アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

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(こちらはコロナウイルスで大変なことになってしまい、毎日ジョンズ・ホプキンズ大のサイトに張り付いているうちに気がついたら前回の更新から一ヵ月もたっていました…)

 地球に生息する生物についてIUCN国際自然保護連合がレッドリストを作って絶滅の危険の度合いをExtinct (EX) 「絶滅」、Extinct in the Wild (EW)「野生絶滅」、Critically Endangered (CR) 「深刻な危機」、Endangered (EN) 「危機」、Vulnerable (VU) 「危急」、Near Threatened (NT) 「準絶滅危惧」、Least Concern (LC) 「低懸念」に7つの段階に分けているが、それと同じようにUNESCOが消滅危機言語というリストを作っている。使用人口が少なく、話者が誰もいなくなってしまいそうな言語が世界にはたくさんあり、こちらはその危機の度合いを6段階に分けている。Extinct「消滅」、Critically Endangered「深刻な危険」、Severely Endangered「重大な危険」、Definitely Endangered「明らかな危険 」、Vulnerable「脆弱」、Safe「安全」の6つだ。生物の場合とほとんど同じような段階分けをしているが、まず「絶滅」という言葉は言語には使えないのでExtinct という英語では同じになる単語が生物では「絶滅」、言語だと「消滅」となる。もう一つ、言語に関しては当然Extinct とExtinct in the Wild がないので一つ減って6段階だ。
 ここで話題にしたことがある言語もしっかりこのリストに載っている。例えばネズ・パース語は「深刻な危険」、ロマニ語、ソルブ語、南ユトランド語は「明らかな危険 」、フリースランド諸語は「重大な危険」。それに対して心配していたセルビア語トルラク方言(『18.バルカン言語連合』参照)は「脆弱」で済んでいる。ブルシャスキー語もバスク語も「脆弱」。アンダマン語やヘレロの言葉はリストに見当たらない。特にアンダマン語などは相当な危機にあるはず(下記参照)だが、データが不足で評価できないということなのだろうか。ヘレロも決して話者は多くないはずだが、まさか「安全圏」ということなのだろうか?カタロニア語がリストには入ってこないのは「安全」とみなされているからだろうとは思うが。日本の言語ではアイヌ語がまだ「深刻な危機」で止まっている。ということはかろうじて話者がいるのだろうが、これを「消滅」まで進ませないのが文化国家日本の義務だと思う。また琉球語の国頭方言、宮古方言、沖縄方言が「明らかな危険」、八重山方言、与那国方言が「重大な危険」状態にある。
 
 生物の場合と用語が重なっているところが印欧比較言語学、つまり一般言語学の誕生のプロセスを髣髴とさせる。サンスクリットやヒッタイト語とラテン語・ギリシャ語などの類似が見つかって「印欧語」という観念が生まれそれが言語学に発展していった当時、ダーウィンの進化論に強く影響されたからだ。「系統」、「種」という概念である。そもそも当時の印欧語学の目標が「種の起原」ならぬ「印欧祖語」の姿を知ることであった。そこで赤線を超えて優劣を言い出す人が一部にいたのは前に述べたとおりである。印欧語のような屈折語は日本語のような膠着語に比べて「進化した」言語であるという類の主張をする人たちだ。言語を話者から全く切り離して生命体の一種とみなしたり、「祖語」という言葉が本来比喩であることを忘れて本気で言語と生物を同一視しだすといろいろ誤解を引き起こす。見えるものも見えなくなる懼れがある。例えば「絶滅」と「消滅」の決定的違いである。生物種が絶滅するというのはその種に属する個体が物理的に全くいなくなるということだが、言語の消滅の方はそうズバリとはいかない。まず「当該言語の話者・ネイティブ・スピーカー」そのものに段階があるからだ。

 もちろんある言語共同体に属している人間を一気に皆殺しにすれば言語も亡ぶ。そういうことは有史以前にはあっただろうし、20世紀に入ってもナチスドイツなどが試みた。それまではヨーロッパで強力な言語のひとつであったイディッシュ語が壊滅的な打撃を受けたのはナチスのホロコーストのせいである。
 しかし言語の消滅は話者をいきなり皆殺しにしなくても起こる。話者はいても言語は滅びうるからだ。いわゆる「言語転換」という現象である(下記)。この言語転換は決して一気には進まない。個人内部の言語転換もそうだが、言語共同体全体が言語転換してしまうにはさらに時間がかかる。長い間話者も存在し続けるから最初のうちは当該言語も話者の頭の中に潜在的に残る。しかし話者はもうその言語をアクティブに使うことができなくなる。パッシブな言語能力、つまり「聞いてわかる」能力は話す力より長く残ることが多いがやがて聞いても理解できなくなる。こうなると言語学者が当該言語を記述したくても(すでに話者とはいえない)話者が発話することができないので記録も何もできない。いわば言語が話者の中で死ぬのだ。
 もちろんこういう言語状態なら当該言語はまだ(わずかでも)覚えている人がいるということで「まだ消滅していない」と判断され、脳死というか「深刻な危険」の範疇にいれられる。そしてその最後の話者が亡くなった時点で正式に言語の消滅宣言をしたりする。実際今までに消滅してしまった言語で最後の話者の名前が記録に残っていることが少なくない。例えば『108.マッチポンプの悲劇』で言及した大アンダマン語だが、そのうちの方言の一つボ語は2010年に最後の話者Boa Srさんが亡くなって消滅したそうだ。『マッチポンプ』の項で参照した資料にはBoaSrさんとみられる人の写真も載っていたが、その後この言語がどうなったかについては説明がなかったので知らないでいた。本当に残念だ。
 またアイルランドと大ブリテン島の間にあるケルト語系のマン島語も最後のネイティブ・スピーカーとしてNed Maddrellという名前が記録されている。言語学者たちが1972年8月17日に氏をインフォーマントとしてマン島語の記述を行ったがその時氏は94歳だった。1973年にその言語学者の一人が再びMaddrell氏を訪れて調査しようとしたが、氏はすでに耳が聞こえず、調査が成り立たなかったという。1974年の12月27日に亡くなった。このMaddrell氏は完全に流暢なマン島語を話せた最後の人だったばかりではない、マン島語のモノリンガル状態を経験している(多分)唯一の人であった。他のマン島語話者は英語とのバイリンガル環境しか知らず、最初から英語が圧倒的に優勢言語である人ばかりだが、Maddrell氏は2歳か2歳半くらいのときほとんど英語の話せない年取ったおばさんのところに預けられて育っている。
 もう一人、Ewan Christianという話者の名前が記録されている。この人も1972年にインフォーマントとなったが、Maddrell氏とこのChristian氏がまだ母語が固まらないうちにマン島語に触れた最後の生き残りだ。ただし後者のマン島語はつっかえつっかえになることがあり、文法もあやしかったそうだ。5歳の時いっしょの通りに住んでいた二人のマン島語ネイティブから言葉を教わり、その後も周辺にいた話者から言語を吸収したが、生活言語は英語だったし、それにマン島語を教わったときすでに5歳だった。つまり習い方も不完全だったうえ使用する機会もあまりなかったため、セミ・スピーカーにとどまったのだ。Christian氏はMaddrell氏よりずっと若く、言語調査当時65歳、1978年に再びインフォーマントになっている。1985年初めに78歳で亡くなった。
 関係ないがここでマン島語調査をした「言語学者たち」の一人は『51.無視された大発見』『17.言語の股裂き』でも言及した私の学位取得時の口頭試問の試験官である。

 これらの例を見てもわかるように言語の消滅宣言は動物の場合の「当該種」にあたる「当該言語の母語者」に幅があるから難しい。例えばDresslerという学者は母語者に5段階あるとしている:1.健全な話者Healthy speakers、2.やや脆弱な話者Weaker speakers。名詞の語形変化などが簡略化の傾向、語彙も減少している。3.前最終段階の話者Preterminal speakers。語形パラダイムの縮小と一般化が起こる。4.最終段階前期の話者Better terminal speakers。縮小と一般化がさらに進む。5.最終段階後期の話者Worse terminal speakers。語彙は極めて減少し、語形の縮小も著しい。
 この最終段階の母語者が後からみつかったりすることもある。さらにマン島語の場合もそうだが、言語の記述や調査がある程度進んでいると母語者がいなくなっても再生の試みが可能である。そのためかマン島語はまだ絶滅宣言を受けていない。ステータスは「深刻な危険」である。上で「最後の話者が亡くなった時点で正式に言語の消滅宣言をしたりする」と変な書き方をしたのもそういうことを考慮したためだ。
 もう一つ「絶滅」と違う点は、話者全員がいっぺんに一人残らず死に絶える場合は別として(それなら確かに話者の「絶滅」である)、言語が「消滅」するときは通過点として必ず話者がバイリンガル状態になるということだ。生物は別に他の種に押されなくてもエサがなくなったり気候が変わったりすれば自分たちだけで勝手に(?)死に絶えることもあるが、言語が消滅するには必ず他の言語が入ってこなければいけない。人間はなにがしかの言語を話さずにはいられないからだ。言語が消滅はイコール言語転換と述べたのはそのためで、母語者が当該言語で上の5段階の階段を下るにつれ、もう一方の言語能力は逆に高まっていっているのである。
 構成員が全員モノリンガルだった当該言語共同体が別の言語共同体と接触する。双方の言語共同体の政治的、文化的、あるいは軍事的な力が拮抗し、人口にも特に差がなければ接触は一部の通訳・翻訳家を通じて行われるのでその他大勢はそれぞれの言語のモノリンガルで生活に何ら支障がない。そもそもその通訳にしてももう一方の言語は後から習っただけだから、モノリンガルであることには変わりがないのである。またバイリンガルになるにしてもどちらか一方の言語が圧倒的に優勢ということはない。もちろん個人レベルでは言語Aと言語BとのバイリンガルでAが優勢という人がいるだろうが、その代わりもう一方の言語共同体にはBが優勢のバイリンガルがいるのだから、全体としてはどちらの言語が優勢ということはなく、まあバランスがとれているわけだ。ところが一方の言語共同体がもう一方より圧倒的に強力だったり一方が他方を政治的に支配したりするとこのバランスが崩れだす。最初の段階として、言語Aの共同体には1.Aのモノリンガル、2.A・BのバイリンガルでAが優勢、3.A・Bの優勢無しバイリンガル、4.A・BのバイリンガルでBが優勢というグループがいる一方でB共同体には1にあたるBのモノリンガルがいなくなり、全員Aとのバイリンガルになる。次の段階は2にあたる構成員がBの共同体から消える。B言語の共同体にいるくせにBの方がAよりずっと楽に話せるという人がいなくなるのだ。さらに度が進むとBの共同体から3が消える。B共同体の構成員全体がBよりAが得意という状態だ。この辺になるとB共同体に「Aのモノリンガル」が発生しだす。そうなるとBはもう共同体のコミュニケーション言語としての機能は果たしにくい。社会生活は全部Aで済ますようになり、B言語の方は(一部の)構成員の頭の中に思い出というか痕跡として残っているだけで、しかも使わないからドンドン虫が食ったりさび付いてきたりする。そしてふと気づいてみると自分の他には誰もBを知っているものがいない。なぜ「ふと」かというと、コミュニケーションや社会生活はAのみで何の不都合もなく、Bなど使わないから言語Bがなくなったことなど普段目に入らないからだ。とにかく言語共同体の全員がバイリンガルになったら黄信号が灯ったとみていい。言語学者が当該言語のモノリンガル話者の存在を重要視するのはそういう理由である。
 ただ、念のため言っておくが、このバイリンガルというのは「母語」が二つあるということで(『44.母語の重み』参照)、学校で習った外国語などというのは全くこの範疇に入らない。その意味で日本人がいくら英語を勉強してもモノリンガルであることには変わりがないから、安心して外国語の学習をしていい。というより日本人はもうちょっと外国語をやったほうがいいのではないだろうか。時々バイリンガルという言葉をトンチンカンな意味に誤解している人がいるので蛇足とは思うが念のため。

 この言語の消滅という現象が言語学の一分野として確立されたのは比較的最近だそうで、以前は単発に研究が行われていた。私の印象では1990年ごろから少数言語とか消滅言語とかの用語をさかんに聞くようになった感じだ(私にとっては1990年は立派に最近なのである)。
 例えばSasseという学者は以下の3つのタイプの要因をベースにして言語消滅の過程をモデル化した。
1.言語外状況External Setting(ES):言語共同体にプレッシャーを与えて当該言語を放棄させる方向に持って行く文化、社会、民族、経済的な要因。これが言語消滅への最初のきっかけを作る。
2.話者の言語行動パターンSpeech ehaviour (SB):言語共同体の中で話者がどの言語を使うか、またその言語で文体、どんな言葉使いを状況によって使い分けるのか、使い分けられるのか、ということ。
3.言語構造への影響 (Structural Conseqzuence (SC):言語の形自体が被る変化。語形変化が簡略化したり(simplication)、以前はできた表現が構造的にできなくなったりする(reduction)。変化は言語のあらゆるレベル、音韻、形態、シンタクス、語彙面で起こる。
 Sasseは、ESが最初のきっかけとなって両言語のバランスが崩れてSBが変わり、SBが変われば当該言語が使われる場面が減り(つまりその言語がAbandoned language AL「放棄言語」になり)、使う機会が減れば文法構造は単純化し語彙も減ってしまう、そして最終的に言語の死に至る、言い換えるとES→SB→SCの順に言語転換・ALの消滅が進むのが全体としての傾向だとしている。もちろんその途中に小さなフィードバック現象もある。表現の可能性が減れば益々その言語を使わなくなるというSC→SBという方向のプロセスなどだ。
 そうやって優勢言語が転換していく中で、まず人が生まれて最初に取得する言語Primary Language PLが当該言語ALからもう一方の言語にかわる。逆から言うともう一方の言語(Target language TL)は最初第二の母語secondary Language SLであったのがPLになる。そしてTLがドンドン優勢になっていき、ある時点で話者がALを後続世代に伝えなくなったらそこでアウトだ。残った母語者は誰ともALで話す機会がないから、その言語は母語者の中で死んでいく。事実、最後のネイティブ・スピーカーのマン島語にはすでにそれ以前に記録されたマン島語と比較して構造上の簡略化が見られたそうだ。伝えられたマン島語そのものがそこに来るまでにすでに弱まっていた、言語の内部崩壊はすでに始まっていたのだ。さらにそのMaddrell氏はマン島語モノリンガル生活を経験したといってもすでにそれ以前に英語には触れていた。PLは英語でマン島語はSLだったのだ。氏は調査の時言語学者に「昔英語と同じくらいよくマン島語をしゃべれた頃のことをまだ覚えています。でも外に出てってからは使う機会もなかったし、マン島語を聞くこともなかったからもう忘れてしまいました。でもこうやってみるとまた思い出してきたからできるだけ話してみますが、どうも思うようにはねえ…」とマン島語で語っていたそうだ。

 こうやって見ていくと、どの時点をもって当該言語の消滅というのかということ自体がすでに難しい課題であることがわかる。話者の死、つまり人間の死と言語の死が必ずしも一致していないからだ(『54.言語学者とヒューマニズム』参照)。ネイティブの話す当該言語が「健全」ではなくなった時点で消滅宣言か、それとも最後の母語者が亡くなったときか。一度コミュニケーションとして使われなくなった言語が復活する場合があるが(ヘブライ語など)、そういう場合死者が生き返ったと考えるべきか、当該言語は実は一度も死んでいなかったというべきか。独立言語と方言との区別同様(『111.方言か独立言語か』参照)、死語か死語でないかの区別も割とケース・バイ・ケースなのである。ただ上のSasseは、日常のコミュニケーションで使われなくなった時点でその言語は死語だとしている。しかしその「日常のコミュニケーション」という観念自体にまた段階というか幅があるからとにかくスッパリ何年何月何時何分に消滅、と宣言することはできない。

Broderickはマン島語の消滅を図式化するのにSasseのモデルを使っている。コピーのそのまたコピーですみません。(私の書き込みがある上ファイルの閉じ穴があいてますね…)
Broderick, George. 1999. Language death in the Isle of Man. Tübingen:p.11から

Sasse


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 日本人が自分の発音の(悪い)くせと自覚しているのは第一に l と r の区別、第二に子音の後につい母音が入ってしまうということだろう。大多数の日本人にとって第一外国語は英語だから「日本人の英語の発音のくせ」と言った方がいいかもしれない。しかしこの二つは自覚しているだけに対処の方も比較的しっかりしているから、今時は l と r の発音の区別が出来ず、いちいちウザい母音を入れる伝統的日本人の発音をする人など圧倒的少数派だろう。私の場合はドイツ語だが今までに発音を直されたことは一度もない。いや一度だけ「注意された」ことはある。『33.サインはV』でも書いたが、測音 l を発音するとき、舌を上顎につける力が弱すぎるため、接近音の w または母音の u に聞こえることがある、als が aus に聞こえる、と言われたのだ。意表を突かれてむしろ感動した。またどこかで読んだことがあるが、スペイン語やフランス語を習っている日本人の一番の欠点は u の円唇性が弱すぎて母音が聞こえないことだそうだ。天災は忘れた頃にやってくるというか忘れた所にやってくるというか、発音のくせは油断していると現れてくるのである。

 最近もこんなことがあった。Sonne(「太陽」、ドイツ語でゾネ)といったら複数の人にZone(「ゾーン」、ドイツ語でツォーネ)と聞き違えられたのだ。しかもその単語を何回もゆっくり発音したのにほとんど最後まで(最後の最後には通じた)Zone と取られ続けた。これには驚いた。不安になって後で他の人たちに言ってみたら全く問題なく通じたのでこれはいわば突発的な事故だったと思われる。だがあらゆる事故には原因があるわけだから考えざるを得ない。どうもいくつかの要因がかち合ってしまったようだ。
 考えられる要因の一つは母音である。まず当該語が日本語の「日」という意味を説明するための発話だったのでことさらにゆっくりと発音したため当然母音が間延びした一方、その度合いに比べて子音 n の伸び方が少なくて、子音の長さと比較された結果母音が長母音と受け取られてしまったこと。もう一つ、開口度の問題がある。英語もそうだが、ドイツ語は長母音と短母音では音の長さだけでなく母音の音質そのものが違い、短母音は開口度の大きい [ɔ] 、長母音は狭い [o:] である。これは「オ」だけでなく「エ」や「イ」についてもそうで、エとエーがそれぞれ [ɛ] と [e:]、イとイーが [ɪ] と[i:] で母音の性質が違う。だから多少長さが短くても [o] と開口度が狭ければ長母音、またつい長く発音しても [ɔ:] とやれば短母音と取られうる(残念ながらまだ実際に実験してみたことはないが)。現代日本語は基本オ、イ、エが一つしかないので、口の広い狭いの区別がいいかげんになりがちである(なりがちというより常にいいかげん)。そのいいかげんさをつい持ち込んでしまったため開口度が足りなかったのかもしれない。しかしさらに思いめぐらすと、狭い広いというそれぞれの開口度の母音でさらに長さを区別する、つまり例えば [o]、[o:]、[ɔ]、[ɔ:] が全部弁別差を持つ言語、言い換えると母音の長短で音価の変わることがない言語は少ないのではないだろうか。音声学的に細かくみると異論もあるが、日本語は基本的に短母音オンリーで「大坂」「佐藤さん」の「おお」や「おう」は長い o ではなくて二つの o である。ちょっと調べてみたら英語には [e] と [e:]、[æ] と [æ:] の区別はあるらしいが、他の母音は皆長短で音価そのものが変わる。また[ɔ] と [o](ㅓとㅗ)、[ɛ] と [e](ㅐとㅔ)のように開口度によって二つのオとエを区別する韓国語あるいは朝鮮語には母音の長短による弁別差がない。以前は最初のシラブルに限って長短の差があったそうで年配層ではまだ区別しているらしいが、若い層では短母音ばかりになってしまったとのことである。そういえば조용필(趙 容弼)という名前を普通チョー・ヨンピルと「ー」をつけて記すのはこれは本来長母音であったためでもあるのだろうか。しかしその年配層でも短母音と長母音では音価が違うことが多いそうだ。やはり広母音と狭母音のそれぞれでさらに長短を弁別するのは人間の人体構造的に、というか脳の認知メカニズム的に言って苦労が多いのかもしれない。もちろんこれはあくまで私の個人的妄想なのでトンチンカンだったら申し訳ない。
 まあ一旦妄想を始めたついでにさらに妄想を展開すると、面白いことにドイツ語は基本長子音Geminationと単なる一子音を発音し分けない。正書法ではGeminationを同一子音を二つ重ねて書くが、基本的に子音そのものはダブル化しないで先行する母音のほうを短母音として発音する。つまり長子音表記は当該子音を長くしろという意味ではなく、先行母音は短いというシグナル。辞書などの発音表記もそうなっている。Sonne (太陽)は [zɔnə]、betten (寝かせる)は [ˈbɛtn̩]、Russe(ロシア人)は [ʁʊsə]、 Sohn (息子、h は黙字) は [zoːn]、beten (祈る)は [ˈbeːtn̩]、Ruß(すす)は [ʁuːs] 。例外はその子音が二つの形態素にまたがる場合でそういう時は子音が「同じ子音の連続」、長子音となる。Schifffahrt (航海)は Schiff + Fahrt  (船+走行)で子音が二重になり[ˈʃɪfˌfaːɐ̯t]。 それに対してSonne の長子音は一つの形態素内だから「ゾンネ」と子音をダブらす必要はなく「ゾネ」でいいはずだ。しかしゆっくり発音で母音を伸ばすとそれと比例して子音の方も伸ばさなければならないらしい、ということで表面の発音にも辞書のIPA表記にも表れないが、母語者は深い部分でこの n をGeminationと無意識に意識(どうも矛盾した言い方だが)しているのかもしれない。さらに邪推するとドイツ語母語者は短母音を聞くともうその時点で後続の子音がGeminationだな、とスタンバイするのかもしれない。そのスタンバイ状態のところに入ってきた子音の長さが足りないとうっちゃりを食らった感がして今度は今聞いたばかりの母音に目が行き、長母音解釈に走る。言い換えると母音だけ聞いた時点ではまだ短母音なのか長母音なのかわからない。しかしいちいちそんなことをやって行きつ戻りつしていたのでは不便で仕方がないから、長母音と短母音では音価が違うようになったとか。まあそこまで妄想するのは自分でもやりすぎだとは思うが。
 
 さて誤解を生んだもう一つの点は語頭の子音である。これもその発音がゆっくり力を入れたものだったので有声摩擦音の[ z ]を言う際舌が歯茎に触れて破摩音の[dz] になってしまっていたのだろう。私の母語日本語東京方言では有声歯茎摩擦音と歯茎破摩音 [z] と [dz] 、[ʒ] と [dʒ] の間に音韻対立がない。[ z ]と発音しようが [dz] と発音しようが「さじずぜぞ」(「じ」は硬口蓋寄りの [ʒ] または [dʒ] )である。当然「じ」と「ぢ」、「ず」と「づ」は同じ音になる。その勢いでSonne [zɔnə] が [dzɔnə] になってしまっていたに違いない。ただし摩擦と破擦の違いに鈍感なのは有声子音の場合のみ、つまり [z] 対 [dz] だけで、対応する無声子音では摩擦と破擦は明確に意識し、混同することはない。だから [s] と [ts] は絶対に間違わないのだ。だから「すいか」と「ついか」は聞き違えたりしない。「なす」と「なつ」も聞き違えない(もっともこの二つはアクセントが違うのでそもそも聞き違えないが)。実はこの「す」と「つ」の区別が語頭以外であいまいになる人がドイツ人には結構いる。書き取りをさせると「いつか」を「いすか」「マインツ」を「マインス」と書いたりする。最初どうして「す」と「つ」などという全く違う音を混同できるのか不思議で仕方がなかったのだが、考えてみるとドイツ語では実際に語尾の [s] が [ts]になってしまうことがあり、eins und zwei (1と2)は [aɪ̯ns ʊnt tsvaɪ̯] でなく[aɪ̯nts ʊnt tsvaɪ̯] と発音されることがある。同様にmeins(私のもの)とMainz (マインツ)、Gans (鵞鳥)とganz(全体の)(ドイツ語で z は [ts])がほとんど同じ発音になってしまったりする(『148.同化と異化』参照)。ただしこれは語尾だけで、語頭でこの二つが混同しているのは見たことがないが。それに比べて有声音では摩擦と破擦が語頭でもあいまいで日本語といい勝負であり、基本的にはSand やSonneの語頭が単に少しくらい(?)[dz] になっただけなら聞き違えられることもないはずだ。
 だから[dz] が [z] と受け取ってもらえずに [ts]と聞き違えられるにはもう一つ条件がいる。ドイツ語では歯茎から硬口蓋にかけての摩擦音に有声・無声の音韻的区別がないというのがそれではないだろうか。何回か前にも書いたが(『47.下ネタ注意』参照)、私にはいや日本人にはこれが不思議で仕方がない。どうやったら「すもう」と「ずもう」が同じに聞こえるのか。語頭や母音間で無声の [s] が全く発音できない人に会ったことさえある。どうやっても、どんなに練習しても最後まで「スイス人」や「いすず」が言えず「ズイス人」「いずず」になってしまうのだ。繰り返すが本当に発音ができないのである(なぜか「スイス」の2番目の「ス」はちゃんと「ス」になることもあった)。[ʃ] や [ʒ] の区別もあいまいで、ロシア語の名前Надежда (ナジェージダ)を Nadeschda (ナデーシダ)、Солженицын(ソルジェニーツイン)を Solschenizyn(ソルシェニーツイン)と綴る。その上後者は頻繁にシェニーツインと発音される。この無声・有声の混同が時として摩擦音を超えて破擦音にまで持ち越されることがあり、ソ連時代の略語(今もまだあるが)の ЦУМ (Центральный универсальный магазин)「ツム」を「ヅム」「ヅム」と言っていた人がいた。一方でドイツ語のzum の方はしっかり無声だった。ドイツ語には歯茎破擦音には無声しかなく、[ts] 対 [dz] のミニマル・ペアがないからであろう。[s] と違って語頭や母音の前で [z] という拘束的アロフォンkombinatorische Allophone(『136.アメーバと音素の違い』参照)が現れたりせず基本無声オンリーだから有声でやられると「あれっ」と音の違いには気づきやすいらしいが、気付いても弁別差がないのだから上の人のように(歯茎摩擦音からの類推からか)語頭をつい有声でやってしまっても意味が取り違えられる危険性はない。また逆方向に [dz] を聞いて [ts] を知る、もとい [ts] と理解することも起きる。これが私なりに考えた本来の [z] が [dz] になり [ts] と聞き違えられた原因解釈である。実証はできていない。さらに考えるとsank (沈んだ、単数形)の語頭子音を標準ドイツ語のように [zaŋk] と有声子音にせず、 [saŋk] と発音したら sank と取ってもらえるかそれとも Zank(小競り合い)と認知されるか、後者の可能性もあるとしたらsank 認知と Zank認知の頻度の割合などはどうなっているのかも調べてみたい気になる。気にはなるが面倒くさそうなので自分で調べてはいない。

 しかし、これら弁別機能のない音でも出す方は実はまだマシなのだ。発音という意識的でアクティブな行為ではいろいろ気を使うからやればできる。上述のような最後までできない人というのはむしろまれだ。気が緩むとすぐ元に戻ったりするが直せばまたちゃんと出るようになる。日本人の l と r の区別にしても発音し分けること自体は簡単だし円唇母音 u も一度口を丸めろと言われればそれからはどうしても発音できないということは(ほとんど)ない。問題は日本語の音素体系が発信する場合だけでなく(だったら苦労はない)、認知の側にも影響してくることだ。違いが聞き取れないのである(『93.バイコヌールへアヒルの飛翔』参照)。同じ音に聞こえてしまうのだ。日本人だと [paʁaˈleːl] といわれてスッとparallel という綴りが出てこない。その場でちゃんとそう書き取りできてもしばらくしてまたその語を書く段になると「えーっと、これは palarrel だったか pararrel だったかそれとも pallallel だったか」とつい考えてしまう。私もいつだったかTVで Meirelles という名前を聞いて後でググろうとしたら(いや「ダクろう」としたら、『112.あの人は今』参照)、Meilerres だったか Meirerres だったか Meilellesだったか記憶が怪しくなっており間違った綴りでメクラメッポウ検索してしまったのだが、なぜかちゃんと修正されて正しい名前が現れたので驚いた。つまり一旦聞き分けはできた語でも(できないこともある)、別の音素として脳に定着しないことがあるのだ。もう一つ、私は子音のみの発音と子音+ u が記憶の中でごっちゃになることがある。私の母語日本語東京方言では、狭母音(「う」と「い」)が無声子音間と語尾で消失する。東京方言話者の中でもなぜか私はこの母音の無声化現象が特にはっきりしている方で、発音するとき音が消えるばかりでなくそれらの区別そのものが脳内で時々怪しくなるのか、発音するときはまだしも、例えばロシア語の суммарный (「合計の」)や предупреждение (「警告」)を調べようとしてそれぞれ сммарный、 предпреждение で辞書を引いてしまったことがある。当然見つからなくて「なんでこんな基本っぽい単語が出てないんだ」といぶかってもう一度確かめてみたら、у(u)が記憶から抜けていたことがわかった。もっともこの現象は母語が東京方言のせいだけとはどうも思えないフシがある。なぜならこれらのロシア語の u は無声子音間でも語尾でもない、私でも本来母音を入れて発音するような音声環境にあるからだ。これはそもそも日本語そのもののせいではないだろうか。日本語では、外国語の子音は歯茎破裂音、t と d を覗いては u を添加して写し取るからである。この子音オンリーと子音+u との混同の割合が東京方言話者と大阪方言話者で違うのかどうか調べてみるのも面白いかもしれない。どちらにせよ母語に呪われているとしか思えない。
 でもそういえばもう日本語がペラペラで何をいまさらと思うような韓国人の日本語学習者が「いまだに「外国」の語頭音は有声、「開国」は無声、といちいち考える」と言っていたのを聞いて感銘を受けたことがある。同じ思いを「雑記」と「殺気」を聞き分けたり発音したりする際ドイツ人が抱いているはずだ。私だけではない、人は皆母語の音韻体系に呪われているのである。

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 日本語では名詞の格を印欧諸語のような語形変化でなく助詞を後置して表す。この「助詞」という言葉だが、こちらでは普通「不変化詞」Partikelと呼んでいる。何度か「後置詞」Postpositionと呼んでいるのも見た。その種々の不変化詞の中で文法格を表すものを学校文法では格助詞というが、私はこれを格マーカーと言っている。
 日本語にはいくつ格があるのかとこちらでは頻繁に聞かれるが、正直返事に困る。はっきりした語形変化のパラダイムがなく格そのものの観念がユルいし、一つの助詞、例えば「に」など(『140.格融合』参照)、複数の格を担っているものがあったりするので、見る人によって格の数が違ってくるからだ。それでも「人によって違います」では答えにならないので私個人はドイツ人には一応日本語には次のような13の格があると説明している。

Nominativ(主格)                     が
Akkusativ(対格)                を
Dativ    (与格)                   に
Direktional(方向格)      に、へ
Agens-Ablativ    (動作主奪格)に
Ablativ(奪格)                    に、から
Existentiell-Lokativ(存在処格)に
Aktional-Lokativ(動作処格) で
Instrumental(具格)           で
Komitativ(共格)      と
Final    (目的格)                まで
(Komparativ(比較格)      より)
Attributiv(限定格)      の

「山田さんは鈴木さんより頭がいい」という場合の「より」は果たして「格」といっていいのがどうかやや不安な気もする。これは後述するように、名詞句で使うことができない上限定格の添加も許さない。だから括弧に入れておいた。
 最初にも述べたようにこれらの不変化詞は日本語でも助詞と呼ばれているのだから、日本語側でもこれらが当該名詞のセンテンス内でのシンタクス上の位置を表す機能を持っている(つまり格を表す)と把握されているわけで、私の説明の仕方もそれほどムチャクチャではなかろう(ある程度はムチャクチャかもしれないが)。しかしこれらの助詞をじいっとみてみると、当該名詞の格を表すという基本的は働きそのものはいっしょだが、助詞自身のシンタクス上の現れ方によって大きく3つのグループに分類できることがわかる。「が、を、に」と「へ、から、で、と、まで」と「の」の3グループだ。(「より」は観察から除外)。
 まず第一グループ「が、に、を」と第二「へ、から、で、と、まで」はセンテンスの直接構成要素の名詞にしか付加できない、言い換えると当該名詞は動詞の直接の支配下でないといけない。ドイツ語や英語の前置詞と大きく違う点である。ドイツ語のin、an、 bei、nach、mit、英語の from、withなどの前置詞は動詞句VP内でも名詞句NP内でも使うことができる。

Meine Bekannte wohnt in Heidelberg.     VP内
my + acquaintance + is living + in + Heidelberg 
meine Bekannte in Heidelberg                NP 内
my + acquaintance + in Heidelberg

Er arbeitet bei Nintendo.                         VP内
he + is working + at + Nintendo
Angestellter bei Nintendo                       NP 内
an employee + at + Nintendo
die Arbeit bei Nintendo                           NP 内
the + work + at + Nintendo

Sie fährt nach Moskau.                          VP内
she + is going to drive + to + Moscow
der Weg nach Moskau                           NP 内
the + way + to + Moscow

My Friend came from Germany.           VP内
my friend from Germany                       NP 内

I discussed the problem with Mr. Yamada.    VP内
a discussion with Mr. Yamada                       NP 内

対応する日本語の構造では格助詞が名詞句NP内では使えない。動詞句VP内のみである。

私の知り合いはハイデルベルク住んでいる。  VP内
*ハイデルベルク知り合い                              NP 内

彼は任天堂働いている。VP内
*任天堂社員               NP 内
*任天堂仕事               NP 内

彼女はモスクワ行く。VP内
*モスクワ道            NP 内

私の友達はドイツから来た。VP内
*ドイツから友だち            NP 内

山田さんその問題について議論した。VP内
*山田さん議論                                 NP 内

*のついている構造はOKじゃないかと思う人がいるかもしれないが、それは当該構造を名詞句ではなくて省略文として解釈しているからである。そのことはちょっとつつくと見えてくる。例えば

任天堂で仕事は楽しかった。
任天堂で仕事はプログラミングだった。

を比べてみると、最初の文では

任天堂で仕事(をするの)は楽しかった。

と動詞が省略されているのがわかる。つまり「任天堂で」は名詞の「仕事」ではなく省略された動詞の「する」にかかっているから名詞句内ではないのだ。2番目の文もそう。「任天堂で」は「仕事」でなく「プログラミングだった」という述部にかかると解釈しない限り非文である。さらに

ドイツから友だちは先週のことでした。

という文は私の感覚ではおおまけにまけてギリチョンでOKだが(これを許容しない人も多かろう)、それは「ドイツから友だちが来たのは先週のことでした」という省略文解釈がギリチョンでできるからで、

*ドイツから友だちはシュミットさんといいます。

はオマケのしようがない非文である。さらに以下のセンテンスもオマケがしにくい。

モスクワへ道は遠い。
山田さんと議論はその問題についてだった。

前者はそれでもまだマシで上記の任天堂同様「モスクワへ」は「道が遠い」という述部全体にかかっているという解釈が成り立つが、後者はその解釈が成り立たないので非文度がアップする。
 このように日本語では「が、に、を」と「へ、から、で、と、まで」といった格マーカーは名詞句内では使えない。それではどうするのかというと第三のグループ(「グループ」と言ってもメンバーは一人しかいないが)の限定格マーカー「の」を付加するのだ。そうするとあら不思議(でもなんでもないが)上では非文だった構造が許容できるようになる。

任天堂で仕事はプログラミングだった。
ドイツから友だちはシュミットさんといいます。
モスクワへ道は遠い。
山田さんと議論はその問題についてだった。

だから助詞の「の」は単に属格というより連体格とか限定格とかいうべきだと思う。この「の」は常に名詞句NP内にしか現れず、センテンス、あるいは動詞句VP、またはCPとかという節で使うことができないし、他の格マーカーとの共存できる。使われるセンテンス内の位置が他のマーカーとはっきり異なっているのだ。その際私の感覚では

任天堂での社員

という名詞句は「の」がついているのに許容できないが、実はこれが最初の私が「に」と「で」を一括りに処格としないでそれぞれExistentiell-Lokativ(存在処格)とAktional-Lokativ(動作処格)とに分けた理由である。「に」は「アメリカにいる」とか「アメリカに住む」とかいうように、場所そのものが主体で、動詞は「いる」とか「ある」とか「住む」とか意味の薄いものである。「で」は「アメリカで働く」とか「図書館で本を読む」とか動詞がはっきりした「活動」を表し、処格が意味的にも完全に動詞の支配下にある場合に使われる。畢竟「AでのB」という構造ではBが何らかの活動を表す名詞でないとおかしい。「社員」は活動でなく人であるからいくら「の」をつけてシンタクス的にはNP構造にしても「で」の意味と被修飾語の「社員」が不適合だからはじかれるのである。他方「任天堂での仕事」は、「仕事」が活動を表すからOKとなる。

 さてNP内では使えないというのは第一グループ「が、に、を」と第二「へ、から、で、と、まで」に共通の性質だが、第二グループが「の」と共存できるのに第一グループの不変化詞は当該名詞句内でダブル非変化詞を許さないという大きな違いがある。「の」が付くと自身は削除されるのだ。

*アメリカの旅行は楽しかった。
アメリカの旅行は楽しかった。

*田中さんのお土産は日本で買ったパソコンだ。
田中さんのお土産は日本で買ったパソコンだ。

*映画の鑑賞は私の趣味だ。
映画の鑑賞は私の趣味だ。

*高橋さんの批判は辛らつだった。
高橋さんの批判は辛らつだった。

このうち「に」については与格、方向格は「へ」、奪格は「から」でそれぞれ代用できる。「へ」も「から」も「の」と両立するから名詞句内での両名詞のシンタクス関係または意味関係を表すことができる。

アメリカへの旅行は楽しかった。
田中さんへのお土産は日本で買ったパソコンだ。
モハメド・アリからのパンチは強烈だった。
(「モハメド・アリにパンチを食らった」と比較)

しかし存在処格、主格、対格の区別は表現しわけられない。「映画の鑑賞」ならまあ「映画」が対格だなとわかるが「高橋さんの批判」となると高橋さんが批判したのかそれともされたのか、つまり主格なのか対格なのかはどうやっても表すことができない。意味に頼るしかないのだ。
 この、二つの名詞からなる名詞句で修飾するほうがされるほうの主格なのか対格なのかというのはドイツ語でもよくわからないことがある。それについて個人的な思い出があるのだが、『85.怖い先生』で述べたドストエフスキーの『悪霊』のゼミの期末レポートで私はMord Šatovs (「シャートフの殺人」)と書いた。小説ではシャートフという人が殺されるのである。そしたら教授が私のレポートについて批評してくれた際、これではシャートフが人を殺したことになってしまうからMord an Šatovs(「シャートフへの殺人」)かErmordung Šatovs(「シャートフの殺害」)と書かないといけないと教えてくれた。提出前にネイティブチェックを通してはいたが、そのネイティブは『悪霊』を読んでいなかったので誰が被害者なのか知らず、これにOKを出していたのであった。
 逆に、日本語では単純に「AのB」という構造になっているのでそれ以上深くAとBとの意味関係について考えずにいたところ外国語に訳された形を見て初めて両者の格構造に思いが行く、ということもあった。安倍公房の小説『砂の女』のタイトルがロシア語でЖенщина в песках となっていたのである。直訳するとthe/a woman in sands、英語タイトルではthe woman in the dunes で、存在処格の「に」が削除された名詞句である。

 まあどこの言語でも名詞句内の名詞の関係(『150.二つの名詞』も参照)には苦労するようだが、とにかく私はこうやって日本語の格マーカーを3つのグループに分けて説明している。

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 今はあまり見かけなくなってしまったが1990年代の終わりごろは町の本屋にロシア語の本がよく並んでいた。読む読まない、読める読めないは二の次で「とりあえずロシア語」感覚でバコバコ買ったはいいが、結局いまだに本棚の肥やし状態で鎮座している本が何冊もある。最近その中の一冊、190ページほどの小説を何気なく手に取って読んで見た。そしてロシア文学の傑作に触れたことを知った。私のロシア語だから辞書を引きまくり、時には文法書まで動員して何か月もかかってチンタラチンタラしか進めなかったのも関わらず、その作品は最後まで私を惹きつけ、読ませ続けたのだ。私の持っているのは1995年にフランスで発行されたペーパーバック版。М. Агеев(M.アゲーエフ)という作家によるРоман с кокаином(「コカインの小説」)という作品である。本にはこの小説ともう一作、Паршивый народ(「ろくでなし民族」)という10ページほどの短編が収められている。

Printed in Franceのペーパーバック版の表紙と目次。ロシア語の本は目次が最後に来るのが普通だ。
titel1

inhaltverzeichnis

 「傑作」と上で言ったのは決して私が勝手に主張しているのではなくてロシア文学研究者などがそう呼んでいるのだ。Роман с кокаиномはアゲーエフのデビュー作で、1934年代にパリで発行されていたロシア語の文芸誌のいくつかで発表された。当時のパリにはソ連からの亡命者や移住者が大勢おり、ロシア語による文化活動も盛んだったのだ。確かソルジェニーツインも第一作をパリで発行しているはずだ。文芸評論家たちはРоман с кокаиномのレベルの高さに呆然としたが、アゲーエフ某などという名前は誰も知らなかった。そこで原稿の送り元の住所が(当時の)コンスタンチノープルになっていたので、ご苦労にも人を派遣して調べさせた結果、この作家の本名はМ.Леви(M.レーヴィ)であることが判明した。判明はしたがアゲーエフにしろレーヴィにしろ全く無名であることは変わらないので「こんな傑作を全く無名の素人作家がいきなりデビュー作で書けるわけがない。このアゲーエフは誰か有名作家の匿名に違いない、レーヴィなどという人物は存在しない」という噂がささやかれることになった。
 1980年代になってフランス語訳が出た。訳者は Lydia Chweitzerリディア・シュヴァイツァーというロシア系のフランス人で(しかも名前から判断するとユダヤ系である)、ある日偶然古本屋でどうも見覚えのあるロシア語の本を見かけ、その本を30年代に既に読んで強烈な印象を受けていたのを思い出した。それで仏語に訳すことにしたそうだ。訳が出ると「アゲーエフの正体」に対する騒ぎがパワーアップして再燃した。特に「このアゲーエフは実はウラジーミル・ナボコフである」と執拗な囁きが消えないので、しまいにはナボコフの未亡人が口をだし「夫はアゲーエフなどというペンネームを使ったことはない。またコカインの経験もない。さらにモスクワに行ったこともなく、そのアゲーエフやらと違ってサンクト・ペテルブルクのロシア語で書いていた」とキッパリNoを突き付けた。確かにРоман с кокаиномの舞台はモスクワで、そこに描かれているのはコカインで身を亡ぼす若い男性の姿だ(下記参照)。それでようやく文芸評論家たちも別の可能性に気が付いた。アゲーエフというのは本当にレーヴィとかいう人物、つまりM.レーヴィは実在の人物なのではないかということだ。そこでロシア文学研究家たちが血眼になって調査した結果、現在はこれがМарк Лазаревич Леви(マルク・ラザレヴィッチ・レーヴィ)というユダヤ系のロシア人であったことがわかっている。
 レーヴィは1898年7月27日(今の暦では8月8日)にモスクワで生まれた。家は毛皮商会に務める裕福な家庭だったが、1904年に父が死ぬと破産状態になった。それでも1912年から1916年までギムナジウムに通い、卒業後モスクワ大学の法学部に入学したが1919年に学業は放棄した。ギムナジウム卒業と同時にプロテスタントとして洗礼を受けている。
 Роман с кокаиномの舞台はまさにこれで、主人公はギムナジウムの学生、1916年の少し前から物語が始まり、ギムナジウムを卒業して大学で法律を学び始めたはいいが、コカインを知って身を亡ぼすのが1919年となっている。また、下でも述べるがクラスメートは皆裕福で何不自由ない生活を謳歌しているのに自分の家だけ経済的に苦しい、けれどそれを表に出すわけにはいかない、畢竟その苦しさは低賃金の仕事をして必死に家計を支えている母親への嫌悪となって吹き出してくる。主人公の母親に対する冷酷さ、憎しみの描写は日本人がロシア語で読んでも心に重くのしかかってくるほどだ。さらにギムナジウム卒業寸前に学校所属の司祭が役割を担ってくるのも作者の洗礼と無関係ではあるまい。
 1923年からAll Russian Cooperative Society Limited という会社で翻訳者として働いた。何語の翻訳かちょっと出ていなかったのだが、ドイツ語ではなかったか。小説にもギムナジウムでドイツ語を学ぶ様子が描かれているし、レーヴィはその後1924年にドイツ(ドイツ帝国)に移住して、働きながらライプツィヒ大学を卒業しているからである(1928年)。また後に見つかったソ連外務省の資料によるとレーヴィはそこで、もうソ連に帰る気はなく国籍もパラグアイ国籍に変えたという。どうしてドイツにいて唐突にパラグアイが出てくるのか全く分からないのだが、とにかくその後語学学校のベルリッツで外国語(ロシア語か?)を教え、1933年にはパリに行ってそこで教鞭を取った。ということはフランス語もできたわけだ。私の個人的なステレオタイプ把握「ユダヤ人=語学の天才」という図式が完全に当てはまってしまっている。
 1930年代の半ばにフランスからトルコに移住した。そこでもやはり外国語(何語だ?)を教えたりフランスの会社で翻訳の仕事をしていたが、1942年、トルコのドイツ大使フォン・パーペンに対する暗殺未遂事件に関与したとしてトルコ政府から「好ましからざる外国人」とみなされ国外退去となる。ソ連国籍者としてソ連に退去させられたのだが、パラグアイ国籍の(はずの)レーヴィがいつどうやってソ連市民に戻ったのかはわかっていない。
 ソ連に戻ったと言っても生まれ育ったモスクワには戻してもらえないでソ連内のアルメニア共和国の首都エレバンしか居住許可が出ず、1973年8月5日に亡くなるまでそこにいた。そこで結婚もし、大学でドイツ語を教えたりして家族以外の外部とはあまり接触のない生活を送ったが、そういう静かな、普通に働き趣味で映画を見たり音楽を聴いたりする生活にも自分のそれまでの人生にも満足していたようで、「人生何でもやってみるもんだよ」と常日頃言っていたという。
 毎年少なくとも一回はエレバンからモスクワを訪問していたそうだが、誰に会いに行っていたのかはわからない。親戚・家族の者はレーヴィがかつて文学作品を発表したことがあるのを知らなかったそうだ。確かにアゲーエフはこの2篇しか作品を発表していない。世の中には知れば知るほどわからなくなる人物がいるものだがこの人はその典型だろう。

本の裏表紙には文学研究者が必死に見つけ出した作者の写真が掲げてある。
titel2

 その謎の人物レーヴィが書いた謎の小説Роман с кокаиномは、一言で言えば、将来に夢が持てずコカインにおぼれて自分の周辺も自分自身も破壊させる学生の話である。4章からなる、一人称語りの小説だ。

第一章:ギムナジウムГимназия
 タイトル通り主人公ヴァジム・マスレニコフの学校生活が語られるが、まず母親に対する冷酷さが凄い。女手一つで息子を金持ち学校に行かせている母親なのに、主人公はその「年寄りでいつもボロを来ている」母親に対して嫌悪しか感じない。「人に知られると恥ずかしいから外で会っても自分に話しかけるな」とまで言う。また早熟で性病にかかったりする。そのうえ自分の性病をわざと人にうつしてやろうと、モスクワの町で罪もない女の子を「ひっかける」。
 次にギムナジウムの生活がエゴロフ、シュテイン、ブルケヴィッツという3人のクラスメートを中心に描かれる。裕福なユダヤ系の子弟が多い。最初エゴロフ、シュテイン、主人公で「成績優秀生徒グループ」を形成していたが、あるときドイツ語の授業でちょっとした出来事が起こる。ブルケヴィッツが皆の前でついクシャミをしたがハンカチを出すのが間に合わず、洟を飛ばしてしまうのだ。ドイツ語教師もクラスメートもそれをからかう。ブルケヴィッツは以来クラスの誰とも全く口をきかなくなり、完全に自分の世界に閉じこもる。そして黙々と一人で努力し、学年の最後にはそれまで学校一優秀な生徒とみなされていたエゴロフを抜いて、最優秀の評判を勝ち取る。それでもブルケヴィッツはクラスメートと話をしない。
 卒業も間近になったある時、その最優秀成績のブルケヴィッツが校内医ならぬ校内司祭にたてつくという大事件を起こす。時は第一次世界大戦。司祭が生徒の間に国への奉仕義務を説教したところ、ブルケヴィッツは堂々と「人を殺せというのがキリスト教徒の義務なのか。そうやって銃後で人に死にに行け、人を殺して来いという自分はいったい国家のために何をしたんだ」と食って掛かる。さあ大変だ。聖職者に異を唱えたりしたら素行点はゼロになる。大学への入学資格も失う。人生そのものがフイになるのだ。主人公は、言うだけ言って外へ飛び出したブルケヴィッツの後を追う。探してみるとブルケヴィッツは隅に座り込み、頭を抱えていた。主人公は慰めるように肩に手を置くのだが、その行為が「純粋な同情だけから出たものではなく、奥底には自分の血の出るような努力を一瞬のうちにフイにしてしまった人間に対する興味の心があった」。
 さらに主人公はすでに階段を上っていた司祭を追って走る。これも「ブルケヴィッツをとりなそうという気はなかった。とにかく条件反射で走ってしまったのだ」。しかし、司祭は血相変えて自分を追ってきた主人公の意図を前者に解釈し、「大丈夫だ。学長に言いつけたりはしない」と保証する。そして自分は息子を戦死させていることを告げる。

第二章:ソーニャСоня
 ギムナジウム卒業から大学入学までの休み期間、金持ちのエゴロフのお相伴をして遊んでいたとき、ひょんなことからソーニャ・ミンツという年上の女性と知り合い、恋に落ちて舞い上がる。ソーニャに会うのが嬉しくて、道行く人々、世界中の人々を抱きしめたいような幸せな気持ちを味わう。しかしそれと同時に母親への冷酷さは度合いを増し、母にはそれ以上のお金は出せないと分かっているのに、「とにかく金が要るんだ、出せ!」と怒鳴りつける。出せないのならそのブローチを売れという。父の形見のブローチで、母が何よりも大切にしているのを知りながら言うのである。ソーニャとのデート代のためだ。見かねた家のお手伝いさんというか乳母がそんなにお母さんを苦しめちゃいけない、ほらこれを持って行きなさいといってお金をくれる。それは乳母が老後のためにと必死で貯めたお金であることを知りながら、乳母の手からむしり取る。
 主人公のソーニャへの愛は激しいものであるがゆえに中々最後の一線を越えることができない。ソーニャと付き合いながら売春婦を買ったりする。それでもソーニャに対して何の罪の呵責も感じない。世界の女性の中で愛するソーニャだけが「人間」で、他は所詮女に過ぎないからだ。しかし女性であるソーニャにとっては世界の男性は皆自分にとって人間であるにすぎず、愛する男性のみが「男」なのだ。主人公にもそれがわかっている。ついにある日、友人エゴロフに部屋を提供してもらってそこにソーニャを誘い、最後の一線を越えようとするが、なぜか体の方は拒否反応を起こし、吐いてしまう。
 ソーニャは耐えがたい侮辱を感じる。それはまるで「キリスト教者がライ病患者に口づけをするときの気持ちにも似て、内心は嫌なのに無理に自分の気持ちを押し殺してやる偽善行為」だからだ。この言葉は章の最後で紹介されるソーニャから主人公へあてた別れの手紙に書いてあることだが、その手紙で、ソーニャが既婚者であったことがわかる。ソーニャの夫はある意味では無神経で鈍感なタイプで、主人公と知り合いになると全く疑いもせずに招待して自分たちの家を案内して回る。そこで自分たちの寝室を見せるのだが、そこで主人公には嫉妬の心が芽生え、それと同時にソーニャに対する官能的な愛というか「劣情」も呼び起こされた。性交渉もするようになったが、同時に愛情も薄くなってしまった。薄れていく愛情を再燃させようと、官能愛にのめりこめばのめりこむほど、愛は薄れていった。最終的にソーニャは「これは愛じゃない、恥辱だ」といって夫のところに帰っていく。この夫もソーニャは愛しておらず、一時は主人公のために捨てようかと考えていたほどなのである。

第三章:コカインКокаин
 相変わらず裕福な友人のお相伴で生活を謳歌していた主人公は大学の仲間からコカインを吸うことを教わる。好奇心で一回だけ吸ったのが依存症になってしまうのだが、その最初の一歩の描写があまりにも見事で微に入り細に入り、作者のレーヴィは少なくとも一回は本当にコカインをやったことがあるのではないかと思わざるを得ない。それともごく身近に常習者がいたのか。例えばコカインの粉は非常に軽いため、主人公は最初息を止めていたはずなのにうっかり鼻息で飛ばしてしまう。コカインに慣れた知り合いがそこで助言していうには、「コカインは軽い粉だから息を止めただけじゃだめだ。あらかじめ肺から息を出し切って吐きたくても息が出ないくらいにしておけ」。
 薬による幸福感。主人公はそれがもっと欲しくなって、夜中に母の寝室に忍び込み、ブローチを盗み出して売人に渡し、さらに薬を求める。大切なブローチをなくして母が浮上に悲しむだろうと考えると、主人公はかえって母に愛情さえ感じる。夜中さんざん吸って朝になってから家に帰ると母親が青い顔をして声を震わせながら「泥棒」と主人公を罵る。主人公は母の顔をぶん殴って家を飛び出し、行くところがなくて友人のエゴロフのところに転がり込む。エゴロフはちょうどこれから恋人といっしょに南ロシアに何か月か旅行に行こうとしていた矢先で、主人公にいくばくか金さえ渡し、自分の家で好きなだけくらしていいと主人公を導きいれる。以後主人公はこの友人の家で、ほとんど外に出ることもなく昼となく夜となくコカインを吸って過ごすのである。

第四章:所感 Мысли
 すでに完全に薬物中毒となった主人公が頭に浮かぶ様々な想いを綴る。
 人が富や名声を求めるのは何のためだろう。幸福になるため、いや正確にいうと「幸福感を味わうため」である。言い換えると幸福は外部で実際に起こる事象によって引き起こされるのではない、それを受け取る人間の人間の心の中にあるのだ。だからもし外部の事象の助けを借りずに幸福(感)を引き起こすことができれば、富や名声など全く不必要ではないか。例外はその名声を得ようと努力する過程そのものが幸福をもたらす場合だが、自分にはそんなものはない。コカインがすでに心に幸福感をもたらしてくれるのだから、自分はもう富だろ社会地位などは必要ない。それで主人公は法律家になるという人生の目的を放棄する。
 人間の魂について。自己犠牲、正義感、同情、隣人愛、そういう崇高な人間性が呼び起こされると必ずそれと同じだけの強さで、真逆の邪悪な感情、残酷さ、冷酷さ、暴力性などがついてくる。この二つはコインの裏表のようなもので分けることができない。崇高な人間性が喚起されるとそれと同時に必ず獣性も浮かび上がる。犯罪の被害者への崇高な正義感・同情が発動されなければ、犯人への暴力性、殺せ殺せの大絶叫も発生しない。民衆の幸福を求めて発生した革命の裏では裏切者扱いされた人々の血が大量に流れる。獣性なしには人間は崇高になれない、獣性に出てこられたくなかったら、人間性を全く放棄しすべてのことに全く無関心でそれこそ動物のように自分のエサだけを考えて暮らしていくしかない。この考えが「ちょうどコカインが体の毒であるように、心の毒として」主人公をむしばんでいく。このモチーフは第二章でも描かれた、一方ではソーニャへの(崇高な)愛と喜び、他方では母親に対する獣性(冷酷さ)、第三章の相手に苦しみを与えるのが愛情であるという部分にもはっきり見て取れる。
 主人公はまた幻想にも襲われ、夢を見る。自分が命じて「家来」に母親を刺し殺させる夢だ。目が覚めると主人公はもう何か月も帰っていない自分(と母)の家に行く。帰ってみると誰もいない。母の寝室も真っ暗である。周りを見回してみるとそこで母が首をつって死んでいた。絶叫しながらも主人公は同時にまた今回も「目が覚める」のではないかという感じを捨てきれない(また読者の方もこれが事実だという明確な答えを与えられない)。またコカインの売人をそこに呼び寄せて吸い続ける。

 主人公の自筆による物語はここで終わり、この後主人公を収容した病院の医者の報告が4ページほど続く。それによると主人公は完全にコカインに犯されていてもう病院では手の施しようがなかったので、どこかのサナトリウムか療養所に行くしかない。しかしそこに入るにはなにがしか社会(=革命)に貢献している人物でないといけない。親戚はいないのか?と医者に聞かれて主人公は答える:母は死んだ。何くれとなく面倒を見てくれた乳母は今はもう自分が人の施しで生きている状態だ。友人のエゴロフは外国に行ってしまった。もう一人の友人ブルケヴィッツは今どこにいるのかわからない。
 すると医者は驚いて「ブルケヴィッツ同志なら現在医者として療養所に務めている。その推薦があれば療養所に入れる」。それを聞くと主人公は医者の「今日はもう遅いし寒いから明日行きなさい」という忠告を無視して外に飛び出していき、翌日の朝12時ごろ死体で発見されブルケヴィッツの病院に運び込まれる。
 所持品には(読者が今まで読んできた)手記があり、そこの最初のページに凍えたような字で「ブルケヴィッツ拒否す」と書かれていた。

 実は第一章のГимназияにはサブタイトルとしてБуркевиц отказал(「ブルケヴィッツ拒否す」)とあるのだが、読者には最後の瞬間までこの意味が分からない。私も「なんだこれは」と読んでいる間中気になっていた。最後の最後に一気に謎が解ける、といいたいところだが、これも母の縊死と同様ブルケヴィッツは本当に拒否したのか、それとも主人公の妄想であったのかわからないのである。

小説の最初のページ。Буркевиц отказалというサブタイトルに読者は最後まで引っかかる。
burkevits

 以上がストーリーだが、この小説はその他にもモスクワの凍てつくような冬の描写、登場人物の細かい観察など文体も優れている。その中でも特に心をえぐる文章は縊死した母親を主人公が暗闇で見つけるシーンだろう。

Постель была не раскрыта, пуста. Сразу исчез теплый запах спящего вблизи тела. Но я все-таки присел, повернул голову к шкафу, и вот тут-то, наконец, я увидел мать. Ее голова была высоко, у самой верхушки шкафа, там, где кончалась последняя виньетка. Но зачем же она туда взобралась и на чем она стоит. Но в то же мгновение как это возникло в моей голове, я уже ощутил отвратительную слабость испуга в ногах и в мочевом пузыре. Мать не стояла. Она висела — и прямо на меня глядела своей серой мордой удавленницы.

ベッドは覆いがかかったままだった。誰も寝ていない。そばでしていた眠っている者の体の暖かい臭いはすぐ消えてしまった。それでも僕はベッドに腰をおろして顔を戸棚の方に向けた。するとそこで初めて母が目に入った。顔はとても高いところにあった。戸棚の一番上のほうだった。彫ってある唐草模様の端のところだ。けれどどうしてそんなところによじ登ったのだろう。何の上に立っているのだろう。だがそういう考えが頭をかすめたその瞬間、僕はもう足と膀胱に驚愕が引き起こすむかむかするような脱力感を感じていた。そうだ、母は立っていたのではなかった。下がっていたのだった。そして縊死した者の灰色い面つきをしてまっすぐに僕を見つめていたのだ。
(翻訳:人食いアヒルの子)

 作者の身元詮索の騒ぎのほうが小説そのものをめぐる議論より大きくなってしまったのはある意味不幸なことであった。作者不詳ということで読者の興味を煽った出版社の売らんかな主義作戦というネガティブ評価もないではない。とにかく自分で読んで判断するしかなかろう。

縊死した母親の描写が出てくるのは小説の最後のほうである。
mat

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 『84.後ろか前か』で同格についてちょっと触れ、同格名詞(NP1+NP2)はあくまで全体として一つの名詞であってNP1とNP2間にはシンタクスやテクストレベルと違い「NP2が意味的にNP1より包括的でないとうまく機能しないというレヴィンソンの規則は適用されない」と安直に述べてしまったが、その後よく考えてみると「適用されない、はいオシマイ」では終わらせられないことに気がついた。
 まず助詞の「の」を使う同格表現であるが、

太郎の馬鹿野郎
馬鹿野郎の太郎

を比べてみると私の感覚では最初のほうが遥かに座りがいい。まさに同格という感じがする。それに比べて後者の方はNP1がNP2の修飾語であるという感じがぬぐい切れない。この修飾語感覚はNP1が「な形容詞」にもなりうる語だと益々はっきりする。

1.太郎の馬鹿  NP1 + NP2
2.馬鹿の太郎  NP2 + NP1  
3.馬鹿な太郎  Adj. + NP1

1が一番同格性が強く、3は完全にNPが一つ、つまり単なる普通のNPで、2がその中間、NPが他のNPの修飾語になっている、まあ特殊な構造である。「特殊」と言ったのはNPというのはシンタクス上で普通修飾語としては働かず、基本的にはされる側だからである。2ではNP1の方が意味が狭くなっている。「意味」というよりreferential status指示性のステータスが高いといったほうがいいかもしれないが。言い換えると指示対象物を同定できる度合いが強いということだ。とにかく太郎という一個人のほうが馬鹿という人間のカテゴリーより意味が狭くて指示対象がはっきりしている。これは前に述べたレヴィンソンの規則では、NP1とNP2の指示対象が同じものだとは考えにくくなるパターンだ。逆にそれだからこそ、先に来たNP2のほうをNP1の修飾語と考えないとNP1とNP2がバラバラになってしまう。1ではレヴィンソンの言う通り、後続のNP2の方が意味が広いからすんなりとNP1=NP2と解釈することができる。要するにここではしっかりレヴィンソンの図式が当てはまっているようだ。次に

4.ハイデルベルクの町 NP1 + NP2
5.町のハイデルベルク NP2 + NP1

を比べてみよう。ここでも同格と見なしうる4では「太郎の馬鹿」と同じくNP2の方が意味範囲が広い。5はNP2は明らかにNP1「ハイデルベルク」の修飾語・限定語でNP1の意味を狭めている。例えば会話の場(でなくてもいいが)にハイデルベルクさんという人がいて、ハイデルベルク市の話をしているのかハイデルベルク氏について話しているのかはっきりさせたい場合は「町の(ほうの)ハイデルベルク」というだろう。氏は「人のハイデルベルク」である。ここでもレヴィンソンの図式が当てはまる。
 しかしその「NP1とNP2の意味範囲の法則」が名詞句内で当てはまるのはそこまでで、NP2が職業名だとなぜかこの図式が適用できない。

6.佐藤さんのパン屋 NP1 + NP2
7.パン屋の佐藤さん NP2 + NP1

では、同格とみなせるのは7、意味的に狭いほう、指示対象を特定できる度合いが強いほうが後に来ている。図式と逆である。またこの場合の「パン屋の佐藤さん」は「町のハイデルベルク」と違ってそばに会社員の佐藤さんがいなくても、つまり佐藤さんの意味を特に狭める必要がなくても使える。言い換えると普通に同格なのである。6はNP1(佐藤さん)がNP2(パン屋)の所有者という解釈しか成り立たない。さらに

8.おじさんの医者 NP2 + NP1
9.医者のおじさん NP1 + NP2

を比べてみよう。同格とみなせるのは9の方である。その際9では「おじさん」の意味が「両親の兄弟」つまり話者の親戚かよく知っている近所の(でなくてもいいが)中年男性となる。これに反して8では「おじさん」が単なる「中年男性」の解釈となる。話者の知り合いでもなんでもない、カテゴリーとしての中年男性という意味になるから、NP2(「おじさん」)はNP1(「医者」)の修飾語である。つまりここでもNP2の方が指示対象を特定できる度合いが強い構造のほうが同格なのだ。

 まだある。NP1、つまり意味の広い方が漢語だと助詞の「の」で同格が作れない。同じ意味の和語では可能なことが漢語相手だとできないのである。だから

10.ドイツの国

はいいが

11.ドイツの連邦共和国

は同格にならない。この場合は「ドイツ連邦共和国」と「の」抜きの完全な合成語にしないといけない。これは大学の場合も同じで、

12、筑波の大学

とは言えず、

13.筑波大学

と言わなければいけない。「筑波の大学」だと「つくば市の大学」ということになり、あのデカイ国立大学だけとは限らず、私立のつくば国際大学も指示対象になりうる。ローカルな話になって恐縮である。
 さらに「ハイデルベルクの町」(上述)という同格構造は成り立つが、「ハイデルベルクの市」とは言えない。合成語にして「ハイデルベルク市」とするしかない。
 面白いことに英語だと「共和国」とか「合衆国」とか「大学」いう固い言葉とでも「の」にあたる前置詞を使って同格構造が形成できる。

14.Federal Republic of Germany
15.University of Tsukuba

日本語ではこれらはそれぞれ「ドイツ連邦共和国」、「筑波大学」という合成名詞でしか表現できない。しかし一方で合成名詞を構成していると名詞の関係は「の」のつく構造と必ずしも並行しないから一旦観察しだすと止まらなくなる。例えば

16.裁判官おばさん
17.おばさん裁判官

だが、17は「おばさんの裁判官」「おじさんの医者」などの「の」がつく構造と同じで中年女性の裁判官という意味になるが、16は「裁判官のおばさん」という意味にはならない。私の言語感覚では、すぐに「サイバンカーン」と絶叫するのを芸にしている中年女性のピン芸人(こういう絶叫が芸と呼べるかどうかはこの際不問にすることにして)などが「裁判官おばさん」である。
 このタイプの合成名詞はロシア語では各名詞をハイフンでつなぐが(『84.後ろか前か』参照)、ドイツ語では日本語と同じように名詞を裸でくっつける。そしてここでも名詞の順番によって同格になったりならなかったりする。

18.Muttertier
            mother + animal
19.Tiermutter
            animalmother

18は同格で「おかあさん動物」、例えば後ろにヒヨコを従えて横断歩道を渡る「おかあさんアヒル」である。そのまま合成名詞として日本語にできる構造だ。ところが19は同格にならないし、そもそもそのまま日本語に「動物おかあさん」「アヒルおかあさん」とは合成名詞変換できない。では「の」をつけて「動物のおかあさん」「アヒルのおかあさん」と翻訳できるかというとこれがそうではない。「アヒルのおかあさん」は「おかあさんアヒル」と同様自分自身もアヒルであるが、 Tiermutterではmother は人間で「怪我をした動物を家に連れてきて献身的に世話をする女性」というニュアンスで、とにかく動物の世話をしている(優しい)女性という解釈になる。これはネイティブ確認を取った。日本語の「アヒルのおかあさん」もそういう女性を表せないこともないが、同格になりうる度合いが遥かにドイツ語より強い。

 名詞と名詞が合体すると、シンタクス上の構造ばかりでなくその名詞自身の意味や、直接の意味内容には入っていないいわゆるニュアンスなどもかかわってくるから騒ぎが大きくなるようだ。さらに大騒ぎになるのが当該名詞が上述のように単なるNでなくそれ自身すでにNPである場合である。

20.山田さんの知り合いの任天堂の社員
21.任天堂の社員の山田さんの知り合い

20は事実上「山田さんの知り合い=任天堂の社員」という同格解釈しか成り立たないが、21では山田さんが任天堂の社員であるという解釈もなりたってしまう。

 だんだん収集がつかなくなってきたのでこの辺で止めさせてもらうが、昔生成文法でもごく最初の頃に名詞と名詞の結びつき、属格構造を導き出す変形をシンタクス上で説明しよう、つまり属格構造がD構造ではセンテンスであったと説明しようとしていて、直に放棄したようなおぼろげな記憶がある。あくまでおぼろげな記憶である。

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