アルザスのこちら側

一般言語学を専攻し、学位はとったはいいがあとが続かず、ドイツの片隅の大学のさらに片隅でヒステリーを起こしているヘタレ非常勤講師が人を食ったような記事を無責任にガーガー書きなぐっています。それで「人食いアヒルの子」と名のっております。 どうぞよろしくお願いします。

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 前にも少し名前を出したソ連の作家アンドレイ・プラトーノフだが、私は最初岩波文庫の翻訳で短編をいくつか読んだ。中央アジアを舞台にした作品だったが、特に変わったストーリーでもないのにちょっとゾッとしたのを覚えている。さらに訳の日本語がおかしい気がした。言葉がおかしいというより、別宮氏あたりから悪訳と言われそうな文章で例えば「普通の人ならこういう時こういう言葉は使わないだろ」という不協和音がそこここに感じられてどうもすんなりと読めなかったのだ。しかし訳したのは名の通った一流の訳者だったので、どうも腑に落ちなかった。
 その後ずっと経ってからロシア語ネイティブの人となぜかプラトーノフの話になった時、そのネイティブ氏が「プラトーノフの文章は全然読めない。あのロシア語はおかしい。とにかく文章に入っていけない。とっつくことができない」と言い出した。そこでようやくプラトーノフはロシア語自体が「普通じゃない」ことを知ったのである。「普通の人ならこういう時こういう言葉は使わない」のは日本語訳のせいではなかった。訳者はそういう原語に合わせてわざととっつきにくい日本語にしたのかもしれない。

 ドイツではすでに1990年に大きなプラトーノフ全集が出ているのだが、その後すぐ(と言っていい)1999年にレクラム文庫からいくつかの短編の訳が出た。日本は外国文学の古典の訳が同時に数種出たりするが、こちらは一度訳が出たら容易には新訳が出ない。訳文が古くなってそれ自体の現代語訳がいるようになったとか、重訳していたのを原語からの直訳にするとか、新たな原稿が見つかったりして原語自体の編集が必要になったとか何か大きな理由がいる。1990年に訳が出たのに1999年にはもう別訳というのは異例といっていい。当時スラブ語学の教授がこれをいぶかって「前の訳がよほど悪かったのかな」と首をかしげていた。

1990年版のドイツ語訳プラトーノフ全集の一巻。
platonov-1990bearbeitetNEU

そのあと程なくしてレクラム文庫から短編がいくつか改めて翻訳されて出版された。
platonov-reklam

 レクラム版は短編数編のみの翻訳だったが、2016年になってプラトーノフの代表作Котлован『土台穴』(ドイツ語でDie Baugrube)が再翻訳された。Котлованの訳者はガブリエレ・ロイポルトGabriele Leupoldという人だが、その翻訳が非常に高い評価を受け、当時の全国紙の文芸欄に大きく取り上げられた。ロシア語の文学が文芸欄に取り上げられること自体珍しいのにその上トルストイやパステルナーク、ナボコフなどと比べると一般の知名度がはるかに低いプラトーノフが文芸欄に載ったので私は驚いた。

Leupold訳の新しいDie Baugrube。2019年にペーパーバック版が出された。これはペーパーバック版のほうの表紙。
platonov-2019bearbeitet

 その訳業が高く評価されたのは「翻訳不可能なものを翻訳した」からである。プラトーノフのロシア語は翻訳不能とみなされていたのだ。もちろん大体の内容やストーリーを写し取ることはできるだろう。だからこそ今までにも翻訳そのものはあった。だがその文体の「普通じゃなさ」、ネイティブにさえあんなロシア語は読めないと言われた特殊な言葉使い、語の周辺にうごめく連想体系を外国語に再現なんてできるわけないと思われていた。もちろんあらゆる翻訳はあくまで近似値に過ぎないから本当の意味での翻訳というのはそもそも不可能だが、その近似値にさえ行きつけない作品があるということだ。
 プラトーノフの長編小説がそこまで近づきにくかったのには大きい理由が二つある。一つは当時のソ連社会の特殊性と閉鎖性。ソルジェニーツインのように社会や政府から具体的に恐ろしい制裁を受けたものの記録からは外部の者にもその特殊性(または恐ろしさ)が伝わる。しかしそういうはっきりした事象には現れない、社会全体に蔓延していた雰囲気は代表する事象がないだけに外の者にはわからない。秘密警察が怖いなどという具体的で理由がはっきりしている恐怖感でない、ただ暮らしているだけで感じる形のない不安は外の者には伝わりにくい。
 つぎに上の事とも関連するが新しい社会をまっさらな状態から作り上げるのを目標としたソ連の革命政府が行った言語革新のせいで、ロシア語はそれまで培ってきた伝統から切り離され人工的で不自然な言い回しや言葉が生まれた。いわば言語の孤児化、言語破壊である。プラトーノフはその破壊され孤児となった言語を用いた。だからロシア語のネイティブにさえも入っていけなかったのだ、それまでの伝統から引き離されたのは単語そのものばかりではない、語の背後に広がっている連想体系まで変えられた。社会の閉鎖性が言語にまで持ち越されたのである。
 さらにプラトーノフは詩も書いていたくらいだから言語感覚が非常に鋭利で、暗喩などの言語戦術、文学戦術を駆使している。例えば『31.言葉の壁』で言及した『名も知らぬ花』では、花というロシア語が男性名詞であることが大きな意味を持ってくる。例に出したドイツ語訳は上で述べた1990年版の全集に入っていたものだが、何も考えずにこれを女性名詞にしている。もっとも言語の芸術である文学作品とは多かれ少なかれそういうもので、当該社会や歴史のことが広く知られ、普通に自然言語で書いてあっても文学作品(詩だけではなく散文もそうだ)の理解、ましてや他言語への移植は難しいが、その上さらにその社会を実際に経験している者にしか理解できないような言語体系で微妙な言語戦術を駆使されたらもうお手上げだ。そのお手上げを翻訳したロイポルト氏が高い評価も受けるわけだ。
 私は氏のDie Baugrubeを読んでみたが、噛み砕きにくいドイツ語で読むのに骨が折れる。「それはあんたのドイツ語能力がないからだろ」と言われそうなので念のためこれを読んだドイツ語ネイティブに聞いてみたが、やはり「二度読んでいちいち考えないと文の意味が分からない非常に疲れるドイツ語」とのことだった。読むと疲れるというのはロシア語のネイティブの感想と同じで、その意味では氏のドイツ語訳は成功しているのだ。
 しかし当時の社会から生まれた特殊な言葉の意味、またロシア語そのものから来る連想については翻訳そのものでは移しきれず多くの注釈が付加されている。これも別宮氏だったと思うが(それとも河野三郎氏だったかもしれない)注釈に頼る翻訳は悪訳、文学の翻訳というものは本来妙な説明なしで原語を移植する、ある意味文化の移植であるべきだと言っていた。注釈があると文章の流れが著しく阻害されるからでもある。しかしそれには限界があるようだ。Котлованは言葉だけによる翻訳が可能な限界を超えているのではないだろうか。それに面白いことにこの小説では注釈が全然「流れを著しく阻害」していない。本テキストそのものが十分とっつきにくいので、途中で注釈を読みながら進んでもあまりスピードに差がないのだ。まあとにかく読みにくい文章だった。

 Котлованで描かれているのは社会主義建設期、よそ眼にはまだ新社会への希望をもっていたはずの時期に建物の建設に携わっている労働者たちである。労働者たちは後続の世代、自分たちの子供たちの幸福のために自分を犠牲にして働いている。階級の敵、今まで不公正の原因になっていた金持ち・搾取階級の人たちを抹殺するのも未来のためには仕方がない、そう思っている。
 しかしそれなのに彼らの心には何かぽっかりと穴が開いている。主人公の一人はどうしても「真実」が見つからず、その空しさを忘れるためか夢遊病者のようにただただ仕事に熱中している。建設を指揮する技師もうつ状態で死ぬことばかり考えている。
 そもそも「建設」というが、いったい何を、どういう建物を建てているのかはっきり描かれていないのだ。ただ皆でやたらと穴を掘り、時々近くの村へ行って集団化のために農民が今まで飼っていた家畜を押収する仕事を助けたりする。当時わずかながらも自分の財産であった牛馬が取り上げられて国家管理となった農家(零細農家もいた)は抗議のため、国に取り上げるくらいならと家畜を全部屠殺 したそうだ。そのためソ連国内に一時にどっと肉が出回って値段が暴落したりしたというが、そういう背景知識は注で詳しく説明してくれている。時は冬で、降り積もった真っ白い雪の上には家畜の死体に群がってきたハエが点々と黒いシミを作っている。壮絶な光景だ。
 そこに未来世代の代表として小さな少女が登場するが、この少女はまだ小さいのに二言目には「ブルジョアどもを皆殺しにしちゃおうよ」とかそういう言葉を吐く。少女は自分の母親が悲惨な死に方をするのを見とるのだが、その母のことも「ブルジョア」などと呼ぶなど、普通小さな子供が親の死に臨んでとる態度ではない。労働者たちはこの子供を非常に大切にして可愛がるが、この子に本当に幸せは訪れるのか、労働者たちの献身的な働きには何か意味があるのか、読むほうは考えざるを得ない。結局何もかもが大いなる「無」に向かって進んでいるだけではないのか。そういう予感が読者の背筋を冷たくするのである。少女は結局死んでしまうが、そのほうがこの子にとっては救いではなかったか。そう思わせるのだ。
 しかし無に向かっているのは社会主義社会だけの話なのか。結局人間の作る社会など全ていつかは崩壊し、無に帰するだけではないのか。
 似たような感じは上で述べた日本語翻訳で『ジャン』Джан、『粘土砂漠』Такырという中編を読んだときも抱いた。ストーリーそのものはいわばハッピーエンドなのにやたらと重苦しいのである。別に大悲劇が起こったりはしていないのになにかがズッシリと心にのしかかってくるのだ。

 さらにプラトーノフの文体がこの重苦しさに拍車をかける。ちょっとКотлованの冒頭部を見てみるとその消化の悪さがわかると思う。まず2016年のロイポルト氏のドイツ語訳。

Am dreißigsten Jahrestag seines persönlichen Lebens gab man Woschtchew die Abrechnung von der kleinen Maschinenfabrik, wo er die Mittel für seine Existenz beschaffte. Im Entlassungsdokument schrieb man ihm, er werde von der Produktion entfernt infolge der wachsenden Kraftschwäche in ihm und seiner Nachdenklichkeit im allgemeinen Tempo der Arbeit.

原文は以下のようになっている。

В день тридцатилетия личной жизни Вощеву дали расчет с небольшого механического завода, где он добывал средства для своего существования. В увольнительном документе ему написали, что он устраняется с производства вследствие роста слабосильности в нем и задумчивости среди общего темпа труда.

その個人的な人生の30回年めの日に、ヴォシチョフには今まで自分の存在手段を得ていた小さな機械工場から決算書が手渡された。その解職通知書にはこう書いてあった、ヴォシチョフは内面の出力虚弱性の増加および作業の共通テンポにおける瞑想癖のため生産活動から除外すると。

消化困難な文章が3言語も並ぶと壮観だ。翻訳というのは普通このような文章にならないよう噛み砕くべきなのだがプラトーノフではそれをしてはいけない。1990年のドイツ語訳もやはり消化困難文だが、「存在手段」die Mittel für seine Existenz が「生計」Unterhalt となるなど、上と比べるとややマイルドである。

Am Tag der dreißigsten Wiederkehr seines Eintritts ins persönliche Leben wurde Wostchew aus der kleinen Fabrik, wo er sich bislang seinen Unterhalt verdient  hatte, entlassen. Im Kündigungsschreiben hieß es, man müsse ihn aus der Produktion entfernen im Hinblick auf seine zunehmende Körperschwäche und wegen Grübelns inmitten des allgemeinen Arbeitstempos.

それにしても普通の小説なら

30歳の誕生日にヴォシチョフは今まで働いていた小さな機械工場から解雇通知を受け取った。作業の速度が遅いのと、皆が同じテンポで仕事をしているのに彼だけ考え事をしすぎる、というのが理由だった。

とでも書くところだ。ほかにもこの手の訳ワカメな文章がたくさんある。

 ロイポルト氏訳では言葉遊び、暗喩などはいくらか注で説明してくれているが、その注自体ある程度ロシア語の知識がないと理解できないのではないだろうか。例えばロシア語の硬音記号についてこんな会話がある。

– Авангард, актив, аллилуйщик, аванс, архилевый, антифашист! Твердый знак везде нужен, а архилевому не надо!
...
– Зачем они твердый знак пишут? – сказал Вощев.
...
– Потому что … и твердый знак нам полезней мягкого. Это мягкий нужно отменить, а твердый нам неизбежен: он делает жесткость и четкость формулировок. Всем понятно?

 - Avantgarde, aktiv, Akklamateuer, Avance, Agitator, Antifaschist! Das Härtezeichen muss überall stehen, nur bei Avance nicht!

- Warum schreiben sie das Härtezeichen? , - sagte Woschtschew.
...
- Weil … das Härtezeichen uns nützlicher ist als das weiche. Man sollte gerade das Weichheitszeichen abschaffen, das harte ist uns unausweichlich: es bringt Strenge und Klarheit der Formulierungen. Ist das allen verständlich?

「前衛、活動分子、拍手要員、前金、扇動要員、アンチファシスト! 至る所に硬音記号がいるぞ、 扇動要員 だけ必要ない!」

「どうして硬音記号を書くんだ?」 ヴォシチェフが言った。

「…硬音記号のほうが軟音記号より役に立つからだ。この軟音記号という奴は廃止すべきである。だが硬音記号は必要不可欠なのだ:硬音記号は書式に峻厳さと明瞭さをもたらすのである。全員わかったか?」

一行目からソ連の特殊用語の羅列である。аллилуйщик と архилевый (下線)は結構大きな辞書を見てもでていない。 Аванс(太字)は本来「前金」だが、この文脈で前金という言葉はおかしいからソ連では何か他の意味に転換されているのかもしれない。全員にはわからない。
 さて、この部分の主要テーマ(?)は硬音記号で、Leupold氏はこの部分に次のような注をつけているが、やっぱりわからない人がいるのではないだろうか。

Das Härtezeichen, das im Russischen vor allem im Wortauslaut nach Konsonanten stand und dessen ‚harte‘ Aussprache bezeichnete, wurde 1918 abgeschafft – anders als Weichheitszeichen, das eine ‚weiche‘ Aussprache des vorangehenden Konsonanten bewirkt.

ロシア語で、特に語末で子音の後に立ち、その「硬い」発音を示していた硬音記号は1918年に廃止された - 先行する子音を「柔らかい」発音にする軟音記号はこれと違って残った。

そこで人食いアヒルの子がしゃしゃり出るが(引っ込め!)、まず「硬い発音」と言われても一般の人には通じまい。これは口蓋化されていない子音ということで、ロシア語では例えば日本語の有声⇔無声、中国語や韓国語の帯気⇔無気(『126.Train to Busan』参照)の如く、口蓋化と非口蓋化という要素が弁別的に働く。そこで非口蓋化音には子音の後に硬音記号 ъ、口蓋化音は軟音記号 ь をつけて表していた。つまり「柔らかい発音」というのは口蓋化子音のこと。1918年以降は語末の非口蓋化音にいちいち硬音記号を付加するのをやめて、「何の記号もついていなければその子音は非口蓋音」と規則を統一し、口蓋化子音のほうにのみ軟音記号を付加することにしたのである。だからプーシキンの『エヴゲーニィ・オネーギン』はプーシキンの時代にはЕвгеній Онѣгинъと書いたが、今は硬音記号をつけなくていいからЕвгений Онегинとなる。ѣ や і の文字はロシア語では廃止された(後者はウクライナでは今でも使っている)。革命後しばらくたっていたはずなのにニコライ・トゥルベツコイがこの旧かな使いをしていたことは『134.トゥルベツコイの印欧語』で述べた。そこでは「言語連合」の複数生格形がязыковыхъ союзовъと記してある(現代の綴りではязыковых союзов)。これら語末の硬音記号を廃止して語末の子音が口蓋化音である場合にだけ特に軟音記号をつけることにしたのだ。それで「石」はкаменьと綴る。最後の音が口蓋化音。上のオネーギンと比べてみてほしい。それぞれ ъ と ь が語末についているが形が似ているから目が悪いとほとんど区別がつかない。どちらが一方をつけなくしたほうがよほど見やすい。
 ではなぜ硬軟両記号のどちらかを残すのに硬音でなく軟音のほうを残したか(ただし現在でも形態素の分かれ目を示すなど、特殊な場合には硬音記号は使われている)。これは硬軟どちらが有標で、どちらが無標なのかという問題だろう。日本語でも無標の無声子音はそのままで、対応する有標の有声子音のほうだけ濁点をつける。「かきくけこ」が「がきぐげご」になるのだ。これと同じメカニズムで、ロシアでは口蓋化音が有標だから特に軟音記号をつける。これが自然だ。硬音記号のほうを残して有標の軟音記号を廃止しろというのは自然に逆らい、ネイティブの言語感覚からもトゥルベツコイの音韻論からも正反対の方向を向いている。こういう「わかってない」指導者で社会はどこに向かっていくのだろう。しかも革命政府が硬音記号を廃止したのだからこれにイチャモンをつけるのは本来反革命ではないのか。いったい何がしたいのか。そもそも硬音記号と軟音記号とどちらが「役に立つか」などという議論や主張がそれこそ何の役に立つのか。より良い社会建設という目的が不毛で些末な文字論に堕ちていっている。
 話を戻すが上の Авангард, актив, аллилуйщик, аванс, антифашистは非口蓋化音にいちいち硬音記号をつけるとそれぞれАвангардъ, активъ, аллилуйщикъ, авансъ, антифашистъとなるはずだ。 архилевый だけ硬音記号がいらないのは最期の音は半母音で口蓋・非口蓋の区別がない、というのはこの音は何もしなくても口蓋化音でこれを非口蓋化することが物理的に不可能だからである。その点確かにこの発言者のいう通りなのだが、こういう妙に細かい部分で無駄に正確な描写をされると些末性がますます強調されて見える。

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 数詞というか数の数え方というか、例えば1から10までを何というのかなどは挨拶の仕方と同じく語学の授業の最初に基本単語として習うことが多いから日本語の場合も字もロクに読めないうちから数を覚えたがる人が結構いる。グッドモーニング、グッドバイときたら次はワン・ツー・スリーに行くのが順序という感覚だ。嫌な予感を押し殺しつつ仕方なく10くらいまで教えると、案の定「にひと」「さんアヒル」とか言い出す。それぞれtwo men、three ducks のつもりなのだ。それではいけない、単なる数字を勘定に使うことはできない、人とアヒルは数え方が違うのだ、人間も鳥も自動車も皆同じくtwo なら two を使えるほど日本語(や中国語)は甘くない、などという過酷な事実をそもそもまだ「私は学生です」という文構造さえ知らない相手に告げるのは(これは確か夏目漱石が使っていた表現だが)徒に馬糞を投げてお嬢様を驚かすようなことになりかねない。もっとも英語やドイツ語にだって例えば a cup of teaなど日本語や中国語に近い数え方をすることがある。日本語ではただそれが広範囲で全名詞にわたっており、単語を覚えるたびに数え方をチェックしておかなければならないというだけだ。ドイツ語で名詞を覚えるたびにいちいち文法性をチェックしておかなければならないのと同じようなもの。基本的に大した手間ではない。中国人だと中国語と日本語では数え方が微妙に違っているのでかえって面白がる。『143.日本人の外国語』でもちょっと言ったように、これしきのことでいちいち驚くのは構造の全く違う言語に遭遇したことがない印欧語母語者に多い。ただ、後になってから初めて「さんアヒル」と言えないと知らせて驚かすのも気の毒なので最近は数字を聞かれた時点で「これらの数字はただ勘定するときだけにしか使えず、付加語としての数詞は名詞によって全部違うから、後でまとめてやります」と言っておくことにしている。ついでに時々、「日本語は単数・複数の区別がなくて楽勝だと思ったでしょう?そのかわり他のところが複雑にできていて帳消しになってるんですよ。どこもかしこもラクチンな言語なんてありませんよ」と言ってやる。
 印欧語の母語者にとってさらに過酷なのは、普通日本語では数量表現が当該名詞の付加語にはならない、ということである。例えば英語なら

Two ducks are quacking.

で、two は ducks の付加語でduck というヘッド名詞の内部にあるが(つまりDP [two ducks])、日本語では数量表現が NP の外に出てしまう:

アヒルが二羽鳴いている。

という文では二羽という要素は機能的には副詞である。これに似た構造は幸いドイツ語にもある。量表現が NP の枠の外に出て文の直接構成要素(ここでは副詞)に昇格するのだ。いわゆるfloating numeral quantifiers という構造である。

Die Enten quaken alle.
the +  ducks + are quacking + all
アヒルが鳴いている。


Wir sind alle blöd.
we + are + all + stupid
我々は馬鹿だ。

ドイツ語だと副詞になれる量表現は「全部」とか「ほとんど」など数がきっちりきまっていないものに限るが、日本語だと具体的な数表現もこの文構造をとる。違いは数詞は付加語でなく副詞だから格マーカーは名詞のほうにだけつけ、数詞の格は中立ということだ。しかしここで名詞と「副詞の数詞」を格の上で呼応させてしまう人が後を絶たない。

アヒルが二羽が鳴いている
池にアヒルが二羽がいる
本を四冊を読みました

とやってしまうのだ。確かに数詞のほうに格マーカーをつけることができなくはないが、その場合は名詞が格マーカーを取れなくなる。

アヒルØ二羽が鳴いている。
本Ø四冊を読みました。

これらは構造的に「アヒルが二羽鳴いている」と似ているようだが実は全然違い、格マーカーのついた「二羽」「四冊」は主格名詞と解釈できるのに対し格マーカーを取らない「アヒル」や「本」は副詞ではない。それが証拠に倒置が効かない。

アヒルが二羽鳴いている。
二羽アヒルが鳴いている。

アヒル二羽が鳴いている。
*二羽がアヒル鳴いている。(「アヒルが二羽鳴いている」と比較)

数詞が名詞になっている後者の場合、「アヒル二羽」が一つの名詞、合成名詞とみなせるのではないだろうか。「ドイツの料理」という二つの名詞が合体して「ドイツ料理」という一つの合成名詞をつくるのと同じである。シンタクス構造が違うからそれが反映されるのか、意味あいも違ってくる。あるまとまりを持った集団に属するアヒルたちというニュアンスが生じるのだ。「アヒルが二羽」だと池のあっち側とこっち側で互いに関係ない他人同士、いや他鳥同士のアヒルがそれぞれ勝手に鳴いている雰囲気だが、「アヒル二羽が」だと、アヒルの夫婦か、話者の飼っているアヒル、少なくとも顔くらいは知っている(?)アヒルというイメージが起こる。ドイツ語や英語で言えば前者は不定冠詞、後者は定冠詞で修飾できそうな感じだ。この「特定集団」の意味合いは「二羽のアヒル」という言い回しでも生じる。

二羽のアヒルが鳴いている。

ここでの「二羽」はシンタクス上での位置が一段深く、上の「アヒルが二羽」のように動詞に直接支配される副詞と違って、NP内である。属格の「の」(『152.Noとしか言えない見本』参照)によって「二羽」がヘッド名詞「アヒル」の付加語となっているからだ。先の「アヒル二羽」は同格的でどちらが付加語でどちらがヘッドかシンタクス上ではあまりはっきりしていないが(まあ「二羽」がヘッドと解釈していいとも思うが)、「二羽のアヒル」なら明らか。いずれにせよどちらも数詞はNP内で副詞の位置にいる数詞とはシンタクス上での位置が違う。そしてこれも「アヒルが二羽鳴いている」と比べると「アヒル二羽」のイメージに近く、つがいのアヒルが鳴いている光景が思い浮かぶ。もっともあくまで「思い浮かぶ」であって、「アヒルが二羽」はバラバラのアヒル、「二羽のアヒル」ならつがいと決まっているわけではない。また後者でもそれぞれ勝手に鳴いている互いに関係ないアヒルを表せないわけではない、あくまでもニュアンスの差であるが、この辺が黒澤明の映画のタイトルが『七人の侍』であって『侍(が)七人』とはなっていない理由なのではないだろうか。あの侍たちはまさにまとまりをもった集団、固く結束して敵と戦うのだ。
 逆に集団性が感じられない、英語ドイツ語なら冠詞なしの複数形になりそうな場面では副詞構造の「アヒルが二羽」「アヒルを二羽」が普通だ。在米の知り合いから聞いた話では、これをそのまま英語に持ち込んでレストランでコーラを二つ注文するときCoke(s) two といってしまう人がよくいるそうだ。Two Cokesが出てこない。さらにその際pleaseをつけないからネイティブをさらにイライラさせるということだ。

 それで思い出したが、ロシア語には普通の数詞(単純数詞、простые числительные)の他に集合数詞(собирательные числительные )というものがある。その名の如く複数の当該事象を一つのまとまりとして表す数詞、と説明されている(しかし集合数詞という名称がおかしい、という声もある。下記参照)。

      普通の数詞                  集合数詞
2    два (m., n.), две (f.)     двое
3    три                               трое
4    четыре                         четверо
5    пять                             пя́теро
6    шесть                           шестеро
7    семь                             се́меро
8    восемь                         восьмеро
9    девять                          девятеро
10  десять                          десятеро

形としては一応10まであるが、9と10の集合数詞は事実上もう使われなくなっているそうだ。この集合数詞は単純数詞と語形変化の仕方が違う。全部見るのは面倒くさいので「3」と「5」の単純数詞と集合数詞の変化を比べると次のようになる。集合数詞と単純数詞はそもそも品詞そのものが違うことがみてとれるだろう。


               単純数詞           集合数詞
主格        три                    трое
生格        трёх                   троих
与格        трём                  троим
対格        три/ трёх           трое/ троих
造格        тремя                троими
前置格     трёх                   троих

5
               単純数詞            集合数詞
主格        пять                    пятеро
生格        пяти                    пятерых
与格        пяти                    пятерым
対格        пять                    пятеро/ пятерых
造格        пятью                 пятерыми
前置格     пяти                    пятерых

数詞の被修飾語の名詞のほうは『65.主格と対格は特別扱い』『58.語学書は強姦魔』でものべたように、主格と対格では複数生格、その他の格では数詞と呼応する形が来る。
 日本語では数詞は語形は変わらずシンタクス上の位置が違ってくるが、ロシア語のほうは語そのものが違いシンタクス上の位置は変わらない。だから、というのもおかしいが使い方・意味合いも日本語の「アヒルが二羽」と「二羽のアヒル」と違い、なんとなく別のニュアンスなどというあいまいなものではなく使いどころが比較的きっちりと決まっている。例えば次のような場合は集合数詞を使わなければいけない。
1.ロシア語には形として単数形がなく複数形しかない名詞があるがそれらに2~4がついて主格か対格に立つとき。なぜなら2~4という単純数詞には単数生格(本当は双数生格、『58.語学書は強姦魔』参照)が来るのに、その「単数形」がないからである。

двое суток (主格はсутки で、複数形しかない)
two集合数詞 + 一昼夜・複数生格

трое ворот (ворота という複数形のみ)
three集合数詞 + 門・複数生格

четверо ножниц (同様ножницы という複数形のみ)
four集合数詞 + はさみ・複数生格

2.дети(「子供たち」、単数形はребёнок)、ребята(これもやはり「子供たち」、単数形はребёнокだがやや古語である)、люди(「人々」、単数形は человек)、лицо(「人物」)という名詞に2~4がついて主格か対格に立つとき。

двое детей
two集合数詞 + 子供たち・複数生格

трое людей
three集合数詞 +人々・複数生格

четверо незнакомых лиц
four集合数詞 + 見知らぬ・複数生格 + 人物・複数生格

3.数詞の被修飾語が人称代名詞である場合。

Нас было двое.
we.属格 + were + two集合数詞
我々は二人だった。


Он встретил их троих.
He + met + they. 属格 + tree.集合数詞
彼は彼ら3人に会った。



その他は基本的に単純数詞を使っていいことになるが、「も」も何もそもそも単純数詞の方がずっと活動範囲が広いうえに(複数形オンリーの名詞にしても、主格対格以外、また主格対格にしても5から上は単純数詞を使うのである)、集合数詞は事実上8までしかないのだがら、集合数詞を使う場面の方がむしろ例外だ。集合数詞、単純数詞の両方が使える場合、全くニュアンスの差がないわけではないらしいが、イサチェンコ(『58.語学書は強姦魔』『133.寸詰まりか水増しか』参照)によるとтри работника (3・単純数詞 + 労働者・単数生格)とтрое работников(3・集合数詞+ 労働者・複数生格)はどちらも「3人の労働者」(または労働者3人)という完全にシノニムで、трое などを集合数詞と名付けるのは誤解を招くとのことだ。歴史的には本来この形、例えば古スラブ語のdvojь、 trojь はdistributive分配的な数詞だったと言っている。distributiveなどと言われるとよくわからないがつまりcollective 集合的の逆で、要するに対象をバラバラに勘定するという意味だ。チェコ語は今でもこの意味合いを踏襲しているそうだ。

 そうしてみると日本語の「アヒルが3匹」と「3匹のアヒル」の違いとロシア語の集合数詞、単純数詞の違いはそれこそ私がワケもなく思いついた以上のものではなく、構造的にも意味的にも歴史的にもあまり比較に値するものではなさそうだ。まあそもそも印欧語と日本語の構造を比べてみたって仕方がないと言われればそれまでだが。

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 2020年7月6日の朝、いつものように起きてメールを見ようと思い、いつものようにドイツテレコムのメインサイトに行ったら、そこのニュース速報にEnnio Morriconeとあるのが目に止まった。つい一ヵ月ほど前にモリコーネがジョン・ウィリアムズとともにスペインのアストゥリアス皇太子賞を取ったと聞いていたので一瞬またなにか賞を取ったのかと思い、改めて記事の見出しに目を向けたとき、飛び込んでいたのはtot 「死去」という言葉だった。そこで私が感じたこと、陥った精神状態は、誇張でも何でもなく全世界でおそらく百万人単位が共有していると思うから、わざわざ「呆然とした」とか「目の前が真っ暗になった」とか「心にポッカリ穴があいた」とか「鬱病になりそうになった」とか陳腐な表現をここでする必要もあるまい。してしまったが。
 新型コロナがイタリアで猛威を振るっていた時何より心配だったのがモリコーネのことだったが、直接の死因となったのは数日前に転倒して大腿骨を折った事故だそうだ。ローマの病院に運ばれ、そこで亡くなった。報道によれば最後まで意識ははっきりし、その時が来たことを自分でもはっきり自覚して家族に別れの言葉を残していった。極めて尊厳に満ちた最期だったそうだ。
 モリコーネが晩年ドイツで行ったインタビューの記事をいくつか読んだが、その中でインタビュアーは「マエストロは少し足元がおぼつかないようだったが頭の方はhellwachだった」と言っていた。hellwachは独和辞典には「完全に目覚めている、油断のない」というネガティブイメージの訳語が出ていたりするが、これは「頭がものすごく冴えている」という意味である。

 ドイツではモリコーネの名前と最も強固に結びついているのは何といっても『ウエスタン』のハーモニカだ。『続・夕陽のガンマン』のコヨーテが引用されることもあるが、あの『ウエスタン』のメロディは高校の音楽の教科書に使われているのさえ見たことがある。モリコーネ自身はこれに不満で、あちこちのインタビューで「ドイツではどうして西部劇だけしか思い出してもらえないんでしょうね。西部劇の曲は私の作品の8%しか占めてないんですよ」とぼやき、とうとうドイツであんまり『ウエスタン』を聴かされすぎたのでもう自分でもあの曲は聴きたくないとまで言っていたそうだ。
 亡くなった次の日新聞という新聞に追悼記事が出たが、ローカル紙の多くはブロンソンに撃たれた直後のヘンリーフォンダや、幼い頃のブロンソン(でなく子役)が肩に兄を載せて必死に立ち、脇でフォンダがせせら笑っているあの残酷なシーンなどを載せていた。ここでもモリコーネと言えば『ウエスタン』なのである。マエストロが見たら目をそむけたくなったかもしれない。ドイツを代表する全国紙のフランクフルター・アルゲマイネ紙さえそのシーンを第一面に出していたが、もう一つの全国紙、うちでとっている『南ドイツ新聞』ではさすがにブロンソンのカラー写真などは出さずにマエストロの写真だけだった。丁寧にその業績を掲げてあった。しかしいくつかの民放TV局が特別番組と称して放映したのはやっぱり『ウエスタン』だった。そのワンパターンさに私でさえ食傷していたところ、このブログでも時々言及したことのあるストラスブールに本拠のある独仏バイリンガルの公営放送局ARTE(つまりそこら辺の民放と比べるとずっと程度が高い放送局)が追悼番組として『夕陽のギャングたち』を流すと言ってきた。この選択はさすがだと思った。
 もっとも『夕陽のギャングたち』もレオーネの西部劇なので「たった8%」に入っていることには変わりがない。『荒野の用心棒』をいまだに心のモリコーネとしている私なんかはどうすればいいんだろう。

あまりにも有名な『ウエスタン』の鳥肌が立つほど素晴らしい決闘シーン。コメントを見るとモリコーネと聞いて『ウエスタン』を思い浮かべるのは決してドイツ人に限らないようだ。上で「食傷」と書いてしまったがワンパターンにこの映画を持ち出す人の気持ちもわかる。名作すぎるのだ。
 
 

 ツイッターやネットサイトの書き込みで多くの人が言っていた。「モリコーネ氏は91歳という高齢ではあった。でもそれでも亡くなったと聞くと大ショックだ」と。私もそうだ。『荒野の用心棒』から氏の音楽を聴いている。ただしこの曲を始めて聴いたのは映画の劇場公開時よりはやや遅れた時期で、映画を見ずにあのテーマ曲をどこかで何かの機会に耳にしてビックリしたのである。繰り返しになるが、私は音楽の素養は全くない。視覚人間である。しかしこれを聴いたとき私には曲が「見えた」のだ。あまり驚いたのでその時のことをまだ思えている。それ以来耳でなく目に訴えてきた音楽は聴いたことがない。とにかく物心がついたころからモリコーネの曲を聴いて育った、言い換えるとモリコーネの音楽を知らなかった頃の記憶がないわけだから、知り合いでも家族でも何でもないのにマエストロが精神生活の一部、人生の一部になってしまっていたことには変わりがない。私の年代の人にはそういう人が多いはずだ。「さようならマエストロ。いつまでも忘れない。本当にありがとう」で済ますことができないのである。いわば自分の精神生活の一部が死んでしまったからだ。CDがあるから曲を聴いて偲ぼうとかそういうレベルではない。「この曲を作った人が私と一緒の世界で生活している」という感覚で子供の頃から何十年もやってきた。「もうこの人はこの世にいないのだ」、急にそういう転換ができない。これを受け入れられるまでにまだ相当かかる。そういう(やや年をとった)人が少なくともルクセンブルクやアイスランドの総人口よりは数がいると私は思っている。

 その日スーパーに買い物に行ったとき、時々イタリア語を話しているのを聞いていた店員さんを見かけた。どうしても黙っていられなくなって「すみません。イタリアからいらっしゃったんですか?」と確認をとったらそうだというので、「作曲家のエンニオ・モリコーネを御存じでですか」と聞いてみた。すると即通じて「ああ、亡くなってしまいましたね。本当に残念です」と返ってきた。さらに向こうのほうがこんな東洋人のおばさんがエンニオ・モリコーネを知っていることに驚いた風で、「氏を御存じなんですか」と聞いてきた。知っているも何も、私がこうやってヨーロッパに居ついてしまった一因が氏のサウンドトラックである。私の他にも、というより私なんかまったく敵わないような筋金入りのファンが東洋の小国日本にはたくさんいるのだ。
 その次の日、今度はイタリアの知人からメールが来た。本件の用事はまったく別のことだったが、追伸で「モリコーネが亡くなったことを聞きましたか?」といってきた。肝心の本件は無視して「全く意気消沈しています」とすぐ返信した。
 
 そうやって人と話をしたり、ネットや新聞で追悼記事を読んだりしているうちに徐々にではあるが、氏が死去したという事実を受け入れられるようになってきた。しかしそうなってくると心に穴を開けられて動転し無感覚だったのが、だんだん悲しく寂しくなってきた。麻酔が解けて感覚が戻ってきたためだんだん痛くなってくる、あの感じである。しかも感覚が戻ってきたらショックのため忘れていたことを思い出してしまった。この文章の最初の最初に述べたアストゥリアス皇太子賞である。この賞の授与式は10月の終わりに行われるのだ。モリコーネの誕生日の直前である。6月に受賞が決まったとき担当者が打診したところ、モリコーネからは「歳で旅行するのはきついができるだけ式には出席するようにするから」という答えが返ってきていたそうだ。92歳の誕生日プレゼントになっていたはずなのに。授賞式には誰が行くのだろう。本当に残念で悔しくてならない。「事実を受け入れられない」がまたぶり返してしまった。

 マエストロの名前はラテン文学を確立したローマの詩人クイントゥス・エンニウスにちなんだのだろうが、芸術・文化界へに与えた影響は元祖のエンニウスに勝るとも劣るまい。まさにマエストロにふさわしい名前ではないだろうか。

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ウイルス、なかなか退散してくれませんねぇ… ちょっと油断してるとすぐクラスター来るし。困ったもんだ。

 クロアチア語では「2番目の」という意味と「他の」という意味に同じ単語を使う。drugiという言葉である。外国語では日本語では全く違う意味が一つの単語に統一されている例によく出会ってそのたびに驚くが(『67.暴力装置と赤方偏移』参照)、これもその一つだ。たとえばdrugi čovek は「他の人」、drugi dan は「二日目」と理解されるのが普通だが、それぞれ「第二の男」、「他の日」も表せる。文脈から判断するしかない。

 そこでよく考えてみたら、印欧語では1と2、特に1で序数が基数と全く関係のない形になっている、つまり序数が素直に基数から導き出されてはいない例がほとんどであることに思い当たった。「第一の」「第二の」がそれぞれ1と2とは全く別の単語になっているのだ。基数と序数が同語幹になるのはたいてい3番目以降で、2ですでに基数と序数が同源になっているドイツ語などはむしろ少数派だ。ちょっと比べてみると次のようになる。左が基数、右が序数。面倒なので男性形だけ掲げてある(サンスクリットは語幹のみ)。「2」で基数と序数が同じになっているものには下線を引いた。

英語
one - first
two - second
three - third

アイスランド語
einn - fyrsti
tvö - annar
þrír - þriðji

ドイツ語
eins - erster
zwei - zweiter
drei - dritter

フランス語
un - premier
deux - deuxième, second
trois -   troisième

スペイン語
uno - primero
dos - segundo
tres - tercero

ロシア語
один - первый
два - второй
три - тречий

ブルガリア語
един - първи
два - втори
три - трети

クロアチア語
jedan - prvi
dva - drugi
tri - treći

ラテン語
ūnus - prīmus
duo - secundus, alter
trēs - tertius

古典ギリシア語
εἷς (heîs) - πρῶτος (prôtos)
δύο (dýo) - δεύτερος (deúteros)
τρεῖς (treîs) - τρίτος (trítos)

サンスクリット
eka - prathama
dvi - dvitīya
tri - tṛtīya

ギリシャ語の「第二」に下線を引かなかったのは基数 δύο と序数 δεύτερος では確かに頭の子音は双方いっしょだが、後の母音が完全に違っているからである。それで後者は前者から派生したと言い切ることができない。δεύτεροςはδεύω (deúō) 「~に届かない、足りない」から来ているという説もあるそうだ。日本の印欧語学者高津春繁氏もこちらの説をとっている。このギリシャ語を除外すると、2の序数が基数から導き出されているのはドイツ語、フランス語、サンスクリットだ。しかしフランス語ではその deuxième の他に second という形もあってどちらも「第二」だが使う意味領域に微妙な違いがあるらしい。フランス語語源辞書の類には一発で書いてあるのだろうがちょっと手元にないので以下は私の単なる推測で失礼:ラテン語と同じ形であることからも、英語にこの形が持ち越されていることからもsecond の方が古い形であることは明らかだと思う。中世フランス語では second だけだったのではないだろうか。それがアングロノルマン語を通して英語に伝わったと考えると、大陸フランス語にdeuxièmeという形が発生したのは単純計算でイギリスでのヨーク王朝時代以降、15世紀以降ということになるが、話によるとプランタジネット王朝の時代の半ば、13世紀にはすでに大陸の古フランス語とアングロノルマン語の差が結構開いていたそうなので、その時期にすでに大陸では deuxième が発生していたのかもしれない。とにかく second の方が古い形だと考えざるを得ない。
 ドイツ語の「第二」zweiter、基数から直接導き出された序数については、14世紀以降の比較的新しい時代のものであることがわかっている(つまり私のいい加減な推測ではない)。オランダ語の「第二」も基数派生の tweede だが(基数の2は twee )、この語の発生は中期オランダ語時代、12世紀から16世紀にかけての時期だ。蘭独ともにそれ以前はクロアチア語などと同じく「第二」を「別の」「他の」で表していた。両言語とも andar または ander で、ゲルマン祖語の *anþeraz から来ている。アイスランド語でもついでにゴート語でも「第二」は「別の」、 それぞれ annar と anÞar である。つまり大陸の西ゲルマン語派とフランス語で基数派生の「第二」が発生した時期がある程度重なっていることになる。西ゲルマン語からフランス語へか、フランス語から西ゲルマン語へか、とにかくどちらかが借用訳(『119.ちょっと拝借』参照)したのではないだろうか。
 古い方の「第二」はラテン語 secundus が元で、これは sequor (「後に続く、従う」)という動詞から派生した形容詞である。印欧祖語形は *sekʷ-とされている。さらにそのラテン語には secundus の他に alter という言葉も「第二」を表すのに使われる。フランス語にも似たダブル単語状態だが、alterは alternative という英語を見てもわかるように「もう一つの」「他の」という意味である。もっともフランス語と違ってラテン語のふたつはどちらも基数の2とは関係がない。なお、形は似ているがラテン語の alter とゲルマン語の *anþeraz(とその派生形)は印欧祖語での語源が違う。
 ロシア語(とブルガリア語)の「第二」は古教会スラブ語では въторъ だが、これは印欧祖語の *(h₁)wi-tor-o-.「再びの」「さらなる」という語幹から来ているという説明があった。形はラテン語より離れているがこちらの方こそ*anþerazと同語源だそうだ。

 順序が前後するが、「第一」英語の first とラテン語の prīmus は形的に一見関係ないようだが実はどちらも印相祖語の語幹 *preh₂-から派生してきた語でもともと 「前の」という形容詞の最上級である。「最も前の」だ。ここから意味がさらに派生して、「すべての者より先に行く者→最も重要な者→一番偉い人」という具合に意味が進み、「長」とか「ボス」のを表すようにもなった。ドイツ語のFürst(「公爵」)はこの first と同源である。ロマンス語の p がゲルマン語では f になるのは、ラテン語のpater (「父」)が英語で  father になるのと同様、グリムの法則・第一次音韻推移の図式通り。とにかく現在の印欧語の「第一」はどいつもこいつもこの語源だが、まるでギャグのようにドイツ語だけは違う語源で、「第一」erster は「前の」 でなくもともと「早い・初期の」という形容詞の最上級だそうだ。他のゲルマン諸語に比べてもドイツ語は例外だ。オランダ語でも「第一」は 「前の」で vorst となっている 。

 このように少なくとも「第一」は基数派生でないのが(「第二」では基数派生のものが現れてくる)ヨーロッパの基本らしい。さらに見てみると;

アルバニア語
një - i pari
dy - i dyti
tre - i treti

ルーマニア語
unu - primul
dou - al doilea
trei - al treilea

非印欧語までがこの路線を踏襲している。

ハンガリー語
egy - első
kettő - második
három - harmadik

フィンランド語
yksi - ensimäinen
kaksi - toinen
kolme - kolmas

バスク語
bat - lehenengo
bi - bigarren
hiru - hirugarren

ハンガリー語の「第一」elsőは「前の」、「第二」másodikは「他の」という意味だそうだ。印欧語と全く同じパターンである。フィンランド語の「第一」も「この」とか「前の」、「次の」、「第二」toinen は「他の」だそうだ。みんなしてそこまで印欧語に付き合わなくてもよさそうなものだ。バスク語は2から基数派生だが、1の序数 lehenengo はやっぱり基数と全然違う形をしている。ただし語源は不明とのこと。

 そうやって非印欧語までが別語源となっている中で印欧語のくせに序数が1から基数派生の言語がある。ロマニ語(『50.ヨーロッパ最大の少数言語』参照)である。

ロマニ語
jekh - jekhto
duj - dujto
trin - tri(n)to

これがロマニ語の基本だが、場所によっては周りの言語から影響を受けている。例えばロシアのロマニ語では 「第一」は yekhitko(語尾が少し「基本」と違うが基数からの派生であることは明らかだ)の他にロシア語から取り入れたpervoという形、「第二」では duitko と並行して utoro という形も使われている。さらにオーストリアやドイツのロマニ語では「第一」を ersto または erschto といい、ドイツ語の erst からの借用である。「第二」からは dujto、 trinto と続き、基本通りだ。さすがのロマニ語も1では序数が揺れやすいということなのだろうが、思い出してみると日本語も1の序数に揺れがある感じだ。「1番目」の代わりに「最初の」という序数(?)が使われることが結構あるからだ。例えば第一子は普通「一番目の子」とは言わずに「最初の子」だし、「一番目の日から」とか「第一日目から」というより「最初の日からすでに…」という言い回しをすることの方が多い。もしかしたら1の序数に別単語を使う現象は他の言語にも広く行き渡っているのかもしれない。調べてみると面白そうだ。


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大学図書館は閉まるわ、授業はオンラインになるわで外出もままならず、またしても一か月以上記事が書けませんでした。すみません。(←誰も待ってないから別にいいよ、書かなくて)。

  前にもちょっと書いたように(『70.セルジオ・レオーネ、ノーム・チョムスキーと黒澤明』参照)、マカロニウエスタンの前身はいわゆるサンダル映画である。ジュリアーノ・ジェンマで『続・荒野の一ドル銀貨』を取ったドゥッチョ・テッサリなどはその典型だが、そもそもセルジオ・レオーネも最初の作品はIl colosso di Rodi『ロード島の要塞』というB級史劇である。ただしレオーネ本人は「あれは新婚旅行の費用を捻出するために嫌々した仕事」と主張し、本当の意味での自分の最初の作品はあくまで『荒野の用心棒』だと言っているそうだ。コルブッチもサンダル映画を撮っているが、直接作品を作らなくても映画作りのノウハウなどは皆サンダル映画で学んだわけである。
 ではなぜ(B級)ギリシア・ローマ史劇を「サンダル映画」というのか。こちらの人ならすぐピーンと来るが、ひょっとしたら日本では来ない人がいるかもしれない。余計なお世話だったら申し訳ないがこれはギリシャ・ローマの兵士・戦士がサンダルを履いていたことで有名だからだ。もちろん今のつっかけ草履のようなチャチなものではなく、革ひもがついて足にフィットし、底には金属の鋲が打ってあるゴツイ「軍靴」であった。もちろん戦士だけでなく一般市民も軽いバージョンのサンダルを履いていたのでサンダルと聞くと自動的にギリシャ・ローマと連想が行くのである。日本で仮に「ちょんまげ映画」といえば皆時代劇の事だと理解できるようなものだ。さらに時代劇と言わないでちょんまげ映画というとなんとなくB級感が漂う名称となるのと同様、「ギリシャ・ローマ史劇」ならぬ「サンダル映画」の範疇からは『ベン・ハー』だろ『クレオパトラ』などの大作は除外され、残るはB級史劇ということになる。
 映画産業の中心がまずそのサンダル映画からマカロニウエスタンに移行し、その後さらにドタバタ喜劇になって沈没していった流れもやっぱり前に書いたが(『69.ピエール・ブリース追悼』『77.マカロニウエスタンとメキシコ革命』参照)、もう一つマカロニウエスタンからの流れ込み先がある。いわゆるジャッロというジャンル、1970年ごろからイタリアで盛んに作られたB級スリラー・ホラー映画だ。後にジャッロの監督として有名になった人にはマカロニウエスタンを手掛けた人が何人もいる。俳優も被っている。
 「ジャッロ」gialloというのはイタリア語で「黄色」という意味だが、これはスリラー小説の事をイタリア語で「黄色い文学」 letteratura giallaというからだ。なぜ黄色い文学かというと1929年から発行されていた安いスリラーのパルプノベルのシリーズが「黄色いモンダドーリ」Il Giallo Mondadoriといい、これが(安い)スリラー小説や犯罪小説、ひいては映画の意味に転用されたからだ。驚いたことに(驚くのは失礼かもしれないが)、このパルプノベルはまだ発行され続けている。

黄色い表紙のジャッロ文学。http://textalia.eu/tag/italiaanse-detectives/から。
giallo-mondadori-229x300

 映画としてのジャッロは1963年にマリオ・バーヴァが撮った『知りすぎた少女 』 La ragazza che sapeva troppoに始まるとされている。レオーネがマカロニウエスタンというジャンルを確立したのが1964年だから、ジャンルとしての発生はジャッロの方が早いことになるが、最盛期はマカロニウエスタンより少し遅く1970年代になってから。80年代になってもまだ十分続いていたので、1974年の『ミスター・ノーボディ』が「ある意味では最後の作品」と言われるマカロニウエスタンから人がジャッロに流れ込んだのだ。
 ジャッロのことはあまり詳しくない私でも知っているこのジャンルの監督といえば、まずジャンルの確立者マリオ・バーヴァ、それから『サスペリア』のダリオ・アルジェント、ゾンビ映画のルチオ・フルチ、ジュリオ・クエスティといったところだろうが、実はこの人たちは皆マカロニウエスタンも撮っている。特にジュリオ・クエスティは私はマカロニウエスタンでしか知らず、ジャッロも撮っていたと知ったのは後からだ。そのクエスティのジャッロ『殺しを呼ぶ卵』という作品は実はまだ見ていないがジャン・ルイ・トランティニャンが出ているそうだ。これもマカロニウエスタンとジャッロの俳優が被っている例であろう。クエスティのマカロニウエスタン『情け無用のジャンゴ』は最もエグいマカロニウエスタンとされ(『19.アダルト映画の話』参照)、ネイティブ・アメリカンの登場人物が差別主義者の白人たちに頭の皮を剥がれて血まみれになるシーンがあったりして、一回見たら私にはもう十分。残酷描写が凄いと騒がれているコルブッチの映画でさえ何回も見たくなるジャンルファンにさえキツかったのだから、その監督がジャッロを作るとどういう映画になるかは大体察しが付く。『殺しを呼ぶ卵』を見た人がいたらちょっと感想を聞かせてもらいたい。

 さてマリオ・バーヴァだ。この監督の作品はSFというかホラーというか、どっちにしろB級のTerrore nello Spazio(「宇宙のテロ」、ドイツ語タイトルPlanet der Vampire「吸血鬼の惑星」)と「ひょっとしたらこれでスーパーマンに対抗している気でいるのか?」と愕然とする多分アクション映画の(つもりの)Diabolik(ドイツ語タイトルGefahr: Diabolik!「危険:ディアボリック!」)という映画を見たことがある。肝心の『知りすぎた少女』を見ていないのでその点では何とも言えないが、この人はやたらと血しぶきを飛ばしエグイ画面で攻めるのではなく、心理的な怖さでジワジワ来させるタイプなのかなとは思った。映画そのものがB級だったので実際にはあまりジワジワ来なかったが。
 そのバーヴァは3本西部劇を撮っているが、ジャンルそのものがすでにB級映画扱いされている(繰り返すがレオーネやソリーマなどはレベル的には代表などではない、むしろ例外である。『86.3人目のセルジオ』『91.Quién sabe?』参照)マカロニウエスタンをレベルの基準にしてもどれも駄作と言われる出来だ。つまり普通の映画を基準にすると、超駄作ということになる。1964年のLa strada per Fort Alamo(「アラモ砦への道」、ドイツ語タイトルDer Ritt nach Alamo「アラモへ行く」)、1966年のRingo del Nebraska(「ネブラスカのリンゴ」、ドイツ語タイトルNebraska-Jim「ネブラスカ・ジム」)、1970年のRoy Colt & Winchester Jack(『ロイ・コルト&ウィンチェスター・ジャック』、ドイツ語タイトルDrei Halunken und ein Halleluja「悪党二人にハレルヤ一つ」)がそれだが、ユーチューブで探したら映画全編見られるようになっていたので驚いた。もっとも映画の質にふさわしく画像が悪いのと、音声もイタリア語にポーランド語の字幕がついていたりしてとっつきようがなくどうも見る気がしない。探せば英語音声もあるかもしれないがわざわざ探す気にもなれない。それでもちょっと覗いた限りではLa strada per Fort Alamoに『復讐のガンマン』のGérard Herter(この名前もジェラール・エルテールと読むのかゲラルト・ヘルターと言ったらいいのかいまだにわからない)、Roy Colt & Winchester Jackには主役として『野獣暁に死す』のブレット・ハルゼイが出ているのが面白かった。面白くないが。さらにRingo del Nebraskaにはアルド・サンブレルが出ているそうだが、もうどうでもよくなってきたので私は確認していない。ところがさらに検索してみたら3本ともDVDが出ているのでさらに驚いた。しかもなんとマカロニウエスタンを多く手掛けている超大手の版元Koch Mediaから出ている。このKoch Mediaというドイツの会社はジャンルファンの間では結構名を知られていて、変な比較だが言語学をやっている者なら誰でも「くろしお出版」を知っているようなものだ。こんな映画のDVDがあるわけがないと始めからタダ見を決め込んでユーチューブに探りを入れた私は恥を知りなさい。
 それにしてもLa strada per Fort Alamoは公開が1964年の10月24日、『荒野の用心棒』が1964年9月12日だから、ほとんど同時だ。『荒野の用心棒』のクソ当たりをみてからわずか一ヵ月余りでじゃあ俺もと西部劇を作ったとは思えないから(それとも?)La strada per Fort Alamoはレオーネの影響を受けずに作られたと考えたほうがよさそうだ。だから駄作なのかとも思うが後続の2作も皆駄作である。次のRingo del Nebraskaはクレジットでは監督Antonio Románとなっていて、バーヴァの名前は出ていない。「この映画はバーヴァも監督を担当した」というのは「そういう話」なのだそうだ。このいいかげんさがまさにマカロニウエスタンである。

驚いたことにバーヴァの最初の2作は大手のKoch Mediaから焼き直しDVDが出ている。
KochalamoNebraskadvd

『ロイ・コルト』は他の作品とまとめられて「マカロニウエスタン作品集Vol.1」にブルー・レイで収録されている。これもKoch Mediaである。
kochmedia

古いDVDもある。
roy-it

 バーヴァよりはダリオ・アルジェントの方がジャンルに貢献している。ただしアルジェントは監督としては一本も撮っていない。脚本を何本か書いているのだ。『野獣暁に死す』(『146.野獣暁に死すと殺しが静かにやって来る』参照)と『傷だらけの用心棒』(『48.傷だらけの用心棒と殺しが静かにやって来る』参照)の脚本はこの人の手によるものである。後者は本脚本(?)はClaude Desaillyによるフランス語でアルジェントはイタリア語の脚本を担当したのだが、気のせいかこの映画にはあまりストーリーとは関係のないホラーシーンがある。主人公のミシェル・メルシエが血まみれの兎の首を出刃包丁(違)で叩き切るシーンだ。この映画はそもそも雰囲気がやたらと暗いが、そこにさらにこんな気色悪いものを出さなくてもよかろうにと思った。この血まみれ兎はアルジェントの差し金かもしれない。

ミシェル・メルシエが出刃包丁(違)を振りおろすと
messer-bearbeitet

血まみれの兎の首がコロリと落ちる。
hase1-bearbeitet

こちらジャッロ『サスペリア』の包丁シーン
susuperia-bearbeitet

『野獣暁に死す』の脚本はアルジェント一人の手によるもの。あまりスプラッターな部分がないが、監督が違うからだろう。チェルヴィ監督はそういう点では抑え気味。ラスト近くに敵が森の中で首つりになるシーンが出てきてそれがレオーネなどより「高度」があるのと、ウィリアム・ベルガーが相手の喉元を掻き切るシーンがあるが、掻き切られたはずの喉笛から血が吹き出さない。もしアルジェント本人が監督をやっていればどちらのシーンも血まみれですさまじいことになっていたはずだ。また『傷だらけの用心棒』もそうだが『野獣暁に死す』も特に上述の森の中の人間狩りの場面など全体的に妙な怪しい美しさが漂っている。もっともこれも「脚本アルジェント」と聞いたからそういう気がするだけかもしれないがなんとなくジャッロ的ではある。

『野獣暁に死す』では陰気な森の中で敵が首つりにされるが、監督が違うせいか『サスペリア』ほどエグくない。
yajuu-hanged
こちら『サスペリア』。エグいはエグいが血の色がちょっと不自然に赤すぎないだろうかこれ?
Suspiria-hanging
ウィリアム・ベルガーが敵の喉笛を掻き切るが(上)、掻き切られた後も血が出ていない(下)。
berger-vorher
berger-nachher
『野獣暁に死す』のラスト森の光景はちょっとおどろおどろしくてジャッロにも使えそう。
yajuu-wald
 もう一つアルジェントが手掛けた大物マカロニウエスタンは丹波哲郎の出る『五人の軍隊』(1969年、原題 Un esercito di cinque uomini、ドイツ語タイトルDie fünf Gefürchteten「恐れられた五人」)で、私はまだ見ていないのだが、評その他をみると『野獣暁に死す』、『傷だらけの用心棒』とともにマカロニウエスタンの平均は超えている出来のようだ。しかし「アルジェントは(脚)本が書ける」ことを序実に証明しているのは何と言っても『ウェスタン』だろう。これは「平均を超えている」どころではない、マカロニウエスタンの例外中の例外、普通の映画を基準にしても大作・名作として勘定される超有名作品だ。あまりに名作なので、『ウエスタン』はマカロニウエスタンの範疇に入れていないと言っていた人がいた。失礼な。ただしこれは共同脚本で、アルジェントの他にあのセルジオ・ドナーティやベルナルド・ベルトルッチが一緒に仕事をしている。すごいオールスターメンバーだ。

 ルチオ・フルチはバーヴァと同じく監督としてマカロニウエスタンを5本(あるいは3本。下記参照)作っている。その最初の作品がフランコ・ネロで撮った『真昼の用心棒』Le colt cantarono la morte e fu... tempo di massacro(1966年、ドイツ語タイトルDjango – Sein Gesangbuch war der Colt「ジャンゴ-その歌集はコルトだった」)、いわゆるジャンゴ映画の一つである。フランコ・ネロを主役に据え、ジョージ・ヒルトンをマカロニウエスタンにデビューさせた古典作品だ。オープニングにしてからが人が犬に噛み殺されて川が血に染まるというシーンだから後は推して知るべし。典型的なジャンル初期の作風である。DVDやブルーレイも嫌というほど種類が出ている。

ジョージ・ヒルトン(左)は『真昼の用心棒』がマカロニウエスタン一作目。このあとスターとなった。
Hilton

 その後何年か間をおいて1973年にZanna Bianca(邦題『白い牙』、ドイツ語タイトルJack London: Wolfsblut「ジャック・ロンドンの狼の血」)、1974年にその続編Il Ritorno di Zanna Bianca (邦題『名犬ホワイト 大雪原の死闘』、ドイツ語タイトルDie Teufelsschlucht der wilden Wölfe「野生の狼の悪魔の谷」)という西部劇を撮っている。しかしこの二つはジャック・ロンドンの小説『白牙』をもとにしていて西部劇というより家族もの・冒険ものだそうだ。確かにフランコ・ネロは出ているし、たとえば『裏切りの荒野』(『52.ジャンゴという名前』参照)などはメリメのカルメンからストーリーを持ってきているから、文学作品をもとにした映画はマカロニウエスタンとは呼べないとは一概には言えないが、この2作はマカロニウエスタンの範疇からは除外してもいいのではないだろうか。
 次の、ファビオ・テスティが主役を演じた I Quattro dell'apocalisse (1975年、「4人組 終末の道行」、邦題『荒野の処刑』、ドイツ語タイトルVerdammt zu leben – verdammt zu sterben「生きるも地獄、死ぬも地獄」)はタイトルから期待したほどは(するな)スプラッターでなかったが、人がナイフで皮を剥がれたり女性が強姦されたり(どちらも暴行するのはトマス・ミリアン!)、挙句は人肉を食べてしまったりするシーンがあるから明らかに「猟奇」の要素が入り込んできていて同じ残酷でも『真昼の用心棒』を含む60年代の古典的マカロニウエスタンとははっきりとスタイルを異にしている。いや、そのたった一年前に作られた『ミスター・ノーボディ』とさえ全然違う。『ミスター・ノーボディ』はスタイルの点でもモティーフの上からも古典的な作品でサンダル映画さえ引きずっている(『12.ミスター・ノーボディ』参照)からだ。また『荒野の処刑』は妊娠した女性が大きな役割を持ってくるあたりエンツォ・カステラーリがフランコ・ネロで撮った後期マカロニKeoma(1976年、邦題「ケオマ ザ・リベンジャー」)あたりとつながっている感じだ。

I Quattro dell'apocalisse では最初に颯爽と出てきた主役のファビオ・テスティが
testi-vorher
しまいにはこういう姿になる。
testi-nachher

 続くフルチ最後の西部劇、1978年のSella d'argento (「銀のサドル」、邦題『シルバー・サドル  新・復讐の用心棒』、ドイツ語タイトルSilbersattel「銀のサドル」)はスタイル的にもモティーフ的にもストーリー的にもマカロニウエスタンの古典路線に逆戻りしていて私はこちらの方が好きである。ちょっとユーモラスなシーンもある。やたらと撃ち合いになり人がやたらと血まみれで死ぬは死ぬが、全体的にはむしろソフトというか静かな雰囲気。主役がジュリアーノ・ジェンマだからかもしれない。この人では猟奇路線は撮りにくかろう。それにしても「シルバー・サドル」などという邦題をつけてしまうとまるで老人用の鞍のようでまずいと思う。もっとも原題にしてもどうしてここで急に銀が出てくるのか。ジュリアーノ・ジェンマがそういう鞍に乗っているから綽名としてついているのだがどうして黒い鞍でもなく象牙のグリップでもなく銀の鞍なのか。ひょっとしたらこの「銀」argentoという単語は暗にダリオ・アルジェントのことを指しているのではないだろうか(考えすぎだ)。いずれにせよフルチがゾンビ映画『サンゲリア』を撮ったのは「アルジェントの鞍」の翌年、1979年だ。つまりフルチはマカロニウエスタンというジャンルがすでに廃れだしすでにジャッロが勃興していた時期にもまだ西部劇に留まっていたことになる。その後でマカロニウエスタンですでに「練習」してあった絵、例えば血まみれの穴の開いた頭部の映像などをジャッロに持ち込んだのかもしれない。その意味でやっぱりジャッロはマカロニウエスタンの後裔である。

ルチオ・フルチ監督のSella d'argento の主役はジュリアーノ・ジェンマと…
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…「アルジェントのサドル」(左)。
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