた週末』
110.アヒルが見ている
111.方言か独立言語か
112.あの人は今
113.ドイツ帝国の犯罪
114.沖縄独立シミュレーション
115.比較言語学者としてのド・ソシュール
116.もうひとりのオーストリア人
117.気分はもうペンシルベニア
118.馬鹿を馬鹿と言って何が悪いという馬鹿
119.ちょっと拝借
120.ナミビアのドイツ語
121.『復讐のガンマン』から『ウエスタン』まで
122.死して皮を留め、名を残す
123.犬と電信柱
124.驕る平家は久しからず
125.つかず、離れず
126.『Train to Busan』
127.古い奴だとお思いでしょうが…
128.敵の敵は友だちか
129.副詞と形容詞   
130.サルタナがやって来た
131.エリスという名前
132.北ドイツのデンマーク語
133.寸詰まりか水増しか
134.トゥルベツコイの印欧語
135.マシンガンと機関銃
136.アメーバと音素の違い
137.マルタの墓
138.悲しきパンダ
139.まじめなEU市民
140.格融合
141.アレクサンダー大王の馬
142.不時着か墜落か
143.日本人の外国語
144.カラコルム・ハイウェイ
145.琥珀
146.『野獣暁に死す』と『殺しが静かにやって来る』
147.言語汚染
148.同化と異化
149.ピアスのない鼻
150.二つの名詞

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